kissの事情


「いいお店だね。三浦、吉祥寺まで飲みにきたりするの?」

 美誉は、隅っこの薄暗い席に座りながら、気楽そうに

そんなことを訊いた。

 レトロな雰囲気のバーのBGMは、控えめな音量のクラシックで、

先ほどまでアンプで増幅された音の洪水にさらされていた耳が喜んでいる。

 土曜の夜だが、客の入りは6割程度。4卓ほどのテーブル席にも、

長いカウンター席にもスーツ族は見えず、映画やショッピングの帰りと

いう感じのカップルが多く、打合せを兼ねているような、自由業めいた

やけにファッショナブルなグループなんかもいる。吉祥寺という場所柄も

あるかもしれない。

「こねえよ」

 俺がぶっきらぼうに答えると、美誉はちょっと目を見開いたが、

肩を小さくすくめただけで、丸いテーブルの上にあった、

分厚いカクテルメニューのファイルを開いた。

 馬場や大久保で安く飲めるのに、わざわざ吉祥寺まで来るわけがない。今夜のために、

必死で調べたに決まってるだろーが。とは口には出さないけど。

 店員がオーダーを取りに来て、俺はジン・トニックを、美誉はミモザを頼んだ。つまみには、

ピッツァ・マルゲリータ。ライブの前に、ハンバーガーショップで慌ただしく腹ごしらえはしたのだが、

もちろんとっくに消化済。

「三浦、何か怒ってる?」

 美誉は、オーダーを取った店員がテーブルを去ると、俺の顔を覗きこんだ。

「べっつにぃ」

「……やっぱ怒ってる」

「怒ってねえって」

「その言い方が、すでに怒ってるし」

……くそ。

「……何で、定期的に東京に来てること、2年も教えてくれなかったんだよ?」

「ああ」

 美誉はちょっと首をすくめて。

「だって、三浦も色々忙しいかなあって。彼女もいるみたいだし、私と遊んでる暇なんてないだろなって」

 けっ、よく言う。





 高校を卒業してから、地元の大学に行った美誉と、東京の大学に進学した俺は、疎遠になってしまっては

いたのだけれど、2、3か月に1回くらいの頻度で、メールをやりとりしてた。取り交わし始めると、

行ったり来たり、2、3日に渡って数通は続いたりするんだけど、毎度大した内容じゃあない。近況報告と、

共通の友達のことやら、本の情報なんか。

 それにしても、隔月で楽器のレッスンのために上京してるなんて、1度も書いてきやしなかったってのは、

あんまりだと思う。大学に入ってすぐに通い始めたっていうから、2年間もだ!

 たまたま10日ほど前に取り交わしたメールで、マニアックなミステリの新刊の話になり、地元じゃ

なかなか買えないだろうから、通販したらどうか、と書いてやったのだった。すると、もうすぐ

レッスンで東京行くから、その時に探す、という返信が来て。

 はぁ?

 何?

 レッスン?

 東京に来てるのか?

 しかもレッスンってことは、定期的に?

 何で、それを今まで知らせてくれなかったんだ?

 俺は混乱しながら、メールを何度も読み返した。

 美誉的には、ついぽろっと書いてしまったのだろうけど、その話題をタイミング良く振らなければ、

永遠に知らされなかったのかもしれない。

 解ってる。

 俺には会いづらいのだろう。

 何せ、何度も振った男だ。

 解らないでもないけど、でも、つまり俺のことを、そんな了見の狭い男だと思ってるんだあ、って

ことになるわけで非常に気に入らない。

 だから、次に東京に来たら、絶対連絡をよこせと、怒りを込めて再返信をした。

 すると2,3日経ってから、今月の上京時には、加持桜のバンドのライブにも行くから、

良ければ一緒に、という何となく煮え切らないっつーか渋々っぽいお誘いの返事が来て。

 そういうわけで、今夜、土曜の夜の吉祥寺駅で待ち合わせ、加持さんたちのライブに行ってきた。

 ライブは、加持さんの大学の2バンドと、近隣にある工学系の大学の2バンドの、4バンドの合同ライブ

だった。単独でライブをできるほどの集客力も資金もないのだろう。聴く方としては、素人の演奏を同じ

バンドで延々と聴かされるよりは、4タイプの演奏が聴けるほうがマシなので、ぶっちゃけ助かった。
 




 カクテルが運ばれてきた。

 とりあえず、乾杯。シャンパングラスと、タンブラーが触れ合って、意表をつくほど澄んだ音が響いた。

 すうっと、オレンジ色の液体が、ベージュピンクの唇に流し込まれていく。喉が渇いていたのか、

美誉はグラスの三分の一ほども一気に空けた。

「美味しい。本格的なカクテル飲めるようなお店、なかなか行かないから、嬉しいな」

「……早乙女と、行かないのかよ」

「東京では行ったことあるけどね。地元じゃ、専ら居酒屋……ってか、晃さんと外で飲むことって、

あんまりないからなあ」

 晃さん、と、美誉が早乙女のことをさらっとそう呼んだことに、俺の胸は、意外なほどざわめいた。

 くそ。





 今日、美誉に会いたかったのは、もちろん旧交を温めたいからだが、会ったら踏ん切りが

つかないかと期待したからでももあった。大学に入って2年経って、俺も東京に大分馴染んで、

2人ほどの女の子とちょこっとずつつきあってみて(現在はフリーなのだが)、それで、

俺の美誉に対する感情はどう変わったのか、確かめてみたかった。それプラス、東京のあか抜けた

女子大生(決してそればかりではないが)を見慣れた俺の目に、美誉がモロ田舎者に見えたりすれば、

儲けものだし。

 ところがどっこい。

 吉祥寺駅で待ち合わせた美誉を、俺は最初見つけられなかったのだ。

 髪が伸びたせいもあるだろう。

 高校生の時のイメージから、ボーイッシュにジーンズでも穿いてるんじゃないかと思いこんでいた

せいもある。

 今夜の美誉は、黒のタンクトップに、それと揃いの控え目なフリルのついたジャケット、それに

オリエンタル柄で薄い生地の、膝丈のブルーグレイのスカートを合わせている。

そんなシックなファッションの美誉は、大人っぽくて……女っぽくて。

 見違えてしまったのだった。

 三浦、なにきょろきょろしてんの?と、からかうように声をかけられるまで、俺は彼女を

見つけられなかった。

 楽器を抱えていなければ、仕事帰りの丸の内OLと言っても通用しそうな程の、

綺麗なお姉さん系になってしまっていたのだ。

 2年ぽっちでこんなに変わるなよ!って感じ……

 俺とデートだから、おしゃれしてきたのかよ?

 ライブハウスに向かう道すがら、そんなことを言ってみた。

 レッスンの時には、きちんとした服装するように心掛けてるのよ。先生が、いっつもきちんと

なさってる方だから。

 笑っていなされてしまったけど。





 バーで飲んでいる今現在は、美誉は上着を着ているが、ライブハウスでは脱いでいた。俺は、耳は

演奏に向けながらも、黒のタンクトップから伸びる、しなやかな白い腕ばかり見ていた。

「ライブ、結構面白かったね」

 話を逸らすように美誉が言った。

「そうだな。加持さんとこが一番上手かったんじゃね?」

 美誉も頷いて。

「そうだね、やってる曲は可愛かったけど」

 加持さんのバンドは、いわゆる女の子系のロックをやっていた。

「あ、桜で思い出した。時間、気をつけなきゃ」

 そう言って美誉は、テーブルの上に携帯を置いた。時間が見えるように。

 ライブの後は、加持さんたちの打ち上げに合流してもいいと言われていたそうなのだが、ふたりに

なりたかった俺は、良い店を知ってるから、そっちでちょっと飲まないか、と誘った。 

 美誉は俺の誘いを快く承知して、その旨をまだ楽屋にいたらしい加持さんに携帯で連絡し、

加持さんのアパートに帰れる最終バスと、それに接続する電車を素早く打ち合わせた。電車の発車時刻に

合わせ、吉祥寺駅のホームで落ち合う手はずにしたそうだ。

 ライブの感想を話しているうちに、ピザが来て、グラスが空いた。

 2杯目は、美誉がカシス・ソーダ。俺はトム・コリンズ。

「終バスに間に合うように、なんて言ってるけど、加持さんの方が打ち上げで盛り上がっちゃって、

忘れるんじゃねえか?」

 そうなったらいいのにな、という願望。

「ううん」

 美誉は、ルビー色の液体を旨そうに一口飲んで、パリっと薄いピザを小さく齧って。

 チーズが垂れた指を舐める仕草に、ちょっとだけ、ぞくっとした。白い頬に、カシス・ソーダの赤が

ゆらゆらと反射していたのもあって。

「今日一緒に出てた工大のバンドの人で、桜にご執心の人がいてね、うざいから、バスと私を理由に

して、さっさと帰りたいんだってさ」

「ほー、もててんな、加持さん」

「桜カワイイもん」

「彼氏いるの?」

 何ともなしそう訊くと、美誉はにやっと笑って。

「いるよ」

 と言ってから、更にうふふ、と含み笑いを漏らした。

「……ふうん、もしかして、俺も知ってる男だな。地元のヤツか?」

「えっ」

 笑みが引きつった。

「何でわかるの?」

「だって、お前の顔に書いてある」

「ええっ、嘘、私そんなに解りやすいかな。酔っぱらってるのかな?」

 美誉は慌てて、火照りもしていない頬を両掌で挟んだ。

 解りやすいヤツだよ。お前は、昔から。

「誰だ?」

「ええと……広まると非常にヤバイ人なんだ……」

「俺がわざわざ地元に戻って、広めまくるようなヤツに見えるってぇのか?」

 テーブル越しに詰め寄ると、美誉は微妙に身をのけぞらせて。

「そ、そうは言わないけど……」

 加持さんが、高校の先生……俺も教わったことがある……とつきあっていると聞き出し、驚きに

のけぞっているうちに、2杯目のカクテルも大分減ってきた。

 美誉は話しながらも、ちらちらと携帯に視線をやる。

 その、しきりと時間を気にする様子が、とっても気に入らない。

 美誉の視線が、また時刻を確かめようとした瞬間、俺は腕を伸ばし、携帯に掌を被せた。

「三浦?」

 マスカラで2割増しくらいになってる睫毛が、訝しげに瞬いた。

 化粧も上手くなって。高校の時なんて、全くしなかったのに、なんてことをこんな時に思ってしまった。

「……忘れろよ。終バスのことなんて」

 美誉は鼻で嗤い、

「酔ってるね?」

「そりゃ、美誉よりは酔ってるさ。だってお前、弱いのしか飲んでねえじゃん。ザルのくせしてさ」

 って、美誉と本格的に飲むのは今夜が初めてなんだけれど、本人も周囲もザルだと言っている。

「えー、だってぇ」

 美誉は困った顔で、ほとんどど空いたカシス・ソーダのグラスを傾け。

「カクテル飲み慣れないから用心してるんだよ」

「せっかくいい店に連れてきてやったのに、用心なんかしてるんじゃねえよ。きっちり飲んで

酔っぱらっちゃえよ。そんで、全部忘れちゃえ。バスのことも、加持さんのことも……」

 酔って自制心が緩んできているとはいえ、さすがに言えなかったのだけれど、

本当に忘れてしまって欲しいのは、早乙女の存在……

「三浦、マジで酔ってるぅ」

 美誉はちゃかすような口調で言った。あくまで酔っぱらいの冗談で済ませるつもりらしいが、

その口調は、酔ってある意味鋭敏になっている俺の神経を逆撫でした。

「ああ、酔ってますよぅ。でもなっ、誰のせいで酔っぱらっちまったと思ってるんだよ?」

 ほとんどヤケクソでそう言い放った。

 まだ美誉の携帯を、掌で隠したままで。

 俺の八つ当たり気味の台詞に、美誉の笑顔がすうっと悲しそうな表情に変化した。

 そして。

「まだ、会わない方が良かった?」

 小さな声。

 俺は、その問いに軽くショックを受け、そして考えた。

―――会わない方が良かったのだろうか?

 未処理の想いが自分の中にまだ残っていることを再確認させられたのはせつないけれど、

でも、会いたいと、強く思ったのは確かだった。

 それに、今夜が楽しかったのも、確かなこと―――

「……そんなことは、ない」

 数秒の沈黙の後、俺は、美誉の携帯から手を離した。

 携帯の液晶画面は、午後11時過ぎを示していた。加持さんとの約束の時間まで、もう30分

ほどしかない。

 カクテルメニューを美誉に差し出しながら。

「次の1杯はきっちり強いヤツ飲んでみろ。それで今夜は勘弁してやる」

「ひゃあ」

 美誉は悲鳴を上げたが、ほっとしたような笑顔を見せた。

 そして2人でカクテルメニューを見て決めたのが。

 エンジェル・キッス。

 運ばれてきた、小さなリキュールグラスに注がれたとろりとした褐色の液体と、それに浮かぶ

白くふんわりとしたクリームを見て、

「うっわー……強そう甘そう」

 美誉は唸った。

「飲め」

 俺は断固として命令した。

 俺の3杯目は、可愛らしくモスコミュール。

 ハードボイルダーとしては、ここはきりっとマティーニで締めるべきなのだろうが、

マジで酔っぱらいそうだったので、諦めた。

「飲みますよぅ……」

 美誉はおそるおそるグラスに口をつけ、

「うーん、クリームがまったりと……」

 微妙な表情。

「ぐっといっちゃえ」

「くはー、三浦、そんな乱暴な。これホント、シャレになんないって。甘いわ強いわ」

「それ飲み終わったら、駅まで送ってやるから」

 そう言うと、美誉は一瞬動きを止めて、俺を見つめたようだったけれど。

 俺は、その視線を受け止めることはせず、じっと自分のグラスの金色の液体に視線を落としていた。

「……ありがとう」

 優しい声がそう言った。
                FIN.


                       お題提供:女流管理人鍵接集「大人のためのお題」


                               


★作中に登場したカクテルについて(私見含む)

ジン・トニック:ドライ・ジン45ml トニック・ウォーター適宜 ライム輪切りを添える。
        氷を入れたタンブラーかトールグラスにジンを注ぎ、トニックウォーターを
        静かに足して、軽くステア。さっぱりすっきり。

ミモザ:シャンパン1/2 オレンジ・ジュース1/2 材料を予め冷やしておいて、
    シャンパングラスにジュース、シャンパンの順番で注ぐ。甘くて微炭酸。カワイイイメージが
    あるです。私ってお酒あんまり強くないの〜と演出するのに、いいんでないかな…(笑

トム・コリンズ:ドライ・ジン 60ml レモンジュース20ml シュガーシロップちょっととソーダ水適宜。
        氷の入ったコリンズグラスにソーダ以外の材料を入れステア。最後にソーダを入れ、
        軽く仕上げのステア。さっぱりしてやや甘で口当たりがいいけど、結構アルコール度数
        高いので注意( VノェV)コッソリ…

カシス・ソーダ:クレーム・ド・カシス45ml ソーダ水適宜 レモンスライス 氷の入った
        タンブラーに材料を入れ軽くステア。レモンを飾る。フルーティ。カシスの香りが
        好きです。色がキレイなので、気の利いた照明のお店で飲むのによろしいんじゃ
        ないでしょうか ̄m ̄ ふふ

エンジェル・キッス:クレーム・ド・カカオ3/4 生クリーム1/4をリキュールグラスに
        混ざらないように静かに注ぎ、チェリーを飾る。ほとんどリキュールそのままなので、
        強いわ甘いわ(^_^; 見かけはコーヒーゼリーみたいでとってもカワイイのに…… 

モスコミュール:ウォッカ45ml ライムジュース15ml ジンジャーエール適宜 氷入りタンブラーに
        ウォッカとライムジュースを入れてステア。最後にジンジャーエールを入れて仕上げの
        ステア。居酒屋でもおなじみの万能選手型カクテルですが、本式はジンジャービアを
        使うそうです。するとかなりキックの強いカクテルになるらしい(飲んでみたい)。

マティーニ:ドライ・ジン45ml ドライ・ベルモット15ml 材料をステアしてカクテルグラスに注ぐ。
      カクテルピンに刺したオリーブを沈め、レモン・ピールを絞りかける。言わずと知れた
      カクテルの王様。レシピも無数にあるらしいですな。シンプルゆえでしょうね。
     「ステアじゃなくてシェイクで」ってすると、007のご愛飲でしたっけ?



カクテル占い どりはちなみにブースカフェΣ(- -ノ)ノ
        飲んだことねぇ〜



★作品について

 今回も、突発的短編をお読み頂きまして、ありがとうございますm(__;)m

 ブログの方でもちらっとお知らせましたが、この作品は平井堅の名曲『even if』に( ̄¬ ̄)ジュル・・・と
 なって書いてしまったものです。
 バー、片思い、男の可愛らしさ、という三題噺みたいなモチーフに、ドゥ━━━(゚ロ゚) ━━ン!!と
 来てしまったのでありました〜。
 都会的でメロウな曲なので、『樹下』シリーズのキャラには合わないかな〜とも思ったのですが、
 やっかいな長編にかかっているので、新たなキャラを考える余裕がなく_| ̄|○
 三浦でやらせて頂きました〜ついでにお題にもこじつけました。
 何かロマンチックじゃなくてスミマセン。特に平井堅ファンの方申し訳ございません(汗)
 著作権とか2次創作とかややこしいことにならないように、なるべく歌詞の表現は使わないように
 していますが、プラス、テーマには「男女の友情は成立するか!?」ってのも加えているつもりですが
 ネタ的にはそのままかもしれない…(^_^;
 どうか通報は勘弁して下さいm(__;)m

 あ、ちなみにどりが好きなカクテルは、マティーニとダイキリです。割と普通です。


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