半熟で悪いかよッ! 1

 hard-boiled

1.卵が堅ゆでの 

2.(人が)非情な、(作風などが)ハードボイルドの

3.現実(実際)的な

4.(衣類などが)堅くのりづけした


 soft-boiled

(卵が)半熟の;《皮肉として》(文体が)健全かつ道徳的な;心優しい 寛大な

                              『プログレッシブ英和中辞典』より

 
 
 最初っから、嫌な予感はしてたんだよ。

 俺は、二人のさりげなくラブラブな様子を眺めながら、小さく舌打ちをした。

 嘘はついてなかったな。確かに、美誉が、転校早々の早乙女を文芸部に引きずり込んだ7月には、

二人はつきあってたわけじゃなかった。

 でも、すでに惚れ合ってたんじゃねえかよ!

「三浦もタコ焼き食べてよ。3人分と思って買ってきたんだからさ」

 俺の忸怩たる思いなど知る由もなく……いや、知ってるはずだ……美誉は、いかにも素人くさい、

ぐにゃでろっとしたタコ焼きを俺に差し出した。

「……まずそうだな」

「見た目よりは、旨いよ」

 早乙女が笑う。

 こいつの短髪、まだ見慣れねえ……

 てか、あの事件以来、少し性格変わったよな?

 俺は憮然としたまま、崩れかけたタコ焼きを口に放り込んだ。

……あ、ホントだ、見かけよりマシ。



 

 あの事件のとき……まだ、ほんの一ヶ月ほど前だ。

俺は選択地理の授業中で。

 バタバタと、廊下をかけずり回る音が何度か響き。

「こら、なんだ? 授業中だぞ!」

 教師が何度か廊下に顔を出して怒鳴ったが、走る生徒たちは見向きもせずに去っていく。

 なんだろ?

 俺は、何度目かの足音が近づいてくるのにタイミングを計り、廊下に出た。

「三浦!」

 俺まで怒鳴られたが、当然無視。

「何やってんだよ?」

 走ってきたのは、隣のクラスの笹本だった。

「説明してる暇ねえんだよ!」

 笹本は悲壮な顔つきで、なぜか座布団を山のように抱えて走っている。

 俺の前を通り過ぎるときに座布団が1枚落ちたので、俺はそれを拾って笹本を追いかけた。

「なんだってんだよ?」

「……早乙女が」笹本は息を切らしながら。

「早乙女がどーかしたって? もうガッコ来てんのか、忌引き明けたのか?」

 早乙女はつい1週間ほど前に母親を亡くした。美誉が告別式に行ってきたと言っていた。

「飛び降りようとしてんだよ! 屋上からっ」

 ざわっ、と血の気が引いた。

「な、なんでだよ?」

「そりゃ、お袋亡くしたショックだろ! 母子家庭だったんだぜ!!」

 そ、そっか……

「で、なんで座布団?」

「中庭にクッション敷き詰めてるんだよ! 今、曽根さんに屋上で、時間稼いでもらってるんだ!」

 階段を3段抜かしで飛び降りながら。

「え、曽根って曽根美誉子? なんで?」

 笹本は踊り場で少し歩調をゆるめて。

「三浦、そういや二人と同じ文芸部じゃん。あの二人つきあってるみたいだぜ。気がつかなかったの?」

 げっ。

 階段を踏み外しそうになった。



 

……夏休みくらいから、アヤシイとは思ってたんだよな。

 現在、俺たちがいるのは、文化祭中の文芸部室で、俺は店番をしながら、『出る熟』を一応

手にはしていたが、視線は活字の上を滑っているだけ。

 会誌を売るブースは中庭に出しているが、部室の方では「読書相談室」という企画をやっている。読書に

ついての悩みに……例えば、失恋を癒す超かっこいいハードボイルドありませんか? とか、落ち込んだ

時に道を示唆してくれる名言が満載な、名作ハードボイルド紹介してください……とかいう悩みに

お答えしようという企画だ。

俺の胸には「ミステリ・ハードボイルド担当」という名札。

 早乙女の胸には「純文学担当」。

 どっちが頭良さそうに見えるかってーと……ま、微妙だな。

 しかし、この企画、大方の予想通り、閑古鳥が鳴きまくっている。

 中庭の模擬店や、1,2年のクラス展示のあたりのにぎわいは、ここにいても感じられるほどだが、

南校舎3階の一番奥の図書館の、そのまた奥の文芸部室までやってくる酔狂な客などいないということか。

 それとも、企画が一般受けしないのか?

 部室、大掃除したのに。

―――誰の企画かと言うと……俺だよ。

 早乙女と俺が当番をしているところに、美誉が差し入れにやってきたのだが、それ以外ここ1時間客は

なし……美誉は、早乙女の向かいに机を挟んで座っているが、さぞかし椅子が冷えていたことだろう。

 ところで、タコ焼きを食べつつ、二人は、やたら俺に気をつかって、話に引きこもうとする。

 ねえ、三浦も読んだ?

 とか、

 そういうのって、三浦の得意分野じゃん?

 とか……

 でも、俺は憮然としてそれに生返事を返すばかり(タコ焼きは食ってるが)。

 二人は俺を巻き込むのを諦めて、今は、二人の世界を形成している。

 特にいちゃいちゃしているわけでもないし、机を挟んで談笑しているだけなのだが、明らかに二人の

間には違う空気が流れている。

 例えば、飲み物を持たずにタコ焼きだけ買ってきた美誉は、躊躇なく、机の上にあった、早乙女の

ペットボトルに口をつける。早乙女もまた、それを何とも思っていない様子。

 作家的観察眼で言うと、これは二人の肉体的親密さを現してるということになる。

 俺はそれを眺めて、自虐的な気分に浸っているわけだ。

 美誉は、仲の良さを見せつけるため、ここにいるわけでないことは解っている。でも、余計な気遣いは、

俺には、無用だぜ。

 ふっ。

 俺ってば、やっぱ、ハードボイルドかも……



 

 笹本とともに、座布団を持って中庭に降りた頃には、通報したのだろう、消防車かパトカーのサイレンが

聞こえてきた。

 見上げると、南校舎屋上のフェンスに、中庭に背中を向けて座っている、白い人影。

 それを見た途端、全身に鳥肌が立った。

 中庭では、主に理系クラスのやつらが、必死でマットや布団を並べていた。

 早乙女と同じホームルームの高橋が、泣きそうになりながらその場を仕切っていた。

「その岩のあたり、隠せ! 一番厚いので!」

 陸上用の、ハイジャンプや棒高跳びなんかに使う、大きくてぶ厚いマットに、近くにいた俺はじめ

10人ほどが飛びつき、池の向こうの大きな庭石の上に運ぼうとした。

 その頃には、教室にいた生徒たちも中庭の騒ぎに気がつき、中庭を見たり、屋上の人影に気がついて、

指さして悲鳴を上げたり。

 大騒ぎ。

 靴やスボンが濡れるのも構わず、俺たちは池を渡ってマットを大急ぎで運んだ。

 確かに、あそこからだったら、このへんに落ちそう、と思った瞬間。

「落ちたぁああ!!」

 誰かの絶叫がした。

 俺は空を見上げた。

 白い背中が、青空に舞っていた。



 

「きゃあ」

 開けっ放しの部室のドアの外から、黄色い悲鳴がした。

「二人でいるぅ」

「きゃあ、ラッキー」

 言葉尻にいちいちハートマークがついてそうな口調で騒ぎながら、うちの学校の制服を着た女の子が

ふたり、顔を出した。下級生っぽい。

「読書について、ご相談ですか?」

 俺は精一杯愛想よく立ち上がった。

「え、あー、私たちぃ、早乙女さんと曽根さんのファンなんですぅ」

「写真撮らせてもらっていいですかぁ?」

 早乙女と美誉は顔を見合わせて。

 早乙女は、女の子たちに見えないように、明らかにとっても嫌そうな表情をした。

「えっと、1枚だけにしてくださいね?」美誉が苦笑しながら言った。

「はーい、やったぁ」

「ありがとうございまぁす」

 二人に結婚式の記念撮影のようなポーズをとらせ、散々時間をかけた一枚をゲットした女の子たちは、

スキップしかねない勢いで嬉しがって去っていった。

「やれやれ」早乙女は所定の位置に座り直すと、大きく溜息をついた。

「仕方ねえだろ、あんだけのことやらかせば」客ではなかった無念さを、八つ当たりしてみる。

「う、それを言われると……」早乙女は大げさに胸に手を当てた。「……でも、アブナイ奴だって

避けられてた方が楽かも……」

「まあ、腫れ物に触るような扱いをされるより、マシだと思うしかないでしょ。それにしても、なーんで、

私まで……」美誉がぼやく。

 私まで、じゃなくて、お前も注目の的になってんだよ。

 彼氏の自殺を体張って止めた、ということで、美誉は一躍、ロマンスのヒロインになった。実際、屋上で

二人が交わした会話は、数名の先生が聞いていただけで、生徒は誰も知ってるわけないんだけど、

まことしやかな噂が全校に流れている。もちろん、でっかい尾ひれつき。

 あなたが死ぬなら、私も一緒に逝く!

 と叫んで、フェンスに登りかけたとか。

 私のお腹には、あなたの子どもがいるのよ!?

 と言って動揺させて時間を稼いだとか。

……ありえねえ。

 更に、もともと、早乙女はこの美形っぷりだから、潜在的にファンが大勢いた。美誉だってまあまあ

美人といえなくもないし、正にロマンスにはうってつけの二人というわけで。

 そして、フリルやレースのついてそうな尾ひれと共に、二人はN高一のカリスマ・カップルに祀り

上げられた。

 現実の二人は、タコ焼き食って、お互いの歯についた青のりで大笑いしてたりするんだけどな。



 

 白い背中は、スローモーションのように放物線を描いて俺たちの方に落ちてきた。

 避けようとは思わなかった。

 俺だけじゃない、誰もがその場で、その背中を目で追い、マットを掴んでいた。

 絶対受け止めてみせると、決意していた。

 それと同時に、大量の座布団やクッションや布団がマットの周囲に投げ込まれた。

 その、大相撲の大一番後のような光景も、俺には、スローモーションに見えた。

 白い背中は、人の形を取り。

 その人の形は、早乙女になり。

「うおおおおおっ」

 俺だけじゃなく、みんな叫んでいた。

 ぼすっ。

 マットが二つに折れるような勢いで、早乙女はその真ん中に落ちた。

 マットにしがみついていた俺が、その勢いで跳ね飛ばされそうになるくらいの重力がかかった。

 早乙女は、マットから跳ね上がり、座布団の山の上に落ち、そのままずるずると滑って、池の畔の低木の

植え込みにつっこみ、やっと止まった。

 中庭は、静かになっていた。

 マットや座布団にしがみついている奴らも。

 教室から顔を出しているやつらも。

 みんな、植え込みに仰向けで倒れている早乙女を見つめていた。

 白い……白い顔……

 まぶたは静かに閉じられて。

 頬には赤い血がべっとりと。

 その顔には、苦痛も苦悩も、何の表情もない。

 固唾をのむ、という感じで、俺たちはその場に動けず、じっと早乙女を見つめるばかり。

 と。

 カサ、と葉擦れの音がして。

 植え込みから、早乙女の右腕がゆっくりと上がった。

 まぶたが細く開き、かざした自分の手を、眩しそうに、不思議そうに眺める。

 時間の流れが、急に正常になる。

「あ……さ、早乙女ぇぇっ」

 池の中に立ちつくしていた高橋が、駆け寄った。

 俺も。

 みんなも。



 

 助けなきゃ良かったかも。

 二人のラブラブっぷりを見るにつけ、段々そう思えてきたり。

 しかし、早乙女が、もしあのまま死んでたら、美誉のショックはいかばかりだったろうかと……こんだけ

幸せそうな笑顔を見せつけられれば。

 惚れた女のために、恋敵の命を救うなんて、正にハードボイルドか……

 ふっ。

 俺の葛藤など知るよしもなく。

「三浦にもこれあげる」

 美誉はいかにもパソコンで打ち出しましたというチケットを俺に差し出した。

「……ナマオケ喫茶?」

「うん。吹奏楽部の模擬店。ナマオケ演奏で歌えるよ。音楽室でやってまぁす」

「俺の持ち歌、B’zだぜ? ナマオケなんかできるのか?」

「あーそりゃまー、レパートリーは20曲くらいですので、その中からお選び頂かないとですけど。

しかも演歌中心だったりするんだけど。ちなみにキーも変えられませんが」

 早乙女が美誉の背後で必死に笑いをこらえている。その手にも、同じチケット。

「……行かね」



 

 俺たちは、おそるおそる早乙女を覗き込んだ。頭を打ってるかもしれないケガ人は動かさない方が

いいという知識と冷静さくらいは、みんな持っていた。

「早乙女……」

 高橋が鼻をすすりながら名前を呼ぶと、

 自分の手をみつめていた早乙女の視線が高橋の方に動いた。

 呆然と、無表情のままで。

 自分が今どこにいるのか…文学的に言ってみれば、彼岸か此岸か、判断しかねているような感じというか。

「ばかやろぅ……こんなことして、お袋さん、喜ぶかよぉ」

 高橋はダッサイ紋切り型の説教をして泣き崩れたが、その時は、俺も全くその通りだと心から思った。

 早乙女は無表情のまま手を下ろし、視線を自分が飛んだ屋上に向けた。

 俺もつられてそちらをむくと、フェンスのてっぺんにしがみついて、誰か先生らしき人影がこちらを

見下ろしていた。

 早乙女の口が動いた。声にはならなかったけど。

「なんだ?」

 俺は奴の口に耳を近づけた。

 と、バタバタと足音がして、振り向くと、先生に伴われた、オレンジ色の制服を着た救急隊員が数名、

猛烈な勢いで中庭に駆け込んできた。

 俺たちは慌ててケガ人の周りからどいた。

 早乙女はあれよあれよと言う間にタンカに載せられて、搬出されていった。

 その後、なぜか美誉も一緒に救急車に乗せられていったと聞いて、
俺は大いに動揺してしまって……くそ。

 それで忘れてしまっていたのだけれど、落ちた直後の早乙女の声にならない言葉は、あれはおそらく、

「曽根さん」

と言ったのではなかったかと、俺は今になって思うのだ。

しっかし、その後の中庭の片づけの大変なことったらなかった……



 

「あ、もう集合時間だ」

 美誉は腕時計を見て、立ち上がった。

「じゃあね、行ってきます」

 1時間後に講堂で吹奏楽部のステージがあって、美誉は3年の分際で、まだ出演するのだ。

 大体、進学校でいい加減秋も深まってから文化祭というのが、イマドキ珍しいんじゃないかと思うのだが、

文化祭の名前が「秋燈際」というので、春にやるわけにもいかないのだろう。だからというわけでは

ないだろうが、文化祭は2年に1回しかない。なので、3年の分際でも、つい一生懸命参加してしまうのだ。

3年は、クラス展示はさすがにないが、その多くが引退しているにもかかわらず、部活の模擬店や展示、

イベントを手伝っていると思われる。

 まあ、文化祭中欠席して、せこく秘密勉強しているヤツもきっといるんだろうけど。

「聴きにいくからね、がんばって」

 早乙女はにこやかに美誉を励まし、

「ありがと。じゃあね、こっちもお客さんくるといいね。こないと思うけど」

「うるせぃ」

 美誉は手を振って文芸部室を出て行った。

「三浦、時間になったら一緒に聴きに行こう」

 早乙女が、タコ焼きのパックをゴミ箱に捨てながら言った。

「あー?うー、まあ、行ってやってもいいかな。ちょうど交代時間だし、ナマオケよりは良さそうだしな」

「うんうん」早乙女は笑って頷いた。



 

 救急車で運ばれた二人は、そのまま入院してしまった。

 美誉の見舞いにいきたいと思ったが、行こうと思っているうちに3日で退院してしまい、

家まで行く勇気は出なかった。

 いや、いっとけば良かったのかも……俺だって美誉のことを、まだ諦めたわけじゃないって、

アピールするチャンスだったのかも……

……まあ、無駄だったろうけどな。

 事件から1週間経って、二人は揃って登校してきた。

 額に絆創膏が張ってあるだけで、美誉子は事件前と何ら変わりない様子だったが、早乙女は顎にかかる

くらいだった髪をばっさり切ってきた。

 髪色と相まって、モンチッチ……と言いたくなるほどの短髪にしたわけだが、悔しいがそれでも美形は

美形である。

 悔しいけど、美しいものを美しいと言えなければ、文学をたしなむものとしては失格であるからして、

俺は言うのだ。

 髪を短くして露わになった顔には、擦り傷やかき傷が生々しく残り、首にはごっついギプスをはめて

いたけれど、しかしそれでも表情は明るく、

 こいつ、何かをふっきったんだな。

 そう思った。

 早乙女は復帰第一日目を、中庭で大奮闘したひとりひとりに礼を言って回るのに費やしていた。

 もちろん、俺のところにも来た。

「ありがとう」

そう言って、俺に深々と頭を下げた早乙女に。

「ま、これで一つ貸しってことで」

「え」

早乙女は不安げに顔を上げて。

「泥棒シリーズ(この場合当然ブロックである)の新刊が出るんだよなあ」

 そう言うと、ヤツは嬉しそうに笑って。

「先に読んでからでいい?」

 こんな感じで、早乙女はひとりひとりに頭を下げ、説教され、そして、改めてひとりひとりと

友達になった。

 墜ちたことによって、ヤツは謎めいた美貌の転校生から、“仲間”に昇格したのだ。


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