確信犯4
 

「こんばんは!」

 晃がラスカルちゃんを引きずり込んだのは、公園正門前にある交番だった。繁華街の外れに位置して

いることもあり、24時間警官が待機していることを、晃は知っていた。その夜も丁度2名の警官が

交番内にいて、カウンター内で書類仕事をしていた。

「こんばんは……どうしました? 早乙女先生の弟さんでしたね?」

 2名のうち年配の方が、晃の顔を見て驚いた声で訊いた。


 兄の悟は、この近所のマンションに10年以上も住んでいるし、職業柄、警察との関係にも気を配って

いる。それに習い、半ば悟のマンションに棲みついている晃も、この交番の警官たちとは、通りかかれば

挨拶を欠かさない程度には顔見知りであった。


「すみません、この女の子が公園で困ってウロウロしてましたので、こちらで相談に乗って頂けないかと

思いまして、連れてきました」

「ちょっ……違っ、あたし困ってなんかっ」

 逃げようとする女の子の言葉を無視し、晃は一層その腕を強く掴み、

「家がM町なんだそうですが、終バスを逃しちゃって、タクシー代も無いんだそうですよ。僕が貸しても

いいんですが、未成年に数千円も貸して、何か間違いでも起こったらマズイかと思いまして。

例えば飲酒とか」

 晃はところどころアクセントをつけて一気にまくしたてた。

 警官は二人ともそれで状況を理解したらしく、頷いて、

「なるほど、女の子が夜の公園をひとりでうろうろしてたら、それだけで危ないですからね。よく連れて

きてくれました。タクシー代は交番から貸しましょう。さ、君、ここに座って」

 若い方の警官が、カウンターの前に出てくると、折りたたみ椅子を引いた。

「あっ、あたし帰るっ、帰れるっ、ひとりでっ」

 女の子は暴れたが、

「どうやって帰るんだい? 住所と名前を教えてくれれば、タクシー代くらい貸してあげるよ。学生証

くらい持ってるだろう? それとも教えられない理由でもあるのかな?」

 年配の警官がニコニコと、しかし幾分かの凄みを持たせて言ったその台詞に、女の子はさすがに

ビクッと体を硬直させ、暴れるのを止めた。晃はすかざず女の子の肩を押さえつけるようにして、

椅子に腰掛けさせた。

「俺みたいな見知らぬ男から借りるより、お巡りさんに借りた方が安心だよ」

「そうそう。遠慮しないで」

 若い警官もにっこりして、ワザとらしくお茶を淹れだした。

 女の子は諦めたのか、がっくりとうつむいた。


 10分ほど後には、女の子は住所と名前ばかりではなく、自宅の電話番号と、学校名(やはり高校

2年生だった)まで聞き出され、結局親が迎えに来ることになった。

 女の子の両親が来るのは待たず、晃は交番を辞した。


 悟のマンションに向かいながら、晃は笑いが漏れるのを抑えられなかった。


 なんか俺、悟兄さんっぽくなかったか?こういう時は、16歳以下だろうが高校生だろうが、

テキトーにやっちまうのが、本来の俺だろうに。それにしても、兄貴の学校の生徒でなくて良かった

……兄さん、もう寝ちゃったかな。今のこと話したら、きっと大いにウケてくれるんだろうけど。


 マンションの前まで来て立ち止まり、見上げた4階の悟の部屋は、やはりもう暗いようだった。


 窓を見上げたついでに、晃は夜空に目をやった。

 月も、星も、見えた。


 少なくとも―――


 晃は、ふうっ、と溜息を吐き。

 今日の俺は、佐渡で彼女に会ったときに、真っ正面からしっかりと目を見て話すことはできる。

 そして、ふと思った。

 もしかしたら彼女は―――


 三浦との関係を、プラトニックから肉欲へと、貶めようとしたのではないか?

 それも理由のひとつなのではないか……


 砂粒のような星屑がひとつ、晃の胸に降りてきた。

 

 晃は、美誉子の唇の間に、ワインを注ぎ込んだ。

「ん……」

 美誉子が微かに呻いた。

 半分ほどを注ぎ込み、残りは飲み干す。

 晃の唇に解放された美誉子の白く細い……キスマークと指の痕が散った喉も、こくり、と動く。

 晃は、美誉子の唇から漏れて頬に伝った赤いひとしずくを舐めた。

 その官能的な行為にスイッチが入ったのか、もしくはオフになったのか、美誉子の躰からふわりと力が

抜け、倒れ込むように晃に寄りかかった。

 テーブルの上にグラスを置き、晃もその躰を無言のまま抱きしめた。

「……れるの?」

 美誉子が小さな声で言った。

 聞き取ることのできなかった晃は、聞き返した、

「なに?」

「……赦してくれるの?」

 美誉子は消え入りそうな声でそう訊いた。

「赦すってかさ……」

 ひんやりとした髪に頬を押しつける。


 赦せることなど何もないのかもしれない。


 晃は思った。


 赦す、と言ってしまうのは簡単だ。

 けれど、それで彼女は楽になるか?


「もう、しないんだろ? こんなこと。三浦だから、こういうことになっちゃったってだけなんだろ?」

 美誉子は晃の問いに無言で頷いた。何度も。

 ネイヴィ・ブルーのチェック模様のパジャマを着た胸をがっちりと抱きしめた晃の腕に、ワインを

飲んだにも関わらず冷たい両手が絡みついた。その手に次第に力が籠もっていく。


 口先だけの赦しは、決して彼女の罪悪感を取り去らないだろう。


「だったら、いいよ。これから先、俺だけのものでいてくれれば、それでいい」


 罪悪感を抱きつつも、これから先も俺のものでいることが、彼女に対する最大の罰で、そして

赦しになるだろう。

 俺は、彼女を失いたくない―――それだけは、はっきりしているのだから。


 くっ、と美誉子の喉から小さく嗚咽が漏れた。

 いつの間にか、静かに泣いていた。

 うつむいた頬に指先を滑らせると、熱い涙で濡れた。

「……ごめ…なさい……私……泣いちゃいけないのに」

 美誉子が絞り出すように言った。

「なんで? 泣けばいいじゃん」

 そういえば、晃が来てからというもの、美誉子は何度も泣きそうになり、そのたびにギリギリで

抑えている様子だったことを思い出した。

「美誉さん泣き虫なのに、どうして今日は泣かないのかなって、思ってた」

「だって……私のせいで」

 晃の腕に、美誉子の指が食い込んだ。

「晃さんも、三浦も傷つけて……私のせいで……」

「美誉さんだけのせいじゃないだろ。三浦だって、随分強引に迫ったんだろ? それに……俺だって」

 抱きしめる腕に一層力を込めた。

「ずいぶん寂しい思いをさせたみたいだね。ごめん」

 そう言うと、美誉子は慌てたように晃の腕の中で振り返った。

「そんなことない!」

 涙に濡れた目が、晃を見上げる。

「毎日仕事が忙しくて、寂しいなんて感じる暇ないよ。それに私が望んで佐渡に来たんだもん」


 嘘だ……


 噛みしめられた唇を見ながら確信する。ワインを飲んだのに、唇の色は悪かった。

「寂しくないの?」

 三浦の言ってた通りだ。ここまで彼女を強がらせてしまっているのは、俺のせいなんだろう、と

晃は改めて思い知り。

「俺は、寂しいよ。毎日、美誉さんのことばっかり考えてるよ。会いたい、会えないって、そればっかり」

 本当のことを言った。


 美誉子の本音をひき出すには、自分が正直になるしかないという覚悟はできている。女々しく情けない

感情をも、プライドを振り払って伝える必要があると。


「美誉さんは、寂しくないの?」

 潤む瞳をしっかりと見つめた。 

 涙にゆらぐ瞳は、迷うかのようにぐらぐらと二種類の感情の間を揺れているようだったが、ついに

美誉子はくしゃりと顔をゆがめると、絞り出すように言った。


「……寂しいに決まってるじゃない」


 そして、ううっと呻くと、晃の胸に顔を埋めた。


……ああ、やっと泣いてくれた。


 声を上げて泣く美誉子を抱きしめながら、晃は、美誉子がやっと感情を露わにしたことに、

安堵感を覚えていた。

 

―――三浦との出来事を知らせることで、彼が私から離れていってしまったとしても。


 美誉子は額の傷を押さえる指先に、ぐっと力を入れた。


 彼がこの傷痕から解放されることを、喜ばなければいけない。

……だから今だけは。


 胸に抱え込んでいた写真立てをそっと起こし、瞬きをして涙で曇った視界を晴らした。

 見つめる写真は、晃にしては珍しく、ナチュラルな笑顔のスナップ。

 昨年の夏、美誉子の兄夫婦に誘われて……というか子守要員として駆り出され、海水浴に行った時の

写真だった。兄が撮りまくった子供達の写真の中に混じっていたものだ。

 波打ち際で、晃は、まだよちよち歩きだった双子を遊ばせている。写真嫌いの晃でも、大好きな

夏の海で、しかも幼い子供達と一緒とあって、いたって柔らかい笑顔を見せている。

 その笑顔が再びぼやける。

 この写真は、佐渡へ来た当初は、机の上に飾っていた。だが、見る度に泣きたくなってしまうので、

いつしか机の中にしまい込むようになっていた。

 美誉子は両手で、白木の写真立てがきしむほど強く握りしめた。


 電話……は、無理だろう。落ち着いて話せる自信なんか微塵も無い。メールがいいだろう。

メールなら順を追って、冷静に事実だけを記すことができるかもしれない。

 だから明日、三浦が東京に戻ったら、彼にメールを書くから……


 泣きじゃくる美誉子は、内なる強靱な美誉子に言った。


 せめて―――今日だけは、思いっきり泣かせてよ…… 

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