手をつないで眠りたい



「俺、隣の部屋で寝るから」

 風呂から上がった菅野がそう声をかけると、布団の脇で、旅行鞄から着替えを

出していた桜はぱっと振り向いて。

「え、あたしは一緒で構いませんけど。今夜はクーラーの

無い部屋では、とても眠れませんよ」

「うん……確かにそうなんだけど」

菅野は頭を掻き、2枚並べて敷いてある布団の片方に

どすんと座った。

「悪いな、ボロ家の上に2部屋しかクーラーがないんだ」

「いいえ、あたしは嬉しいです。初めてのお泊まりが、先生の実家なんて」

 本当に嬉しそうな笑顔に、かえって菅野が照れてしまう。

 東北といえども、山形県最南端の盆地に位置する米沢は、夏はかなり暑い。下手をすると関東地方

よりも暑い。標高が高いので、夜になれば気温が下がる日が多いが、今夜はたまたま一夏に数日あるか

ないかくらいの本格的な熱帯夜に当たってしまった。

「初めてじゃないだろ。こないだ美誉と3人で桜の部屋に泊まったし。合宿やコンクールでは何度も

一緒に雑魚寝してる」

「雑魚寝は数に入れないで下さいよ。ふたりっきりのお泊まりってことですよ」

 そう言いながら、着替えを揃え終わったのか、桜は布団に上がり、菅野の方に向き直った。パジャマ

代わりのTシャツにジャージ姿……そんな格好は桜が高校生の頃から見慣れているはずなのに、それでも

きちんと切りそろえられたボブヘアから覗く細いうなじに、明らかに鼓動が速くなる。

 今日のために髪の色をおとなしくしたんだな、と菅野は落ち着いたアッシュ・ブラウンの桜の髪に、

寝ようとという今頃になって気付く。数日前までは目を射るような金茶色だったはず。

 今からでも言ってやるべきか?  似合うね、もしくは、良い色だね、とでも? 一瞬菅野は

迷ったが、言わないでおくことにする。

「今日だって、ふたりきりとは言い切れないだろ」

 菅野の両親は、気を利かせたつもりか、早々と寝室に退散してしまった。古くて広い家は、

妙にシンと静まりかえっている。

「一応、ふたりっきりで同じ部屋に泊まれるってだけで、あたしは充分ときめいてますから」

 ぽんぽん、と枕を叩いて膨らませながら桜が言った。

 俺だって充分ときめいてるけど……と菅野は思ったが、もちろん口には出さない。

「夕方っからときめきっぱなしですけどね、先生のご両親だけじゃなくて、ご親戚にも紹介して

もらったり。フィアンセみたい」

 自分の台詞に恥ずかしくなったらしく、桜はキャーと小さく悲鳴を上げて、枕につっぷした。

 今現在、菅野と桜の布団が敷いてある客間には、先ほどまで近隣に住む菅野家の親族が集まっていた。

よんどころない事情で桜を連れて帰省した菅野は、実家に到着してから、予想外に大勢集まっているのを

知り、正直慌てた。

 そもそも今回の帰省は、菅野に見合いの話が持ち込まれたことが発端だった。それも複数。独り身のまま

三十路に突入した次男を心配した菅野の両親が、知人や親戚に口利きを頼んだ結果だった。

 お盆に帰省したときに見合いをするようにと連絡を受けた菅野は、見合いなんぞする気はさらさらない、

自分にはつきあっている女性がいる、ときっぱり断った。すると両親は、それならその女性を紹介

しなさい、ちゃんと紹介してくれないと断ることもできないと、息子を脅し。

 それで菅野は多忙の中、吹奏楽コンクールの県大会直後、桜を伴って盛夏の米沢に帰省するハメに

なったのだった。

「気ぃ遣って疲れただろ、悪かったな、こんなに大勢集まるなんて、俺も知らなかったんだ」

「いいえ、大丈夫ですよ。それよりあたしの方が、何か失礼なこと口走ったりしちゃわなかった

かなって、不安です」

 桜は微かに眉を顰めて、小首を傾げる。

「そんなことない。大丈夫だ」

 愛らしく気の利く桜は、両親始め、親戚にも好印象を与えたようだった。不安材料であった年齢差と

元生徒という要素も、すでに桜が成人していることもあり、気にする様子を見せる者はなかった。

十くらいの年齢差は、気にしなくてもいいのかもしれないと、菅野は思えるようになってきていた。

教員と元生徒という関係と、11歳の差は、つい3ヶ月ほど前までの菅野に、無意識のうちに強いブレーキを

かけていたのだが。

 3ヶ月前……ゴールデン・ウィークの頃。突然の桜の告白。

……いや、突然じゃなかった。俺は、知っていた。知っていたけれど、気付かないふりをしていたのだ。

桜が俺に向けている好意は、師弟関係における敬意以上のものであるはずがない、あってはいけないと、

自分の思いを堅く縛り付けて。

 生徒だから―――

 高校に入学したときから、好きでした。

 桜はそう言っていた。ということは4年も思いを押し殺したまま……

 菅野は高校の頃の桜というとまず真っ先に、週末の部活毎に作ってきてくれた弁当を思い出す。毎週

コンビニ弁当を買いに行く菅野に、1人分も2人分も手間は一緒だから作ってきますよ、と軽く

申し出てくれたのは、彼女がまだ1年の頃。菅野は、まさか毎週ということはあるまいと、喜んでその

申し出を受けたのだったが、桜は部活のある日は欠かさず菅野の弁当を持参した。さすがに毎回とも

なると菅野も恐縮し、時々でいいからと言ったのだが、桜は、料理好きなので全然苦になりませんからと

笑ったのだ。

 その週末毎の弁当は、桜が部活を引退するまで2年余り続いた。

 布団の上に膝を抱えて座り、桜は少々険しい顔をしている。自分の今夜の言動を反芻しているらしい。

 そんな彼女を見ながら、菅野は思う。

 弁当分の恩返しをするには、どれだけこの娘を大切にしなければならないだろう。もしかしたら、一生

かかっても返せないだけの優しさを、すでに自分は受けているのかもしれない。

「……あれ、まずったかなぁ……」

桜が突然小さな声を上げて、頭を抱えた。

「どうした?」

 桜は困った顔で菅野を見上げ、

「宴会の最後の方で、いっそ婚約だけでもしちゃえみたいな話になったじゃないですか……」

 近隣に住む親戚が集まった10人ほどの宴会は、人見知りしがちな田舎の人間の常で、お行儀良く遠慮深く

始まったのだが、酒も入り、桜の明るいキャラクターもあり、次第に盛り上がっていった。最後の方には

盛り上がりすぎて、いつ結婚するかだの、子どもは何人欲しいかだの、桜が答えに詰まる話題が次々

飛び出し、そのたび菅野が適当にいなしていた。

しかし、場の勢いはとどまるところを知らず、桜が大学を卒業する前に婚約だけでもしてしまったら

どうだ、という流れになり、調子に乗った両親が、涼しくなったら桜の実家に挨拶に行きたいとまで

言い出して。

 さすがに菅野が、いいかげんにしろよ、と制しかけた時。

 あの……申し訳ありませんが。

 桜がおずおずと。

 あたし今、大学でとても好きなことを勉強しているので、卒業までは結婚とかそういうこと考えられ

ません。勉強に集中したいんです。申し訳ありませんっ。

 そう言って、桜は深々と頭を下げ、場は一瞬水を打ったように静まりかえったのだった。

「せっかく盛り上がってたのに、水を差しちゃったんじゃないでしょうか」

 桜は不安そうに問うた。

「大丈夫だって、爺婆が勝手なこと言ってただけだ。それに、みんな酔っぱらいだっんだし、気にするな」

「生意気な娘だって思われたらどうしよう」

「大丈夫だ」

 菅野は手を伸ばして、さらりとした髪を撫でた。

 桜は、それだけで安心したように頷いた。

「無理に帰ってこなくていいんだからな」

 菅野は桜の頭からそっと手を離しながら言った。

「はい?」

 桜は小首を傾げて訊き返す。

「卒業したら、どこでも好きなところに就職していいからな」

 桜は家政科でテキスタイルを専攻しているので、アパレル関係企業への就職の可能性が高い。地元新潟

にも繊維関係の会社はあるが、やはり都会の方が希望の職種に就ける可能性が高いだろう。

 桜が新潟に帰ってこなくても、自分が追いかけていくこともできると、菅野は密かに考えている。

 桜はふわりと微笑み。

「あたし、地元に戻ります。最初からそのつもりでした」

「無理しなくていいんだぞ。やりたい仕事に就けばいい」

「はい、でも、やりたい仕事が地元にあるような気がしてきたんです」

「ほう?」

「まだ漠然としてるんですけどね……あたし、デザインや企画の勉強がしたくて家政科行ったんです

けど、実習してるうちに、自分で企画したものを自分の手で作れなきゃ意味ないんじゃないかって、

そう思うようになってきて」

「なるほど……で、それが実現できる職場が地元にある?」

「いえ、まだちゃんと考えてるわけじゃないので。漠然とした夢でしかないんです」

 桜は恥ずかしそうに首をすくめた。

「いいよ、考えたとこまででいい。話してみろ。進路相談だ」

「布団の上で進路相談ですか?」

 桜はそう言って笑ったが、変化してきた自分の職業への希望について、訥々と語った。

「ほう……いいじゃねえか」

 桜の話をひととおり聞き終わった菅野は、深く頷きながら言った。

「いいと思います?」

 桜は、殆ど膝が触れ合わんばかりに菅野に身を寄せた。高校生の時のまま、子犬のような愛らしさで。

 菅野はさりげなくじりじりと身を引きながら。

「いいと思うぜ。立派な仕事だ」

「修行がちゃんとできれば、ですけどね」

 桜は苦笑してから、突然すっと真顔になり。

「でも、修行の間は先生と一緒に住めないかもしれないんですよね……先生だって転勤ありますもんね、

県内どこに配属されるか分からないんだし……」

 菅野はにやりとして、深刻そうな桜の顔を覗き込み。

「お前、それって、卒業したらすぐ俺の嫁さんになるって前提で話してない?」

 菅野の言葉に桜はみるみる顔を赤くして。

「きゃーっ」

 布団につっぷして、タオルケットを被った。

「やだ、もう、あたしってば……」

 くぐもった声。

「何てずうずうしいんだろ。まだつきあい始めて3ヶ月だってのに……」

 その3ヶ月間も、夏休みに入るまでは一度も会えなかった。毎日のように電話かメールでやりとりは

していたが、お互い多忙で会うことは叶わなかった。会えるようになったのは、夏休みに入って桜が帰省

してからだが、コンクール前のため顔を合わせるのはもっぱら高校。デートらしいデートは、今日の

帰省が初めてと言っていい。

 それでも。

 それでも菅野は、桜を一生大切にしていきたいと思い始めていた。

「……寝るぞ」

 菅野は膝立ちになって電灯のスイッチを引っ張った。

 灯りが消された闇の中、桜がごそごそと起きあがった気配がした。

「……先生……?」

 不安や期待やときめきや恐れや……色々な感情が交じった声。

 菅野はタオルケットに潜り込みながら。

「真上が両親の寝室なんだ」

 ぷっ、と桜が吹きだした。

「はぁい」

 元気な返事が返ってきて、桜も布団に身を横たえたようだった。

「コンクールが終わったら、旅行に行こうか」

「えっ」

 せっかく横になった桜が、菅野の台詞にがばっと起きあがった。

「うわ、嬉しい、ホントですか?」

「ああ……まあ、せいぜい一泊だろうけどな」

 桜はおそらく十中八九処女であろうから、初めての時には、できるだけリラックスできる環境を

セッティングしてやりたいと、菅野はそう思っている。実家など、言語道断……

「はい! 何でもいいですぅ。先生とお出かけできるだけで嬉しい」

「行きたいところあれば、考えておけよ。あんまり遠くは無理だけどな。一泊で行ける範囲で」

「はーい、やっぱり温泉がいいかなあ」

 うふふ、と桜は笑って再び横になり、菅野はそこで気付く。

「桜、今日はご両親になんて言って出てきたんだ?」

「菅野先生のご実家に遊びに行くって言ってきましたよ。ただし、美誉と一緒にってだけ嘘ついて

きましたけど」

「そうか……」

 菅野と交際していることは、桜はまだ両親に報告していない。そりゃあ言いづらいだろうな、と

菅野は密かにため息を吐く。

「美誉、今、ミュージック・キャンプで志摩に行ってるんですよ。だからちょうど良かったんです」

「ああ、そんなこと言ってたな」

 楽器メーカーが主催するミュージック・キャンプには、菅野も学生時代に参加したことがある。

プロ演奏家に合宿で集中的にレッスンを受けられる上、全国各地から集まる同好の士と交流できる

ので、とても楽しかったことを覚えている。

 桜は可笑しそうに、

「美誉ったらね、ミュージック・キャンプで浮気してくる、なんてほざいてましたよ。晃くんが忙しくて

構ってくれないって、すねてるみたい」

「浮気なんて、できるのか? あいつに」

「できっこないですよねえ。晃くん命のくせに」

 くすくす笑いが闇の向こうから聞こえてくる。

 菅野は大きなあくびをした。帰省とは言え、3時間の運転と、桜を連れている緊張感で結構疲れて

いるようだ。

 桜が静かに身を起こした気配がした。


「先生……おやすみのキスだけ、していいですか?」

「……もちろん」

 身を起こそうとした菅野の肩を押さえるように、桜の掌が触れた。その手は肩から首を通り、頬をなぞり、

指先が唇の位置を確かめた。

 その掌はひんやりと、菅野のわずかに火照った頬を冷やすかのように包み込んだ。

 5月の、思いを伝え会った晩、お邪魔虫の美誉子がトイレに行っている隙に、桜の部屋で触れるだけの

キスをした。その時の桜の唇の震えを、菅野は思い出した。

 仰向いた菅野の唇に触れた唇は、今夜は震えてはいなかったけれど、しっとりと濡れていた。

 その唇を割り、舌を押し込み、更に小さな躰を抱きすくめ組み敷く夢が、一瞬菅野の下半身に過ぎったが、

実際は唇は数秒触れただけで離れていった。

「もう一つお願いがあるんですけど」

 桜は菅野の顔を見下ろしたままで言った。

 目が慣れて、闇を透かして桜の顔が見えてきた。いやに大人っぽい表情をしている、と菅野は思った。

「何だ?」

「手をつないで、寝てもらえませんか?」

「いいよ」

「わーい」

 桜は子どもっぽく喜んでみせると、30センチほど離れていた自分の布団をひっぱって、

菅野の布団にくっつけ、横になった。

 菅野が手を伸ばすと、すぐにひんやりと小さな手が絡みついてきた。

「クーラー強すぎるんじゃないか?」

「大丈夫です。涼しくて良い気持ち」

「ここにリモコンおくからな、寒かったら遠慮無く緩めていいから」

 空いた手で、枕元の古い腕時計の脇にリモコンを置く。

「はぁい、ありがとうございます」

「疲れただろ。寝ろ」

「はい、お休みなさぁい」

 菅野は目を閉じた。

 小さな手は身じろぎもせず、菅野の掌の中に収まっていた。

 静かになると、時計の音とクーラーの音が耳につく。

 小さな手が温まってきたころ、菅野は言った。

「……夏休み中に、桜のご両親に挨拶に行っていいか?」

 菅野の問いに返されたのは、静かな寝息だけだった。

                             Fin.


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あとがきのようなもの

創作は休止といいながら書いてしまいました(汗)
そうです、引越作業からの逃避です_| ̄|○;;

なにはともあれ、今回も素人小説をお読み頂きまして誠にありがとうございますm(__)m
今作は、web拍手お礼用短編として書いてみたのでありますが、長すぎて使用不可(゜◇゜)ガーン
というわけで、サイトの方にupした次第です。(web拍手お礼画面の字数は全角5000字以内)

桜&菅野の行く末については、マンガ連載中から多くの読者様にご心配頂きました。
今作中ではらぶらぶな気配でありますが、今後も本編中や、ネタをgetできれば番外編で
書き続けていきたいと思います。

今作は、清純派の友人が昔口走った「添い寝だけの男が理想だな〜」という一言が
元ネタになっております。
どり自身がそう思ってるかどうかはアレですが(笑)男性も大変なんだよ、というあたり
書いてみたくなったのでありました。

先般から書かせて頂いておりますように、次の長編連載は晃の過去話でございます。
3ヶ月かかってまだ書き上がらないという、非常にやっかいなブツなのでありますが、
4月中旬目指して頑張って参ります'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`ァ

今作の前振り(?)『サクラ、サカセテ』には、大変たくさんの拍手を頂いております。
ヘタレマンガに誠にありがとうございます。・゚・(ノー`)・゚・。

では、簡単ではございますが、引越作業から逃げ回っているわけにもいきませんので、
このあたりで失礼致します_| ̄|○

読者様各位におかれましては、花粉に負けずお元気でお過ごし下さいませ。

心からの感謝をこめて−−−                     2006/3/24 どり


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