イルミネーションが消えても 2

 

 やっぱり、rainy moonのライブが発端だったんだろうな―――

 あのライブはもう2ヶ月前になるのか、と、少々しみじみした気分になった。トイレ掃除をしている
最中だから、余計に。

 いや、あの歌を……『クリスマスが待ちきれなくて』を書いたことがそもそもの発端だったとしたら、
1年以上も前に、この狂乱のひと月の種は蒔かれていたってことになるか?

 水洗の弁を捻り、ほぼ1週間ぶりに白い輝きを取り戻した便器に渦巻く水の流れを、
何となしに見つめる。

 でもやっぱり、あのステージで歌わなければ、FMのディレクターの耳に止まることも
なかったわけだしな……


 rainy moon仙台公演の次週、俺は地元ローカルFM局の、地元密着で様々な活動をしている若者を
紹介する番組に、急遽出演した。ライブに、そのFM局のディレクターが来ていて、終演後すぐに
ステージ裏で依頼されたのだった。
 いきなりの出演依頼にはもちろん驚いて、即答も避けたが、生でなく収録だったし、なにしろ
仙台ローカルだし、一応職場でお伺いを立てたら、上司は面白がって行ってみればーと言ってくれたし、
というわけで、結局、割と気楽に、rainy moonのCDやライブに参加させてもらった余録のような気持ちで
出演を了解した。
 収録は1時間ほどで、インタビューと、『クリスマスが待ちきれなくて』を歌ったのだが、実際の放送は
30分。数日後の放送だったので、配達の車の中でに聴いたのだが、ラジオから聞こえてくる自分の声には
ものすごく違和感があって……特に話し声には。内容も、編集されてるせいもあるだろうが、こんなこと
俺言ったっけ? 別人じゃね? みたいな感じで、嫌な汗が出た。
 そのFM出演については、上司や同僚や、地元から仙台に出てきている友人たちにしばらく
冷やかされただけで、それで終わり―――ではなかった。


 トイレは大凡許せる程度にキレイなったと判断し、今度は風呂にかかる。
 彼女は、部屋が散らかっていたって、掃除が行き届いていなくたって、文句を言ったりしないの
だけれど。ってかむしろニッコリ微笑んでちゃっちゃと掃除を始めてしまうタイプなので、だからこそ、
彼女が部屋に来る日だけは、多少なりとも綺麗にしておかねばならないと思うのだ。


 今度は、そのFMを聴いた仙台市中心部の商店街の組合の役員から、突然依頼が飛び込んだのだ。
rainy moon版ではなく、俺の、浄版の『クリスマスが待ちきれなくて』を、光のページェントの、
商店街のイメージソングにしたい、と。(あくまで商店街の、だ。公式イメージソングはちゃんと
別にある)
 しかも、ついては、レコーディングをしないか? という提案まで。
 ものすごく驚いた。あくまで“地元の商店街”とはいえ、そんな華々しい場に俺の歌が使用されるなど、
12月の台風くらい想定外。
 まだ若い役員は音楽業界にも詳しいらしく、俺に依頼をした時にはすでに、仙台を地盤とした
インディーズ・レーベルにレコーディングの打診をしていた。仙台発で現在は全国区でバリバリやってる
某メジャーバンドも、インディーズ時代にCDを出していたという、インディーズ業界では結構有名な
レーベルだ。rainy moonが所属している某有名レコード会社の子会社でもあり、契約も難なくクリア
できるので、こちらの依頼も断る理由はない。ってか、一介のストリートミュージシャンにとっては、
ただただありがたく伏し拝みたいようなオイシイ話であることは間違いない。
 ただし、スケジュールにどう見ても無理があった。光のページェントが始まるまでにCDを発売したいと
いうことで、いきなり依頼の次の週に録るというのだ。
 2曲だけとはいえ、それは幾らなんでも無茶なんじゃないかとはおそるおそる進言したのだが、
ページェントまでにそれなりのCDを作るには、ギリギリのスケジュールなのだと強烈に
ごり押しされ……
 結局、レコーディングまでの5日間、職場の同僚何人にも頼み込んで早番のみのシフトにしてもらい、
毎晩夜中までカラオケボックスで練習をした。
 その間、1日だけ休みがあったのだが、当然レコーディングの打合せとリハーサルに費やされた。実は
この日の夜は、今年最後のストリートライブと、その後には彼女と飲みにいく予定になっていたの
だったが、当然全てキャンセル。電話の向こうの彼女はもちろん文句ひとつ言わずに了承してくれたが、
俺からの電話を切った後、密かに溜息を吐いていたかもしれないとは、ちょっとだけ感じた。少なくとも
俺は、10回くらいは彼女を思い浮かべながら溜息を吐いたから。だって、rainy moonのライブ以後、
一度も会ってなかったのだ。件のライブだって、出番までは彼女と一緒に聴いていたけれど、その後
俺は楽屋に引っ込んでしまったし、終演後もそのままバンドのメンバーの打ち上げに引きずりこまれて
しまったし、彼女を送っていくことすらできなかったってのに。

 とにかく、俺にとって初の本格的なCDは……デュオでやっていた頃には自主製作的なCDを作った
こともあったし、オーディションのためにしょっちゅうスタジオで録音をしていたけれど、ソロでは当然
初めてだし、インディーズとはいえ、何百枚という単位で刷られ、市販されるなんてのは
あり得なかったから……練習期間5日、レコーディング1日で、即製されてしまったのだった。
正直言って、少なからぬ忸怩たる思いはあったのだが、しがないアマチュアが……強気に自称してみても
せいぜいセミプロが、スポンサーとレコード会社の意向に逆らうことなどできはしないのだ。

 しかし、忸怩たる思いを抱えながら、繁忙期まっただ中の本業に邁進しているうちに(俺の本業は
宅配便の配達員だ)、いよいよ光のページェントが始まり、俺の歌が商店街のあちこちで
流れるようになり、同時に即製CDが仙台市内のいくつかのCDショップで発売された。
 すると俺としては結構意外だったことに、CDの売れ行きは上々だった。多分に季節ものであることや、
ページェントのせいで町中が高テンションにあることも影響しているだろうが、もちろん商店街上げて
盛り上げてくれたおかげが大きいだろう。
 俺の、本業の配達担当地域は中心商店街からは離れた仙台市北部のニュータウンだが、時々郊外の
ショッピングセンターでもBGMとして、自分の歌がかけられているのを耳にし、そのたびに転びそうに
なったり、大事な飯のタネ……お預かりしている配達品……を取り落としそうになった。地元FM局でも、
出演したよしみもあってかしょっちゅうかけてくれたので、運転が危うかったことも幾度もある。

 出足好調なのを見てとった発売元のレコード会社は、版を重ねる決定と共に積極的に売りこみをかける
姿勢をとりだし、12月中には2度、販促として、CDショップでのインストア・ライブをやった
……てか、やらされた。これも突然セッティングされたので、本番まで一週間もなく、かなり慌てた。
ミニライブとはいえ当然練習しなければならないし、仕事もまたレコーディング前のように、調整して
もらわなければならない。1日目は何とかローテーションをやりくりし、休暇をとれたのだが、
2日目は早引きして職場からライブ会場に直行しなければならなかったという強行日程だった。
 これだけ熱心に売ってもらってこんなこと言うのはナンなのだが、正直、2度目のインストア・ライブを
終えた時には、これでCD発売にまつわる狂騒も一段落して、お歳暮の配達に集中できるだろう、と
心底ホッとした。


 風呂も、毎日シャワーでザッと流すくらいのことはしていたが、スポンジで洗ったのは1週間以上
ぶりなので、底の方にぬめりを感じた。ぬめりを残していたら、彼女が不快だろう、と思い、洗剤を
泡立つほどたらして、力を込めてこする。
 掃除は嫌いではない。いや、決して好きとは言わないが、あまりに不潔なのは嫌だから、仕事が
休みの日には、ザッと家中ひとまわり掃除する習慣くらいはついている。部屋に来た人たちに、
男の一人暮らしにしてはまあまあだね、と言われる程度の綺麗さ、ってか汚さ加減は保っているつもり。
 だが、ここ1週間以上も掃除できなかったのは、本業が8日連続休み無しだったからで―――


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