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「え!?」
 五十嵐くんが渡瀬に絡んだ? 何ソレ!?
「何かあったの!?」  
「あ、やっぱ渡瀬知らせてないじゃん。だから俺らからメールしてあげよーよって言ったのにい」
 そう言って海老名くんは隣に立った田沢くんを見上げた。
 田沢くんはじろりと細い目で海老名くんを見返し、
「渡瀬から知らせんのが筋だろ」
「えー、渡瀬は知らせないだろよ。いかにも、心配かけたくねえから、とかって、カッコつけたこと
言いそうじゃん?」
「昨夜の時点では俺らだって正確なところは知らなかったわけだし、不確実な情報でヒミコちゃんに
無駄な心配かける必要は無いだろうが」
「ね、ねえ……何なの?」
 心配って―――心配の種になるような出来事が、昨夜ホテルに戻ってから、渡瀬と五十嵐くんの間に
あったってこと?
 海老名くんはもう一度田沢くんを不満そうに見上げてから、私の方に身を屈め、
「あのねえ、昨夜ね、大浴場で俺ら渡瀬と一緒になってさあ……」
 お風呂で昨夜の豆屋前での出来事を聞いたのだという。
「風呂だけじゃ全然話終わらなくてのぼせそうになったから、上がってからも渡瀬拉致って、
ロビーで話し込んでたんだよ。そしたらさ、そこに五十嵐が……っと、乗り換えだぜえ」
 海老名くんが車窓の外に目をやったのでつられて振り向くと、電車が西大寺駅に滑り込もうとしていた。
 もうっ、肝心なところでっ。
 続きは特急に乗り換えてからね、と海老名くんは荷台から荷物を下ろした。とは言ってもバス移動の
班に荷物は便乗させてもらっているので、身軽なもんなのだが。

 乗り換えホームには特急が待っていた。指定席なので、今度は横並び8席分を向かい合わせに返し、
全員で座り、
「で、どうしたの!?」
落ち着く間もなく、私は続きをせがむ。
 わー、レトロっぽくて良くね? と、楽しそうに電車の内装をキョロキョロ見回していた
海老名くんは、あ、そうだそうだ、とやっと話の続きを始めた。話の途中だってこと、忘れかけてたな?
「えっと、どこまで話したっけ……あ、そうかそうか、ロビーで話の続きしてたんだよな、そしたら
五十嵐がエレベーターから降りてきてさー、降りるなり怖い顔でツカツカって近づいてきて、いきなり
渡瀬の胸ぐらつかんで立たせて……あ、俺らソファに座って話し込んでたのよ……んで、テメェ、
いつからだ? って凄んでさ。俺らは、なになに? って呆然としちゃったんだけど、渡瀬はすぐ、
五十嵐の耳にもヒミちゃんとのこと届いちゃったんだー、って分かったみたいで、手をこうふりほどいて」
 海老名くんは顔を背けながら、両手で襟元から見えない手をふりほどいた。
「そんでさ、ごめん、悪かった、って五十嵐に向かって頭下げて。でも、五十嵐はさ、頭下げた
渡瀬の肩を突き飛ばして、いつからだって聞いてんだよッ、って。で、そこで田沢が割って入って、
五十嵐、何やってんだいきなり、落ち着いて話せ、って宥めたんだけど」
 田沢くんは五十嵐くんの向こうの窓際の席で、外を見ながら緑茶のペットボトルに口をつけていた。話は聞いているのだろうけど。
「渡瀬が、いいんだ、俺は五十嵐に謝らなきゃなんないんだ、って田沢を押しとどめて、去年の11月
からだ、って言って……それで俺らも、そっか、そういえば五十嵐はその頃にヒミコちゃんに
振られたんだっけ、ってのやっと思い出して、ああそっかー、ってなって。でさ、渡瀬はまた頭下げて
謝ったんだけど、五十嵐がキレておさまんなくて、渡瀬を殴っちゃって」

……殴られたの?

 いきなり、キーン、と耳鳴りが始まり、海老名くんの声が、遠くなった。

「さすがに俺らびっくりして五十嵐に飛びついて止めたんだけど、ヤツ、まだ渡瀬にとびかかろうとして、
すげえ顔真っ赤にして、嘘だったのかよ! お前らふたりして俺を馬鹿にしてたんだろ!! とか
怒鳴っちゃって。渡瀬はソファに倒れこんで、しかも口の辺り切れて血出ちゃって、違う誤解だ、とか
何とか言おうとしてたみたいなんだけど、痺れちゃってたみたいで上手くしゃべれなくてさ、そしたら
誰かがいつの間にかチクりやがってて、菅野先生がすげえ勢いで走ってきて」
「ケガ……したの?」
「うん、でもほんのかすり傷だよ? 今朝、フツーに便所で会って話したし。顎のとこに
湿布貼ってたけどね」
「……ごめん、ちょっとだけ、渡瀬にメールする」
 スカートのポケットから携帯を出す。
 本当ならば電話したいところだけど、もうおそらく大仏殿あたりの見学に入っている時刻だろうから、
メールにしておいた方がいいだろう。
 しかし何故か手が震えて、上手くボタンが押せない。小さなボタンを空押しばかりしてしまう。
ちくしょう、なんでこんなに携帯のボタンって小さいんだ……しかも、短い文に手間取っているうちに、
段々視界が滲んできて……
「……あ、あああ、ヒミぃ」
 隣に座っていたミミが肩を抱いてくれた。
「ごめ……ミミ、代わりに打って」
 慌ててスカートのポケットを探り、ハンカチで目元を抑える。
 もうっ、なんでいきなり涙なんか出るんだ。
 ちっ、という舌打ちと、田沢くんが、
「馬鹿野郎、もちっと言葉を選んで説明しろ。デリカシーねえな」
と、海老名くんを叱りつけるのと、海老名くんの
「えっ、俺? 俺のせい?」
という焦った声が聞こえたので、
「ごめん、違うよ、びっくりしただけだから……」
涙声になってしまったけれど、急いでフォローした。

 けれど、正直ショックだ。
 五十嵐くんからは何かしらのリアクションがあるだろうということと、渡瀬と彼との関係がますます
悪化してしまうのは仕方ないだろうと、それは予想していた。
 でも、殴ったりするなんて、思ってもみなかった。
 私のせいで、渡瀬がケガすることになるなんて……

「ヒミ、何て打てばいいの?」
 ミミが背中をさすってくれながら訊いた。
「えっと……昨夜の話は聞きました。ケガの具合はどうですか? って」
「それだけ?」
「うん、それでいい。ありがとうね」
 ミミは手早くメールを入力して、私に携帯を持たせてくれた。文章を確認して送信すると、
少し気分が落ち着いた。
 深呼吸をして、
「ごめんね、変に動揺しちゃった。もう大丈夫」
と、皆に向けてなんとか笑ってみせた。
「心配しなくていいと思うよ。ホントにケガは大したことなかったみたいだから。病院も行かなかった
そうだし」
 ますます小さくなっている海老名くんの向こうで、田沢くんが静かな目で言った。
「五十嵐は、今日は謹慎で先生方と行動しなきゃだけど、渡瀬は一切やり返さなかったから、
普通にみんなと見学して回ってるはずだし」
 彼がやり返さなかったということに少し安心し、頷いて、握りしめた携帯に目を落とす。じっとりと、
手が冷たく汗ばんでいるのを感じる。

 もう後半クラスも見学に入ってるだろうから、すぐにメールは読んでもらえないかもしれないな。
すぐに返事は来ないだろう。
 心配だけど、仕方ない……

 それでも―――早く返事が来ないかな、と念じてしまう。

 

 彼からの返事は、京都駅が近づいてきた頃になってやっと来た。

<受け流せたから大したダメージじゃなかった。唇切れて、ちょっと顎腫れてるだけ。
 飯食う時はイテエけどな。心配すんなよ>

という短いメールだったけど、それを読んで大分落ち着くことができた。
 それでも、旅行から帰るまでは会えないのだと思うと、ひどく切ないし、焦る。

 京都駅で電車を乗り換えて、嵐山に向かった。嵐山駅前からはレンタサイクル。天気も何とか
保っていてくれて、薄曇りキープだ。
 午前中は、天龍寺 → 大河内山荘。これらだけですでにお腹一杯って感じだが、午後も常寂光寺を
スタートに3カ所ばかり拝観予定を入れている。今日の班行動は、きちんと予定通り回った証拠として、
写真とレポートの提出をしなければならないので、誰が見張ってるってわけじゃないのだが、
サボっている暇は無いし、落ち込んでる暇もない。
 午前中はサクサクとスケジュールをこなし、お昼ご飯も予約通りの時刻に湯豆腐のお店に入ることが
できた。昼食に湯豆腐ってのは女子の提案だ。男子からは、6月に湯豆腐!? あっちーよ! 豆腐なんて
高い割に腹の足しになんねーじゃん等々激しく反対意見が出たのだが、名物は押さえておくべきでしょ、
それにレポートのネタにもなるしっ、と、押し切った。湯豆腐、確かにちょっと暑いけど、私としては
カロリー調整的にも助かる。
 嵯峨豆腐は、食べ慣れた木綿とも絹ごしとも舌触りが微妙に違う気がした。強いて言えば、中間くらいの
上品な食感。散々文句言っていた男子も美味しさはわかるのか、いざ鍋を前にすると、もくもくと
食べていた。ま、どーせ道中ちょこちょこ買い食いするのだから(みたらし団子はぜひ食べたい)
お昼は軽めにこしたことは無い。それに、みんなで鍋囲むのは、不安な気分を紛らわすにはうってつけだ。

「ねえ、ヒミちゃん」
 女子たちがまったりとデザートの抹茶プリンを食べている時、とっくに食べ終わって
手持ちぶさたそうにしていた海老名くんが、突然私を呼んだ。
「ん、何?」
「やっぱちょっとだけツッコんでいい?」
「え、私なんかボケてる?」
 慌てて周囲を見回す。寝不足と先程聞かされた話のショックでボケてるかもしれない。薬味のネギでも
散らかしてるか?
 が、海老名くんはぶんぶん首を振って、
「ちがーう、渡瀬とのことツッコんでいいかって!」



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