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―――いた。

 7組の掲示の前、やはり人混みから一歩下がったところに彼がひとりぽつんと立っていて、
こちらを見ていた。海老名くんと同じように、下は学生ズボンに穿き替えていたけれど、
上着は濃紺の半袖のアンダーシャツ1枚で、太い腕が剥き出しになっている。寒くないのだろうか。

 10数メートルは離れていたけれど、確かに視線が絡んだのを感じた。
 
 彼が、すっ、胸の前に1本指を立て、小さく首を傾げた。
 1組か?
 と、訊いているのだとわかった。
 頷くと、彼は掌を重ね、指を7本に増やした。
 俺は7組。
 ってことだろう。知ってる、という意味を込めてもう一度頷くと、彼は苦笑し、肩をすくめた。
 幾ら何でも、端と端ってのはヒデェよな?
 そう言う声が聞こえてきたような気がした。
 ヒデェよね。でも、大丈夫。
 そういう思いを込めて、私はもういちど頷いた。

 きっと、通じたと思う。
 だって彼も頷き返してくれたから。

……と、彼の元に、1年で同じクラスだった女の子が駆け寄ってきた。彼はその子の方に視線を
落とし、私からは横顔しかみえなくなった。どうやら彼女も7組らしい。

 いいなあ、2年も同じクラスで―――

 ちくん、という胸の痛みを感じながら、視線を上げると、校舎の大時計が目に入り、始業式まで
10分を切っていることに気づいた。ミミたちに声をかけると掲示板の前から離れた。陸上部室に
着替えと荷物が置きっぱなしだ。本日の朝練は、ストレッチと走り込みと校庭の鉄棒での基礎練習を
していただけなので用具の片付けは無いが、式典だから制服に着替えなければならない。
いたっておおざっぱで自由な校風のN高ではあるが、さすがに始業式までクラブジャージと
いうわけにはいかない。

 掲示板から離れつつ、未練がましく7組の表の方にちらりと視線をやると、先程の女の子と
連れだって昇降口の方に向かう彼の背中が見えた。

 校庭の隅のプレハブ長屋の真ん中へんにある陸上部室にノックもせず駆け込むと、

「うわあっ!」
「あっ、ごめんっ」

同期の嶽野くんが着替えていた。見なかったふりをして慌てて外に出る。しまったしまった、
女バスの部室に着替え置いておけばよかったな。
 嶽野くんの裸の上半身と、可愛いらしい黄緑地に深緑の水玉ボクサーブリーフのお尻をバッチリ
見てしまったが、残念ながら、私は男子の半裸くらいで動揺するほど可愛いらしくはない。兄弟のいる
女子は多かれ少なかれ慣れちゃうものだと思うし、家が古い純和風家屋のため夏場でもクーラーが
効かない場所が多いから、祖父や父が、さすがにパンイチではないけど、甚兵衛の肌脱ぎや
短パン一丁でフツーにうろうろしてるし。加えて下品でガサツな従兄どもに変に
鍛えられちゃってるし、子供の頃からスポーツばーっかりやってるせいで、ムキムキにも
免疫があるし。
 だって、男子の半裸なんて、水泳の時と同じじゃん? 面白くも何ともない。むしろ、地味で大人しい
女の子が、体育の着替えの際などに、ふりふりの可愛いブラジャーをつけてるのを見かけちゃったり
すると、妙にドキドキしたりして。
 とはいえ男子の躰に全く興味が無いわけではなくて、筋肉方面には割と関心がある。どんなに
鍛えても、自分の体には男子のような分厚くて太い、ワイヤーの束のような筋肉はつかないから、
羨ましさ半分だ。
 嶽野くんは骨格自体がきゃしゃな上、食も細いので、ウエイト・トレーニングをしてもなかなか
筋肉がつかなくて悩んでいるようなのだが、さすが県下でも指折りのスプリンター、ソレナリに
細マッチョではあった。男子はどんどん筋肉がついていくオトシゴロだから、おそらく嶽野くんも、
これからみるみる大きくなっていくのだろう。

―――って感じで、私は、男子の裸をあくまでアスリートとしての見地からしか見ることが
できないのだが、これでいいんだろうか? と最近はふと考えたりもする。
 だって、いざ彼の裸を目の当たりにする事態になった時にも、全然恥じらいを感じなかったら
問題だよね?

 彼のだけは別なんだろうか……ってか、別だと信じたい……

 すぐに部室のドアが開き、制服姿の嶽野くんが決まり悪そうな顔で出てきた。
「先に使わせてもらっちゃった。鍵もかけずに、気が利かなくてゴメンね、早乙女さん」
 嶽野くんも頻繁に朝練をしているが、大概彼も私もジャージのまま教室に入ってしまうので、
着替えが重なるようなことは今まで無かったのだ。
「そんなとんでもない、こちらこそ失礼しました。ギリになっちゃったから慌てちゃって、
ノックもせずに……あ、見てないからね?」
「いいよいいよ、男の裸なんて面白いもんでもないでしょ?」
 うっ。見透かされてる?
「み、見てないってば」
 ごまかしつつ、そそくさと部室に入ろうとした私を、嶽野くんが呼び止めた。
「早乙女さん、何組になった?」
「1組。ハムたんと一緒だよ。嶽野くんは?」
「5組。いいなあ、陸上部2人いるなんて」
 陸上部の同期は、事実上稼働している部員は現時点で5名しかいないので、確かにハムたんと
同じクラスになれたのは、かなりラッキーだ。
「嶽野くん、5組ってさ、私の友達がいるから、仲良くしてあげて」
「へえ、なんて子?」
「川原結香ちゃん。テニス部だよ」
 結ちゃんは小学校から一緒の幼なじみ的な友達で、1年時はクラスも一緒だったから、彼と3人で
毎日つるんでいたのだ。もちろん、彼と私の名前を探しがてら結ちゃんの名前も探した。
「ああ、良く早乙女さんと一緒にいる、ちっちゃくて元気のいい子だね?」
「そうそう。気さくな子だから、すぐ仲良くなれると思うよ」
 ところで結ちゃんは縦横ともいたって普通サイズで、それほど小さくはないのだが、私といるから
ちっちゃく見えるんだろうな……
「そっかあ、声かけてみる。あ、呼び止めてごめん、部室の戸締まり、頼んでいい?」
「もちろん」
「じゃ、お先」
 嶽野くんの手から鍵を受け取り、私は部室に入った。

 一応内鍵を閉め、ハンガーにかけておいた制服を下ろし、ジャージを脱ぎ捨てる。
滅多に着ない制服はまだ新品同様にパリっとしている。
 春先とはいえ、朝から結構走ったので、少し汗をかいてしまった。本当ならばシャワーを浴びてから
着替えたいところだが、貧乏県立校ではそうもいかない。部室長屋には、シャワー室もあることは
あるのだが、放課後しか開けてもらえないし、この季節はぬるーいお湯っつーか、凍えない程度の
水しか出ないので、ほとんど誰も使わない。不本意ではあるが、せめて汗拭き用の
ウェットティッシュで、ざっと全身を拭った。

 それにしても始業式から朝練だなんて、嶽野くんもかなり入れ込んでるよなあ、と、改めて思う。
いやもちろん、人のことは言えないけども。
 嶽野くんは黙々と静かに走るだけのタイプだし、私も人見知りにおいては人後に落ちないし、
トラックとフィールドでは一緒に練習することも少ないので(ダッシュの練習くらいは
入れてもらうが)1年中顔を合わせている割には、なかなか仲良くなる機会が無かった。

 Tシャツを脱ぎ、紺のキャミソールに着替える。セーラー服は下着から替えなきゃいけないのが
面倒だ。

 しかしこの春休みに、嶽野くんとは県陸連の選抜合宿に一緒に呼ばれたので、そこで随分親しく
なった。N高から呼ばれたのは、あとは3年男子のスプリントの先輩との3人ぽっちだったと
いうこともあって。
 ってか、同じ競技をやっている他校の女子と知り合えるせっかくのチャンスだったのに、結局N校の
男子と仲良くせざるを得なかったってのは、人数が少なかったってだけが理由でもないんだけど
……まあ、そのしんどかった代表合宿についても、追々語る機会があるだろう。
 でも、嶽野くんが無口で静かな人ではあるけれど、気遣いのできる、そして時々スルドイことを
突然ボソリと言う観察眼のある人だと解っただけでも、合宿に参加した甲斐があったかもしれない。

 ソックタッチで紺の靴下をふくらはぎに止め、OBが寄贈してくれた1枚こっきりの姿見で、
スカートの長さを調節する。
 よし、このくらいなら座っても見えないかな。
 セーラー服で最もやっかいなのは、仕上げのスカーフだ……と、スカーフをいじっているうちに、
予鈴が鳴った。
 スカーフはイマイチな仕上がりだったが妥協することにし、部室に鍵をかけ、校舎に向かって走る。
教室に荷物を置く暇はなさそうだ。鍵を返しに体育教官室に寄るのも諦めて、昇降口で上履きに
履き替えると、荷物を抱えたまま、講堂へ向かう生徒の波に乗っかる。

―――と。
「よう、ヒミ……じゃねえ、早乙女さん!」
 すぐに、聞き覚えのある声に呼び止められた。


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