イルミネーションが消えても 1



 掌に汗かいてきた……

 無意識にパンツの腿に掌をこすりつけたが、今夜のために奮発したレザーパンツは汗を吸い取っては
くれなかった。逆に、ぬるりとした気色悪さが残る。

「ええと、そんで次の歌ですがっ」
 ステージ中央に立つ、ロックバンド“rainy moon”のボーカルKimiさんは、つい数十秒前まで
歌っていた激しいナンバーの余韻か、そこで噎せ、マイクを顔から遠ざけた。
「ごめん、まだ息切れとるわ。一口だけ水飲ませてな」
 あはは、と軽い笑いが八割方埋まった客席から漏れる。舞台袖に走っていった彼は、本当に一口しか
飲まなかったのだろう、あっという間にステージの中央に戻りつつ、
「みんなも疲れたやろ、3曲立ちっぱなしやったからなぁ?」
 そんなことないよー、まだまだイケるよー、と2階席の方から元気な返事。
「そうか? 若いなぁー」
 Kimiさんは声の方に手を振った。また客席のそこかしこから笑いが漏れ、広い仙台Iホールは、
和やかな雰囲気に包まれる。
「次は、新しいアルバムから、俺らにしては、割かし可愛くてしっとり目のナンバー歌うから、
みんなはゆったり座って聴いといてな……ってここまで言うたら判るか? 特に今夜のお客さんは
ピンとくるやろか」
 ヒントめいたMCに、ホールは風が吹いたようにどよめき、ある歌のタイトルが何人からか叫ばれる。

 そのタイトルが、俺に、文字通りの武者震いを引き起こした。震えの余り、座席の肘掛けに載せていた
右肘が、隣に座っている彼女の腕に当たってしまったほど、強く。
「あっ、ごめん」
 小声で謝ると、ステージに集中していたらしい彼女がちらりとこちらを向き、小さく首を振って
微笑んだ。
 いつにない緊張っぷりに、自分が情けなくなる。俺ってば、こんなに小心者だっただろうか? 
それよりなにより、ちゃんと声が出るんだろうか、こんな状態で……

「そやそや、次は『クリスマスが待ちきれなくて』やでー」
 歓声と拍手が起こる。
「この曲は、メンバー外のミュージシャンに初めて作ってもらった曲なんやけど、いきさつを、
一応説明しとくなー」
 Kimiさんは、rainy moonのギター・Yukiが宮城県出身者であること、その音楽仲間の仙台在住の
ストリート・ミュージシャンが作った曲であること……を、おもしろおかしく語ったが、俺にとっては
そんなこと周知の事実ってか、俺の曲や俺自身について説明したMCなんて聴くだけ緊張を増幅するだけに
決まってるから、必死で鼓膜にシールドをかけて聞き流した。隣に座っている彼女は楽しそうに、
くすくすっ、としきりに笑いを漏らしていたが。

 やっぱり客席からの登場なんてカッコつけた演出、断れば良かった。出番直前まで楽屋で発声練習でも
させてもらってた方が、まだ緊張しなかったかもしれない。
 いや、そもそもプロのライブで、自分の曲とはいえ飛び入りで歌うなんてこと、ホイホイ引き受けたのが
間違いだったのかもしれない。仙台公演限定とはいえ、こんな企画誰が考えたんだか……
 それに悪いけど、こんなにお客さんが入るとは思ってなかったし。rainy moonは、メジャーデビューして
3年、シングルもアルバムも安定した売れ行きを見せているけれど、あくまで低空飛行で
安定しているものだとばかり。

 ヘタレな自分を棚に上げ、プロデューサーを恨みそうになった瞬間。
 ふわ、と。
 太腿に置いた……というか貼り付いたように固まっていた手に、温かいものがかぶさってきた。

 白い、ほっそりとした手が、俺の手に重なっていた。

 彼女が、俺を見て微笑んでいた。
 薄闇に浮かぶ白い顔が、すっと近づいてきて。まるで唇が耳に触れそうなほど近づいてきて……ドキリとする。
「浄くん、深呼吸」
 柔らかな囁き。

……彼女から見ても緊張してるのが判るのか?

 ますます凹みそうになったが、言われたことは尤もなので、頷き、重ねられた手の温もりを感じながら
目を閉じ、腹の底までめいっぱい息を入れるつもりでゆっくりと鼻から息を吸った。息を止め、
8秒ゆっくりと数えてから、ことさら腹筋に意識を集中しつつ、なるべく少しずつ、
一定のスピードで口から吐く。ふうっ、と最後の息を吐ききった瞬間、

「大丈夫だよ」
 また温かな吐息。

 すっ、と心の底が、凪いだ。フィジカルの方は、心臓はまだバクバクしてるし、手先や足先はひんやり
してるのに、額のあたりは軽く頭痛を感じるくらいに熱いという、テンパった状態のままだけど、
それでも気分だけは少し落ち着いた。

「……ありがとう」
 小さく答えると、彼女は無言で頷いた。

「というわけで、今日は、作曲者の浄(じょう)くんに来て貰ってますっ。浄くーん、どこや〜?」
 ステージ上のKimiさんは、わざとらしく右手を額に翳して客席を見渡す。
 俺はきゅ、と彼女の手を一瞬強く握ってから、微笑むその瞳を覗き込み、
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。しっかり聴いてるから」
素早く囁き交わし。
 手を振り切るように離し、尻をシートから引きはがすように勢いよく立ち上がる。
 わき起こる拍手に何度か頭を下げてから、ボーカルの手招きに応じ、自分のものでないような
ふわふわした足下を必死に律しながら、拍手の中、小走りにステージに上がる。

 ステージ上は、予想外にライトが暑くて眩しくて、一瞬くらりとした。けれど進行的には、ここまでは
しっかり、お客さんたちの反応も含め、プロデューサーの想定通り。想定外なのは、俺の緊張っぷりだけ、
ってなもんだ。
 ステージがあんまり明るくて、客席は暗がりにしか見えないが、拍手に向かって、また何度か頭を
下げる。袖から走ってきたPAさんが黒子のように素早くマイクを渡し、イヤホンをつけてくれた。
 と、マイクのスイッチが入るのを待っていたかのように、Kimiさんが、
「浄くん、この歌について、前から訊こう訊こうと思うてたことがあるんやけど、今ここで訊いて
ええかな?」
 打合せでは、すぐに歌に入るはずだったのだが、Kimiさんは俺の緊張っぷりを見てとったのか、
軽やかな関西弁で(rainy moonのメンバーの中では彼だけが関西人で、そして何年たってもコテコテだ)
質問を振ってきた。
「お客様の前で答えて構わない内容だったら、いいですけど?」
 あ、良かった、声、意外と震えてない。
「いくら俺でも、こんなトコでヤバいシモネタとか振らへんわ! そういうんは打ち上げにとっとくし」
 客席はまた柔らかな笑いに包まれ、俺も少しだけ笑えた。
「ならどうぞ」
「なら、ってのちみっとひっかかるけど……まあええわ、あのな、この歌『クリスマスが待ちきれなくて』
って、つきあい始めたばっかりの恋人たちの歌やろ?」
「ええ、そうですね、あるいは友達以上恋人未満のふたりとかをイメージして書きました」
「歌のふたりは、仙台のかの有名な“光のページェント”ってヤツにバイクでデートに行ってるんやね?」
「そうです。毎年12月の中旬から大晦日まで開催されてます。綺麗ですよ」
 今年もあと一ヶ月くらいで始まる。
「綺麗なんやってなぁ、俺も一度見てみたいわー。それに、ページェントの時期にこの歌を仙台で
歌えたら、一層盛り上がったやろに、とも思うしな」
 Kimiさんは本気で残念そうに唇を尖らせた。
「残念なことに、来仙がちょっと早かったですね」
「ホンマや。ツアーのスケジュールとはいえ、残念やわー、ページェントの時期に来れたら、イベント
とかに飛び入りして、この曲歌わしてもらえたかもしれへんのに」
「かもしれませんね、ってかむしろ、ページェントのキャンペーンソングとして売り込んで
欲しかったってか」
 半ばギャグ、半ば本気でずうずうしいことを言ってみると、
「あっ、ホンマやっ、営業、何ボケかましてんねんっ」
Kimiさんは舞台袖を振り返り、客席はどっと笑った。
「アルバムが出たのが10月だから、売り込みかけても、時期的に間に合わなかったかもしれません
けどねー」
 ふと気づくと、笑いながら話しているうちに、足下のふわふわ感が薄らいで、しっかりとステージに
足をついている感覚が戻ってきていた。少々強引でも、MCを振ってもらって良かったかも。
「それもそやなー、ほんなら、ぜひ来年には……て、こら話逸らすな! 俺が浄くんに質問してんねんで!
あのな、訊きたかったのはな、これの詞て、浄くんの経験談なん? ってことなんやけど」
 ぶっ、と俺は噴き出しそうになり、同時に、わあっ、と客席が更に沸いた。
 彼女が座っているはずの1階席真ん中からちょっと右あたりにちらっと目をやった。きっと彼女も
このツッコミに驚いて、そして激しく照れているだろうなと思って。相変わらず暗い客席のこと、
見えるはずもないのだが。
 緊張で火照った顔が更に熱くなったのが自覚されたが、精一杯ポーカーフェイスの苦笑を作り、
「いや経験が生きてないってことは無いですけどね、それだけじゃないですよ。Kimiさんだって詞書く時は
そうじゃないですか? 虚実入り混ぜて、でしょ?」
 Kimiさんも苦笑して、
「浄くん、一般論のツッコミ返しでごまかそうとしてへん?」
……その通り。
「まあええわ、時間なくなってまうからな、今日のところは勘弁したる。お客さんも仲間内の雑談ばっか
してないで、ええかげん歌えって思ってはるやろし。でも、もういっこだけ訊いてええ?」
「……なんでしょう?」
「浄くんのバイクって何cc?」
げ、そうきたか……
「……450ですよ」
 小さな声で答えると、Kimiさんはにやりと化け猫めいた笑みを見せ(つり目のせいもあるが、
今夜は髪がゴールドとブラウンのメッシュなので、余計猫めいて見える)、
「ははぁ、やっぱ浄くんはバイク乗りなんやなー。ってあたりが判明したところで、ほないこかー、
『クリスマスが待ちきれなくて』仙台限定バージョンっ!」
マイクを振り上げ、くるりと舞台中央で大きくターンした。
 客席の爆笑を突くかのように、ドラムがスティックを2回だけ打ち鳴らし、イントロが弾けるように
スタートした。

 この『クリスマスが待ちきれなくて』、元々出だしはポップな曲なのだけれど、今回の
rainy moon全国ツアー版は更にテンポ速めの上ブラス・セクションを入れて、ポップ度がupされている。
Kimiさんは大きくステップを踏みながら、ステージ中を駆け回る。観客は、座ってこそいるが、自然と
手拍子が起こっている。
 俺はステージの後方、ギターの後ろあたりまで下がり、邪魔にならない程度に時々ハモリを入れ、
声の具合を確かめる。
 ちらり、とギターが……俺の元相方のYukiが、こちらを心配そうに見たので、歌いながら小さく
頷いて見せる。
 声はバッチリ。午前中のリハーサルできっちり作ったから調子自体は悪くない。緊張具合も、
Kimiさんと、そして彼女のおかげで、一時よりは大分マシだ。笑ったせいか、手先足先にも血が
巡ってきている感じがする。息も深く吸えている。

 大丈夫。
 大丈夫だ。
 歌える。
 なにせ、俺の曲なんだから……

 曲はあっという間に2番に突入し、俺はハモリをいれながら、少しずつ前へ、ステージの中央へと
戻っていって……そして。
 サビに入ったところで、ストン、と、断ち切られたかのように、バンドの音が止み。
 ピタリ、と手拍子も止み。

―――タンデムで流した定禅寺通り

 倍ぐらいに曲のテンポを落とし、ステップを踏んでいた足をステージ中央に踏ん張るように仁王立ちし、
Kimiさんはアカペラで静かにサビを歌い始めた。
 それに並んで立った俺も、1拍遅れで対旋律を歌い出す。

―――Ave Maria!

 Kimiさんのハスキーで野太い声に、俺の声が絡みついていく。俺の細い透明感のある声は、Kimiさんの
声と、異質ではあるが意外と馴染むことは、これまでのレコーディングやリハーサルで良く分かっている。
まるで、杉の古木に、紅葉した蔦の葉が絡みつき、競い合い天を目指しているかのように、
色彩感が増幅される。
 どこまでも、どこまでも、絡み合い、伸びていく。

 君の声はキレイすぎて印象に残らないんだよね。

 東京でオーディションを受けまくっていた頃、某大手レコード会社のエラいさんに
そう言われたことがある。
 ひどく傷ついて―――だって、この声は、この声で歌うことだけが、俺のプライドだったから。
だからこそ、潰してしまおうかと本気で考えたりもして。

……でも、良かった。
 潰さなくて、良かった。
 歌い続けてきて、良かった。

 ホールの隅々を、Kimiさんと俺の声が満たしているのを感じる。
 ふたりの声だけが、濃密に、この広い空間を満たしている。

 伝わるかな。
 伝わっているだろう。
 今俺を満たしている、充実感。
 そして感謝の気持ち。

 無意識のうちに、マイクを握っていない右手を高く上げていた。もっと遠くに、もっと高みに、
もっと強く、届けとばかりに。

 少なくとも、彼女には届いているだろう。
 相変わらず客席は暗くてもちろん見えっこないのだけれど、それでも俺は感じる。涙ぐみつつも、
耳を澄まし、俺を凝視している彼女の姿を感じることができる。

 高く上げていた手を、ゆっくりと客席に向かって下ろす。客席で聴こえている声は、
PAで増幅されているものだけれど、それでも、今の想いを届けたくて。

 こんな華やかな舞台で歌うことは、もう一生無いかもしれないけど。
 俺の音楽活動は、今後は裏方としての比重が大きくなっていくのだろうけど。
 それでも、歌い続けてきて、本当に、良かったと思う。

 貴女に出会えて、本当に、良かった―――

                                   
                                NEXT  作品目次