Unromantic Christmas2
   

 イブの午後は、雪こそ降っていなかったが、今にも降りそうな冷たい灰色の曇り空だった。

「メリー・クリスマス、でーっす」

 桜は、社会科教官室の引き戸を開けながら、大声で言った。

 クリスマスを意識した、赤いダッフルコートは脱がない。コートの下は制服ではないからだ。

それにポケットの中にはラッピングした、例の、ファゴットを持ったサンタクロースが入っている。

「あら、加持さん、メリー・クリスマス」

 入り口のすぐそばに席にいた、若い女性教師が振り返った。桜が選択している世界史の担当である。

「お、桜、本当に来たのか」

 その向かいに座っている菅野教諭が笑いながら言った。

「焼いてきましたよぉ、菅野先生のおっしゃるとおり、おっきなケーキ!」

 桜は、白い大きな紙箱を両手で差し出した。

「え、もしかして、私たちに差し入れなの?」

 女性教師は目を丸くして。

「そうですよぅ。クリスマス・イブの夕方まで働いてらっしゃる、寂しい先生方への、

クリスマスプレゼント。なーんて、思いやりのある優しい生徒でしょう」

「加持さん、受験生がそんな気をつかわなくていいの」

 隣の国語教官室から、担任が苦笑しながらやってきた。

 教科教官室と言っても、理科や実技系の科目のようにきちんとした準備室を持たない一般科目は、

大教室を教科ごとにパーテーションで仕切っただけであるから、桜の大声はその場にいる全ての教科の

教師に聞こえている。

「家政科志望ですからぁ、これも勉強のうちです」

「家政科の試験って、お菓子作りの実技もあんのか?だいたい桜が受けるのって、被服系統だろ」

 菅野がツッコミを入れる。

「あー、いいですよ、先生方、みなさんでそう言うこと言うんだ。じゃ持って帰りますよ。ちぇ」

「わ、加持さん、お茶入れるから、いかないで」

 きびすを返そうとした桜は、女性教諭に引き留められた。

 給湯室で、女性教諭が紅茶を入れている間に、桜は2つのブッシュ・ド・ノエルを人数分に

切り分けた。教官室に残っていたのは、やはり時期的に3年の担任が多かったが、9名だった。更に、

教官室隣の進路指導室では、早乙女晃が数学の補習をしているのだという。晃と指導している教諭、

それに桜自身を合わせて合計12名。18名までならなんとかなるだろうと思って持ってきたので、

ちょうどいい感じで切り分けられた。

 切り分けながら、もしかして美誉子も来るかも、と桜は思い至った。しかし、お茶の時間に合わせて

桜が登校することは知っているわけで、、この時間にいないということは、遠慮したのだろう、と

桜は判断し、美誉子らしいな、とも思った。

しっかし、我ながら、良くやったよ。家の分含めて、朝から同じケーキを3つも焼いたんだもんな。

 桜は切り分けたケーキを丁寧に皿に移しながら、自画自賛の思いに浸っていた。 

 クリスマスのケーキ屋さんの大変さが、少しはわかったかも。疲れたけど、でも、きっちり

管ちゃんに会えたから、いっか。

 思わずにんまり。

「加持さん、上手ねえ、とっても美味しそう。飾りもキレイだし、プロのケーキみたい」

 となりで紅茶を入れながら、女性教諭がケーキを覗き込む。

「やっだぁ、先生、おだてないでよ……大きめのにしときます?」

「うふふ、お願い」

 女性教諭に教官室へ配るのを任せ、桜は2人分のケーキと紅茶を、進路指導室に運んでいった。

 部屋の前に立っても、指導室は静かだったが、ノックすると、

「はい?」

 数学教師の声がすぐに返ってきた。

「失礼しまぁす……メリー・クリスマス、でぇす」

「わ、加持さん?」

 背中を向けて座っていた晃が振り返って、目を丸くした。

 進路指導室は、窓とドアの部分を残して、スチールの本棚がびっちりと並び、そこには、今にも

崩れ落ちそうに、大学や専修学校の資料などがぎっしりと詰め込まれている。真ん中に長机が2つ

くっつけて置かれているが、そこに二人が座っただけでめいっぱいの狭い部屋だ。

 桜はこの部屋に入るたびに、言いようのない圧迫感を感じる。狭さも原因だろうが、詰め込まれている

資料の内容が、受験生に無言の圧力をかける。

 こんな部屋で補習とは、と、桜は晃がかわいそうになった。

「ケーキお届けに参りました」

「ほお、加持さんが焼いたんですか?」

 数学教師が細い眼鏡を取りながら訊いた。

「そーですぅ。しんどいクリスマス・イブを過ごしている皆様へ、桜サンタからプレゼントです」

 二人の前に、ノートとテキストを避けながらケーキと紅茶を置いた。

「僕、小さい方でいいですよ。帰ったら、クリスマス・ディナーが待ってるはずですから」

 数学教師が、神経質そうに眼鏡をクリーナーで拭きながら言った。

「そっか、先生、新婚さんでしたね。今頃、奥さんがはりきって用意してるんでしょうね」

 晃が遠慮無く大きい方のケーキを取りながら言った。

「せっかくのクリスマス・ディナー残したりしちゃ、奥さんがっくりきますもんね」

 お盆を胸に抱えて、桜もにやにやしながらそう言ったが、

「いただきます」

 数学教師は涼しい顔で、小さく頭を下げ、ケーキにとりかかった。

「いただきます」

 それを見て、晃は桜をおがんでから、ケーキにかぶりついた。

「美味しい」

 一口食べた晃は、にっこりして桜を見上げた。

 うわ、やっぱ、間近で見ると、やっべえな、この顔。

 桜は晃の笑顔に見とれそうになって、慌てて目をそらした。

 美誉が言ってた、見つめられると吸い込まれそうになるっての、わかるような気がする。いくら

美形だって、この人は親友の彼氏なんだから、見とれちゃイケナイイケナイ。

「そ、そもそも」気をとりなおすため、桜は口を開いた。「新婚さんが、クリスマス・イブに夕方まで

仕事ってのが、ヤバイんじゃ」

「そうですよ。ヤバイんです」

 ケーキを二口で食べ終わった数学教師は、紅茶を啜りながら。

「だから、しっかりやってくださいね、早乙女くん。それ食べ終わったら、次の問題、気合い入れて

いきますよ」

「は、はい……」

 晃はフォークを口に入れたまま、首をすくめた。

 やぶへびだったか……

 桜は慌てて、「じゃ、じゃね、早乙女くん、補習がんばってね。食べ終わったらお皿は給湯室に

おいといてくれればいいから」

 そう言って、進路指導室から出た。

 ドアを閉める時に、「加持さん、ごちそうさまっ、あっ、あと、Merry Christmas!」という晃の

ネイティヴな発音が追いかけてきた。

 そういえば、早乙女くん、美誉子のプレゼント、もうもらったのかな?それともやっぱり、夜に

渡すことにしたんだろうか、と廊下に出てから思いだしたが、戻って訊き直すのも憚られる。

 お盆を抱えたまま教官室に戻ると、

「加持さんの、ここに置いておいたわ」

 女性教諭が、自分の隣の空席に置いたケーキを指した。

 ちぇ、管ちゃんの隣じゃないのか。

 そう思いながら、菅野教諭の机を覗き込むと、当然のようにケーキが完食されていたので、

桜は満足して空席に着いた。

「おいしいわあ」

 女性教諭はにこにこして、ココアクリームがたっぷり塗ってあるブッシュ・ド・ノエルの一片を

口に入れた。

「うん、大変旨かった。ごちそうさま」

 菅野教諭も真面目な顔で言った。

「どういたしまして。これで先生方の寂しさが、少しでも癒されれば、桜は満足です」

「寂しい寂しい言わないでよ。忙しいだけよ」

 女性教諭に小突かれた。

 桜は自分の分のケーキを食べてから、空いた皿とカップを集めるため、教官室中を回った。

 菅ちゃんの席まで行ったときに、コレ渡せないかな。

 コートのポケットに入っているプレゼントの包みを、そっと探る。

皿を大方集め終わり、いよいよ菅野教諭の席まで来たはいいが、どうやってさりげなくポケットの中の

プレゼントを渡そうかと逡巡していた桜に、菅野はいきなり書類から顔を上げて、

「桜、どうやって学校まできたんた?」

 桜はちょっとぎょっとして。

「は、母親に、買い物のついでに車で送ってもらいました。帰りは荷物ないから、バスで帰れば

いいかなって」

「そうか、ちょっと待っててくれれば、車で送ってやるよ」

「え」

 どきん。

 お盆の上に積み重なっている皿を、思わずガチャンと言わせてしまった。

 菅野教諭の車には何度か乗せてもらったこともあるし、家まで送ってもらったこともあるが、

二人きりというのは未だかつてない。

「いいんですか?先生の家と全然方向ちがうけど……」

 桜の家は自転車で20分ほどの、市の郊外にある。

「今日は特別サービスだよ。ケーキ旨かったし、それに」

 菅野教諭は、窓の方を指さした。

「ほら、この天気じゃ」

「げっ」

 外はいつの間にか猛吹雪だった。



  

 桜が皿を洗って片づけているうちに、菅野教諭の仕事も一段落した。

 駐車場まで来い、と言われ、桜は挨拶もそこそこに教官室を飛び出した。

 進路指導室の前を走って通り過ぎようとして、慌てて戻り、ノックして返事を待たずに首だけ

突っ込んだ。

「加持桜、お先に失礼します! 良いクリスマスを!」

 数学教師と晃は、まだ机の上のテキストとにらめっこをしていたが、それぞれ顔を上げて、

桜に手を挙げた。

 桜は軽くスキップしながら廊下を昇降口に向かった。

と、昇降口の手前、薄暗く寒々しい廊下に紺のフィールドパーカーを着た人影がたたずんでいた。

「美誉!」

「お、桜」

 桜に呼ばれて、手袋をはめたままの右手が小さく振られた。

「どうよ、ケーキとプレゼント上手く渡せた?」
 
 美誉子は手持ち無沙汰そうに壁に寄りかかって立っていた。

「美誉……マジで早乙女くん迎えに来てたんだ……教官室に来ればよかったのに。ケーキ食べられたのに」

「ああ、そうだったんだあ。でもね、ついさっき来たばっかだから」

 そう言ったが、その顔は唇の色が悪く、パーカーのポケットに両手をつっこみ、いかにも

寒そうだった。

「こんなとこで待ってないで、教官室で待たせてもらえば?暖房効いてたよ。寒いでしょ」

「いやあ、恥ずかしいよ、さすがに」

 美誉子は廊下の時計を見た。

「それに、そろそろ終わるでしょ。5時間目の終わる時間だし」

「そうかな……まだなんか、真剣にやってたよ。数学」

「ああ、彼にもケーキあげてくれたんだ。ありがとう」

「うん、でっかいブッシュ・ド・ノエル2本持ってきたからさ」

「すっげぇ」

 美誉子は笑った。

「で、どうなのよ、管ちゃんにプレゼント、渡せたの?」

「いや、まだ……なんだけど」

 桜は、晃が来るまで、このまま美誉子といてあげたい気持ちになっていた。

 しかし……

「管ちゃんが、車で送ってくれるって言ってくれて……」

「おおぅ」美誉子は手を叩いて喜んだ。「それなら、ばっちし渡せるね。うわあ、良かったねえ」

「そうなんだけど……」

「それなら早くいきなよ。管ちゃん待ってるんでしょ?」

 美誉子は桜の肩を抱いて昇降口の方に押した。

「どしたの?」桜の動きが鈍い。

「……一緒に、早乙女くんのこと、待っててあげたいんだけど」

「そんなぁ」桜の背中を、美誉子がばしっと叩いた。「大丈夫、もうすぐ来るって。こういう時は

女の友情は二の次でしょ。お互い様だもん、さあ、行った行った」

「ごめんね……」

 桜はぺこっと美誉子に頭を下げた。

「なによぉ、お互い様だって言ってるじゃん。私だって、彼優先で、桜にいっぱい失礼なことしてると

思うし。それにね」

 美誉子ははにかんだように微笑み。

「こうやって、寒い中待ってるのも、何かいい感じなんだよね。今来るかな、もうすぐ来るかな、

彼、私を見つけたら、びっくりするかな、プレゼント喜んでくれるかな、って、どきどきしながら

待ってるのって、なかなかトキメク」

 その微笑みがとてもキレイだと、桜は思った。

「そっか……」

「そうそう。だから、遠慮しないで、早く行きなさいよ。あ、結果はあとで電話で知らせてね」

「美誉もね!」

 桜は美誉子に大きく手を振ると、昇降口で急いでブーツに履きかえ、吹雪の中、駐車場まで

雪を蹴散らし全力疾走した。

「お待たせしました!」

 菅野教諭は、ちょうど車の雪かきを終えたところだった。

「いやあ、これは積もるな」

 フードの中のいかつい顔は、雪かきで少し紅潮していた。

「ですねぇ」

 菅野は、雪かきに使ったブラシを後部座席に投げ込み、

「早く乗った乗った」

 桜を急かした。

 桜はパタパタと雪をはたきおとし、菅野教諭の愛車、キューブの助手席に乗り込んだ。

 菅野はめいっぱいにしていた暖房を落とし、「寒くないか?」と、訊いた。

「だ、大丈夫ですっ」

 桜はドアを閉めた途端、胸が高鳴り始めるのを感じていた。

 車の中とはいえ、一応二人きりで密室にいるのだから。

「せ、せんせっ」

 発車しようとした菅野教諭に、桜はポケットの小さな包みを差し出した。

「ケーキのオマケですっ」

「お?」

 菅野は包みを無造作に受け取り。

「開けていいのか?」

「はいっ。日頃のご愛顧に感謝を込めました!」

 びりびりと、15分かけて包んだラッピングは無造作に破られ。

「おお。サンキュ、かわいいなあ。ファゴットか、これ?」

 大きな手に、小さなビーズのサンタクロース。

 細い目がますます細められ、白い歯が覗き、桜の胸はそれだけで温かくなる。

「そです! 桜が工夫して作りました」

「携帯ストラップか?これ」

「そです!」

「ついでだから、つけてよ。俺、細かいの苦手なんだ」

 菅野は桜に携帯とサンタのストラップを渡した。

「よし、行くぞ」

「は、はい」

 桜は走っている車の中で、四苦八苦してストラップを携帯につけた。

「桜は、料理も手芸も上手いなあ」

「家政科志望っすから!」

 桜は、菅野の携帯の中に女性のナンバーやアドレスが入っていないかどうか、チェックしたくて

たまらなかった。しかし、自前の携帯を持っていない、携帯を使い慣れていない桜が、すばやく

チェックすることは、とても無理。

 ま、いいか、あたしの作ったストラップを、速攻つけてくれただけで……

「先生、携帯、ここ起きますね」

 あきらめてハンドブレーキのくぼみに、携帯を置いた。

「おう、ありがと」

 自転車では20分の道のりも、車では10分もかからない。吹雪ではあるが、それでも家はみるみる

近づいてくる。

 何か、話さなきゃ。こんなチャンス、もうないかもしれない。

 気ばかり焦り、話題が何も浮かんでこない。

 いつもはよけいなことばっかり言ってるくせに、ああもう、こう言うときに限って、この口ってば!

 と、

「弁当も、いっつも旨かったしなあ……桜には何かお礼しなきゃなあ」

 いつもと同じ、のんびりした口調で、菅野が言った。

「え、あ、お礼なんて……一人分も二人分も手間は変わらないっすから……」

「桜の弁当、もう食べられないのかと思うと、寂しいなあ」

 うっわぁ。

 桜は呼吸を忘れるほどに、胸をいっぱいにしていた。

 無駄じゃなかった。2年間弁当を作り続けたこと。

 この言葉を聞けただけでいい……

「お礼、何がいいよ? なんか言ってみろ」

「え、えっと……」

 お礼って……そんなつもりじゃなかったんだけど……でも。

 桜はお礼について、必死で考えた。ヨコシマな考えも含め、いくつかの候補が挙がったが、

家はもう間近。

「ここ曲がるんだっけか?」

「は、はい」

 ここ曲がったら、もう家までは1分とかからない!どうしよう!?

 頭をフル回転させたあげく、桜は結局、一番無難な希望を口にした。

「卒業したら……あ、無事に大学生になれたら、ですけど、帰省したとき、お酒飲みに連れてって

ください」

「おう、そんなのおやすいご用だ」

 家の前に車を停めて、菅野は桜に向かって笑った。

「そうだな、大学生になったら、お前らとも堂々と飲みに行けるな。他の卒業生も誘って、

ぱーっと行くか」

 あ……そーじゃなくて、あたしは先生と二人で……

「あ、でも、あんまり大勢だと、俺の財布が危ないけど……」菅野は割れた肉付きのいい顎に

手をやって。「でも、まあいいか、たまのことだからな。楽しみにしてるぜ」

 ま…いいか。

 管ちゃんてこういう人だ。

「あたしも、楽しみにしてまっす」

 桜は元気に応えた。

 管ちゃんはこういう人だけど……こういう人だから、好きなんだ。

 こういう人で、この人はまだあたしの先生だし、あたしはまだこの人の生徒だけど。

 そしてこんな天気だけど。

 車窓の外は、一層激しさを増した吹雪。

うん、でも、二人きりで吹雪に閉じこめられてる感じもしちゃったりして、悪くない。

 今日は、最高のクリスマス・イブだ……


                       
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