イルミネーションが消えても 7
 

……この状況を、どう解釈すればいいんだ?

 俺はちびちびとワインを舐めながら、目の前の女性ふたりを、こっそりと観察していた。ふたりは、
数年来の友人のように顔を寄せて、今日送られてきていた仙台のタウン誌の最新号を仲良さそうに
見ている。例の、俺が歌った年越しライブの記事を見ながら、楽しげに笑い交わしたりさえしている。

 つい2時間ほど前の嘘八百……俺とつきあってたとか、まだ切れてないとか……アレについてユカは、
「ギャグに決まってるでっしょー? 浄ってば、何マジになってんのよ。一回、こういうシチュで、
ああいうこと言ってみたかったのよぅ」
と、ケラケラ笑い、一方の彼女は、
「あら、ユカさんの目が笑ってたから、すぐに冗談だって判ったわよ?」
と、いかにも綺麗なおねえさん風のしとやかな微笑みでのたまった。

 そうは言われても、どこまでふたりの言い分を信じるべきかは……甚だ疑問だ。

「浄! こんな楽しそうなライブやったんなら、アタシも呼んでくれなきゃダメじゃんっ」
 ユカは、赤くなったほっぺたを膨らませた。
 今夜はイタリアンだと彼女に事前に知らされていたので、仕事帰りに調達しておいた
キャンティ・クラッシコを、コイツはひとりで3分の2ほども飲んでしまった。俺は、今夜これからの
展開がどうなってしまうのか気が気じゃなくて、とてもじゃないが酔っぱらう気になれず、まだ2杯目を
ちびちび舐めている状態だし、彼女に至っては、乾杯でわずかに口をつけただけで、グラスの中身は
全く減る様子を見せない。
 ちなみにラザニアも、おいしいおいしいと連呼しながらユカがひとりで半分以上食いやがった……
「なんでお前なんかわざわざ呼ばなきゃなんだよっ」
 本当だったら、彼女とふたりでラザニアで赤ワイン、という優雅な夜のはずだったのにっ、という
恨みも込めて乱暴に答えたが、ユカは全くこたえた様子は無く、ルージュが半ば剥げた唇を突き出し、
「だって仲間が出世した姿、見たいじゃんっ、吉祥寺ブライアンズのミューズとしてはさ?」


 吉祥寺ブライアンズ、というのは俺が出た音楽専門学校の学生たちが根城にしていたライブハウスだ。
ユカも同じ学校の同級生なのだが学科が違うので、知り合ったのは、学校ではなく、
このライブハウスでだった。
 俺は音楽アーティスト養成コースに所属していたが、ユカは芸能マネジメントコースの学生だった。
一応、ミュージシャンのプロデュースがしたいという夢があったらしい。しかし、学校にはあまり熱心に
通ってる様子はなく……学校でユカの姿を見かけたことは2,3度しかなかった。きっちり卒業したのかも
不明。少なくとも俺の知ってる範囲では、学校を卒業(か中退)してからは、優雅な家事手伝い。
 学校にはいたためしのないユカだったが、ブライアンズでは毎日のようにその姿を見ることができた。
そして、確かに表では“ミューズ”と呼ばれていないこともなかったが、野郎共は、裏ではユカのことを
“ブライアンズのあげまん”と呼んでいた……
 このデリカシーのカケラもないニックネームは、ある噂によるものだ。

―――ユカと寝ると、オーディションやライブで、良い演奏ができる。

 全くもって下品というか、男の幻想丸出しのこのような噂が、ブライアンズを根城にする
男性ミュージシャン(いやあくまでミュージシャン志望か)たちの間でまことしやかに流れていたのだ。
 そんなあり得ない噂、俺は真に受けたりはしな……いつもりではあったが、大きなオーディションの
前ともなると、どんなアヤシイ験でも担ぎたくなるのは人情で……ぶっちゃければ、2度ほど
寝ていただいたことがあったり……
 そういうヤバい弱味があるので、どうもユカを徹底的に邪険にすることができないのだ。

 とはいえ、ユカとはつきあっていたという意識は無いし、つきあおうと考えたこともなかった。
いやもちろん、幾ら音楽のためとはいえ、その気もないのに寝たことを良いことだとは決して思っては
いない。けれど、ユカ自身、決まった彼氏を持たずに、常に何人ものミュージシャンの卵たちを
傍らにはべらせていることを楽しんでいるようではあった。サラ・ベルナール気取り、と
までは言わないけれど。


「この写真、なかなか良く撮れてるよねっ」
 タウン誌の年越しライブのキラキラした記事が、俺の目の前にぐいと突き出された。ユカの酔っぱらって
いささか目の据わったニヤニヤ顔と共に。
「浄、これで顔バレしちゃって、スッピンで街歩けなくなっちゃうかもよ?」
 その記事には、歌う俺の上半身アップ……ってほどでもないが、顔が判別できる程度の写真も
掲載されている。ライブ前に、タウン誌の記者とカメラマンが挨拶に来て名刺をもらったのを覚えては
いるが、なにしろ本番中は突き抜けそうにテンパッてたので、いつ写真を撮られたのか全然わからない。
「ンなことねーよ」
 それほどミュージシャンとしての自分の存在が仙台市民に広く認識されてるとは思えないし、
12月いっぱいは街中に俺の歌が流れていたわけだが、1月に入ってからはパッタリと聴かれなく
なったし、タウン誌の小さな写真くらいで、街で声をかけられるようなことはあり得ないだろう……と
いうつもりで、俺は否定したのだが、ユカは、キャハハ、と笑ってから、
「そーだねー、浄、顔地味だもんねー、全然オーラも出てないし、フツーに街歩いてるだけじゃ
ミュージシャンだなんて誰も気づかないかー」
かるーく言い放った。
 ったく、この女っ。言われなくても、自分の顔が地味なことくらい分かってるっつーの!
「相変わらず失礼な女っ」
「えー、正直なだけだよぅ」
 ますます失礼な女っ、お前、俺をけなすためにわざわざ仙台まで来たのかよっ、と言い返そうとして、
ユカの肩越しに、テーブルの向こうの彼女の表情が目に入った。先ほどから黙ったままの彼女は、
面白そうに俺とユカのやりとりを、穏やかな……けれど、妙に冷静に感じられる視線で眺めていた。
その視線の温度がこの場のテンションよりずいぶんと低いような気がして、俺は言葉を飲み込んだ。

 と、ユカが、ふあぁ〜、と恥じらいのカケラもない大きなあくびをし、
「眠くなってきちゃったぁ。始発までクラブにいたから、今日あんま寝てないんだぁ」
そう言いながら、コロンと床に寝っ転がってしまった。その寝っ転がった顔が立派な酔っぱらい
だったので、慌てて、
「ユカっ、こんなとこで寝るなよっ、ちゃんとホテルに戻ってから寝ろっ」
肩を揺すると、ユカは不機嫌そうに手の甲で目のあたりをこすり、
「えー? ホテルなんて取ってないよう?」
 げっ!?
「ふっ、ふざけんなっ、嘘だろ?」
「嘘じゃないよう、当然、浄の部屋に泊めてもらうつもりで来たんだもーん」
 コイツ、どこまでずうずうしいんだ!?
「だっ、駄目っ、絶対駄目だっ!」
「えー、いいじゃーん、泊めてよぅ、床でいいからさぁ。今からじゃホテルもなかなか取れないしぃ」
 確かに午後10時を回ってしまったが、
「駄目だっつったら駄目だっ!!」
 だって今夜は彼女と過ごす貴重な夜。待ちに待った夜。たくさんたくさん、話さなければならない
大事なことがあるのだ。こんなお邪魔虫にいすわられてたまるか!
「いいじゃんよー、どうせアタシすぐ寝ちゃうからさ、気にしないでイチャイチャしてちょーだい」
「ばっ、馬鹿言ってんじゃねえよっ! それにそういう問題じゃ」
 ユカは指の隙間から、充血した目で俺を見上げ、

「アタシ的には、3Pだって構わないんだよぉ?」
「なっ……」

 倒れそうになった。

「あの……」
 ここ数分口を開かなかった彼女が、冷静に言葉を挟んだ。ユカの暴言はきれいにスルーして
くれたらしい。
「良ければ、ウチの事務所でお客様用に良く使ってるビジネスホテル、きいてみましょうか? 
常連だから、融通してもらえると思うんだけど」
「おっ、お願いしますっ、ぜひっ」
 俺はテーブルの上に身を乗り出して、彼女の提案に食いついた。
「ん〜」肝心のユカは大儀そうに身を起こし、「今から移動するのメンドイなぁー」
「もちろん車で送ってあげるわよ。私、殆ど飲んでないし」
 彼女はユカを宥めながら、バッグから携帯を取り出した。

 あっ、もしかして、彼女はこの状況を見越して、ワインに殆ど口をつけなかったのだろうか?
 そのことに思い至った途端、ぞくっと背中に寒気が走った。

「ビジネスだけど、とっても綺麗なホテルなのよ。女性専用フロアがあってね、その階にはアロマが
焚いてあるし、朝ご飯もパンとコーヒーは無料でいただけるし」
「うーん……」
「事務所の名前で予約すれば、割引してもらえるし」
「あ、お金は大丈夫なんだけどね」
 そうだろな、なにしろお嬢だからな。
 ユカは乱れた髪を撫でつけながらしばし唸っていたが、
「園子さんがそう言うんだったら……」
「きっとホテルの方がゆっくり寝られるわよ。電話してみるわね」
 彼女は正に、年下の女友達を労るおねえさん、って感じの母性たっぷりの微笑みを浮かべながら、
携帯を耳に当てた。その笑顔は、邪魔者を追っ払えて喜んでるとか嬉しそうとか、そういう気配を
微塵も感じさせないもので……
「お世話になっております、長町法律事務所の花沢でございます。遅くに申し訳ありませんが、
今から女性をお一人、お願いできませんでしょうか?」
 なのに、仕事用の凛々しい声が、今夜は何故か耳につららのように刺さった。


                                  NEXT
 作品目次