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「さっ、佐野さんっ、ひ、久しぶりっ」
 しかも噛みまくってしまった。
 私を呼び止めたのは、テニス部の佐野真紀子さんだった。トイレあたりから戻ってきたところらしい。
相変わらずのすべっとした色白の頬をゆるめたチャーミングな笑顔で、嬉しそうに私を見上げている。

 実は彼女は、作秋、彼が告白をお断りした相手で―――なのに、何の因果か、同じクラスになって
しまったのだ。

 とはいえ、佐野さんは、女の子っぽい外見や仕草の割には、さばさばした男らしい性格のようだから、
半年も前のことにはもうそれほどこだわってないだろうと思う。実際彼からも、
<フツーに話しかけてくれた>
というメールがあった。
 しかし、そう言われても私としては、まだ何となく後ろめたい。少なくとも、彼とふたり揃っている
状態では、彼女にあんまり会いたくないなあと思っちゃうわけで……多分これは、私の心の持ちよう
なのだろうけれども。

「早乙女さん、1組なんだっけ?」
「うん、そう」
「遠〜くなっちゃったねえ。なんだか残念」
 佐野さんは本当に残念そうにそう言ってくれて……ううう、心が痛い。
 そして、
「渡瀬くんに用? 呼んであげようか」
彼女は、本当にくったくなく彼の名前を口にした。
「え、えと、ううん、違うの。黒田千華ちゃんに……」
「あ、そっかあ、バスケ部の用事ね。わかったぁ」
 佐野さんは、教室の入り口に頭を入れ、黒田さあん、早乙女さんだよお、と澄んだ高い声を部屋内に
張り上げた。私はその隙に、佐野さんの頭越しに教室内に素早く視線を走らせ……彼、いるかな、と
思った瞬間、廊下側の一番後ろの席、数人の男女生徒が固まってる中から、むっくりと立ち上がったのが
彼だった。彼は、今まで会話を交わしていたらしい周りの生徒たちに笑顔で何事かを素早く告げると
……口の動きからするとおそらく、ちょっと行ってくる、とかいう感じ……顔を上げ、私の方を見た。
 一瞬視線が交わって……と、その視線に何者かが突然割りこんだ。
「わーいっ、ヒミだー! 何なに? 何の用? それとも遠い所わざわざあたしに会いにきてくれたのぉ?
それってもしかして、愛ゆえ?」
 はしゃぎながら視線を遮ったのは、チカちゃんだった。
 なによ、せっかく彼が来てくれるみたいなのに、と、一瞬ムッとしかけたが、あ、そういえばわざわざ
チカちゃんに用事を作って来たんだったっけよ、と思い出した。そうだまずは用件を話さなければ、と、
いくらか後ろめたい気分で、昼練の件を話しだすと、大きな影が、ぬうっとチカちゃんの背後に現れた。
168センチある彼女よりも頭半分は高い。

「女王様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう?」

 彼が、チカちゃん越しに私を見下ろした。
「……苦しゅうない」
 そう答えると、彼はニコリとし……

……ヤバい。
 心臓がドキドキいい出した。
 目が逸らせない。
 彼も、私から目を逸らさない。しかもかなり熱っぽい視線のような気がする。
 柔らかい笑顔なのに、視線は強い。

 逸らしたくない。
 彼の視線をもっと感じていたい。

 でも、そうはいかない。
 ここは学校。人目もある。
 しかも私にとっては、アウェーの7組……

 ここに来るために作った理由を思い出し、彼から視線を逸らす。視線を外すだけなのに、
結構なパワーが要ったし、無性に切ない。
「それでね、チカちゃん……」
 チカちゃんに視線を戻し、昼練の相談を再開しようとした時、

「渡瀬ぇ、あたしたちと話してたのに、なんでいきなりそっち行くわけぇ?」

聞き覚えのある女子の声が、それを遮った。張りのある、甲高く響く声だ。
 重なるように立つチカちゃんと彼の向こう、彼が私がくるまで話していたらしい数人の集団が、
こちらを振り向いていて、その中のひとり、勝ち気そうな顔立ちにロングヘアの女子が。
「話、途中になっちゃったじゃんよー。空気読めないのぉ?」

―――中西こずえ。
 
 彼女は、彼に文句を言いながらも、私をひたと睨みつける。

―――彼は、中西と話していたのか。
 いや、中西と彼がふたりで親密に話してたってわけじゃないんだから、数人の中にいたってだけの
ことではあるけれど、でも……

……でも、出来たら彼には、彼女とは距離を取っていて欲しいと、私は密かに願っていた。

 中西こずえは、私や彼や結ちゃんと同中出身で、私にとっては、長年の天敵だ。
 彼女は私のことをそれこそ蛇蝎のように、という表現がぴったりきちゃうほど嫌っていて、中学時代は
陰に日に細かく嫌がらせを続けてきた。いや、その嫌がらせの内容自体は全然大したことはないのだが、
自分のことを一方的に嫌っている人間が存在するっていう事実だけでも、神経を消耗するには充分だ。
 しかし、高校入学後は、クラスも遠かったし、私はもちろん、おそらく中西も忙しくて、去年1年間は
殆ど関わりをもたずに過ぎたのだが、今年はそうもいかないようだ。

 何故なら、彼と同じクラスになってしまったから―――

 私が、7組を訪問することを躊躇していた最大の理由は、他でもない、中西の存在ゆえだ。

「悪ィ! だって久しぶりの謁見なんだもーん、勘弁してくれよ」
 彼は私を中西の視界から隠すように振り返り、冗談めかして謝ったが、
「ええ〜? もしかして、クラス離れても、女王様と下僕、解除されてないわけぇ?」
中西は更に言いつのり、一緒にいた数人の生徒はドッと笑った。
 中西の口調はあくまでギャグっぽくはあったが、私にはそこはかとない悪意が感じられてしまう。
 いや、それを感じたのは私だけではないようで、チカちゃんが怪訝そうに、私と中西を見比べた。

―――やっぱり、まだ駄目なのか。

 中西が私に好意を持ってくれるなんてことはあり得ないだろうけれど、せめて無視して関わらない
ようにしてくれないかな、という期待は、少しは持っていたのだ。そうしてくれれば、まだ7組に
来易くなるだろうと。

 しかしそれは甘かったようだ。中西はあくまで私に絡むつもりのようだから。

―――仕方ないな。

「お前もしつっけえな、去年のギャグゆってんじゃねえよー」
 彼が笑いながら中西に応じてくれた隙に、
「ミミごめん、ちょっと」
廊下で佐野さんと立ち話を続けていたミミも呼び(彼女らは去年同じクラスだった)3人で昼練の件を
手早く打ち合わせた。チカちゃんはもちろん快諾してくれ、昼休みになったら、自分が一番体育館に
近いから、走ってゴールを取りにいってくれると言ってくれた。

「えー、良く言うよ。去年のギャグ引きずってんのは渡瀬でしょーが!」
「俺はガチだからいーの」
 
その間中西はまだ何か言っていたようだが、敢えてそちら側へは耳を塞いでいた。

 予鈴が鳴った。
 
 チカちゃんと佐野さんだけに、じゃあね、お邪魔しました、と手を振り……彼とは敢えて
目も合わさず……7組を離れた。
 正直、彼とロクに話せなかった残念さや切なさよりも、中西から離れられたという
ホッとした気分の方が強かった。

 渡り廊下を科学室に向かって足早に通り抜けながら、
「ねぇヒミってさ、あの子、なんだっけ、中西さん? あの子と仲悪いの?」
ミミが率直に尋ねてきた。その問いに、ああやっぱり端から見ても、険悪なのが分かるんだ、と、
更に憂鬱さが増す。まあ分かるよなあ、あれだけ露骨に仕掛けられちゃ。
「うーん、仲悪いってか、中西が私のこと大嫌いなんだよね。中学ん時から」
「えっ、同中なんだ?」
「中学からって、長ぇな!」
ミミばかりでなく、ハムたんも、野球部コンビも驚いて声を上げた。
「中学の時に、何かあったの?」
 ハムたんが心配そうに訊いた。
「何ってほどのことは無いんだけどさ、中西が片思いしてた男子が、私のことを好きだって
噂が立ったことがあったりとかさ、そんなのがきっかけかなぁ」
 何ソレ、下らねぇ理由、と海老名くんが呆れたように言い、いや、女同士ではありがちだよ、
重大問題なんだよ、とミミが言い返した。
 幾分逸れたところで議論を始めてしまった2人を尻目に、田沢くんが相変わらずの冷静なキツネ目で
私をじっと見つめて、
「早乙女さん、その男子と実際つきあったわけ?」
「まさかあ。告白すらされてないって。ホントに噂だけ」
 田沢くんは、ふうん、ってことは……とちょっと考え込んだが、今度はハムたんが、
「噂だけで毛嫌いするなんて、ヒドくない?」
と、眉をひそめた。
「ってかさ、多分それはきっかけでしかなかったんだよ。その前から中西は私のこと、
徐々に嫌いになってたんじゃないかな」
「だろうね」
と、田沢くんがあくまで冷静に言った。そして、
「根が深そうだな」
と、ボソリと呟いた。
 他でもない田沢くんにそう言われると、本当に根深いような気がして―――更にどっぷりと
憂鬱になった。


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