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 あからさまにホッとした顔で胃をさすっちゃったりしたからか、
「あとは? もう無いのか、話しておきたいこと」
彼は真剣な顔で。
「カミングアウトしたからって、今後、会える時間が大幅に増えるわけでもないだろーし、
時間ある時に何でも言っちゃってくれよ?」
 まーそりゃそうだわな。カミングアウトしたって、練習時間が減るわけではないからな。

 そりゃあ話したいことは、たくさんある。訊きたいことも、たくさんある。
 修学旅行で思い知ってしまったわけだが、彼と私の間には、実は微妙に壁があるらしい。北海道の
原野並にスカーンと開けっぴろげな気がしていたけれど。
 いや“壁”というほど堅固なものではないかもしれない。“生け垣”って程度だろうか。みずみずしく
柔らかそうな葉をこんもりと茂らせた生け垣。それほど高いわけでもないし厚みがあるわけでもない。
しかし近づいてじっくり見てみるとその生け垣にはびっしりと細かいトゲが生えていて、
容易くは越えられそうにない。
 その向こうに、私の知らない彼がいる。
 私たちはもっといっぱい話さなければならないのだろうと思う。私の方からはたらきかけると、
彼は引いてしまうかもしれない。でも、思い切って垣根の向こうに踏み込んでいかないと、
永遠にそれを取り払うことができないような気がする。

 だからこそ、まずは「ウチに来て家族に会ってくれない?」ってのを頼んじゃわなきゃなんだけど。
私の決心が揺るがないうちに……できることなら今。
 でも、いざとなるとやっぱり緊張するし、怖い。ある程度は覚悟してるけど、断られたら、
やっぱりショックだよなあ……

……あっ、そうだ! それどころじゃないよ、何よりこれだけは訊かなくちゃじゃん!!
「あ、あのさっ、五十嵐くんはっ?」
「はい?」
「今日は彼、どんな様子だった? また殴られたりは……してないよね?」
 よくよく渡瀬の顔を観察しても傷が増えてる気配はないが、五十嵐くんはことのほか執念深そうだから。
 ヤツはねえ〜、と彼は憂鬱そうに口元を歪め、
「ヤツは1週間部活停止だから、あの晩に菅野センセに並んで説教くらって以来、会ってないから、
どうしてるかは不明」
「え!? 部活停止?」
 修学旅行中のことなのに、そういう罰になっちゃったんだ!?
「部活内での暴力ってことになるだろ、アイツと俺とじゃ。だから、硬式野球部としての処分を
求められたわけ」
「はあー……」
 それもそうか。理由はどうあれ、部内でのもめ事ってことになるもんなあ。渡瀬が懲罰の
巻き添えくわなくて良かったけど。
 でも1週間は厳しいなあ。試験前の休みとかなら、朝昼練でフォローできるけど、今回はそれも
出来ないのだろう。懲罰ということは、グラウンドに入ることすら許されないのだろうから。
ベンチ入りの選手が、上位大会を控えたこの時期に、そんなに部活やれないってのはつらいだろうなあ。
五十嵐くん個人は自業自得としても、チームとしてイタイだろうと……って!
「ねえねえ、そうするともしかして、控えキャッチャー争いは、俄然、渡瀬が有利になったってことじゃ?」
 彼は全然嬉しそうな顔はしなかったけれど、小さく頷いた。
「うん、多分懲罰の意味もこめて、北信越では俺が二番手っつーことになるだろうな。ま、夏は
わかんねーけどな。五十嵐が、復帰した途端バリバリに頑張るかもしれねーだろ」
「そうかもだけど、渡瀬も頑張るでしょ?」
「そりゃ頑張るけどさ」
 彼はやっと小さく笑った。
 そうかあ、災い転じて福と成すって感じで、北信越大会は渡瀬が二番手キャッチャーかあ。
もし勝ち進んで何試合も経験できれば、大幅経験値アップだな。それにここで自信をつければ、
彼の中に根強くあると思われる、五十嵐くんへの劣等感や遠慮が払拭されるかもしれないじゃないか!

―――あ。
 ということは、彼は北信越大会にむけて更に練習に打ち込むだろうし、
精神的にも張りつめてくるだろうから……

「え、もしかして、他にも誰か怒ってるヤツいるのか?」
 つい考えこんでしまった私を見とがめたのか、彼が心配そうに訊いた。
「ううん、私の知ってる限りではいないけど。ってか、本気で怒ってるのは五十嵐くんだけじゃ
ないのかなあ?」
 結ちゃんは心配だけれど、どうやら怒ってるわけではないようだし。
「まあな、ヤツだけはマジで怒ってんだろな」
 とはいえ、五十嵐くんがキレた要因は、私に今も強い執着を持っているから、というわけではなく、
むしろ渡瀬だからこそなのだろうと思う。よりによってポジション争いのライバルに恋愛で
出し抜かれたことに、いたくプライドが傷ついたっつーことではないかと。
「もう五十嵐のことはいいよ。それこそ新しい彼女でもできりゃ、治まるだろ」
 彼はちょっと不機嫌そうに言い放ち、
「で、他には無いの? 俺に話したいこと」
と、強引に話を変えた。五十嵐くんの話をしたくないのかもしれない。
「えっと……」
 話したいこと……うーん……どうすっか。

 ウチに来てくれないか、ってのが、とっても言い難くなってしまった。これから北信越大会に向けて
集中しなければならない彼に、余計なストレスを与えることになりそうで……

「えっと、って何よ?」
「え、えっとね、今日じゃなくてもいい」
 昨夜、親にはなるべく早くとか言っちゃったけど、状況が急転直下だもんな。止めておこう。
「何だよ、気になるなあ、言うだけ言ってみろよ」
「今言うとプレッシャーになっちゃうかもだから、いいよ」
 少なくとも北信越大会が終わってからの方がいいんじゃなかろうか。どうせ日程的にも大会前は
無理だろうし。
「えっ、プレッシャーって、俺の? ってことは、俺に何かあるわけ?」
 彼はいきなり居心地悪そうにそわそわしだした。
「そんなら余計言ってくれよう。早乙女が俺に対して腹に一物もってるのかと思うと、気になって練習に
集中できねーじゃん」
「嘘つけぇ」
 そんな軟弱な集中力じゃなかろうに。それに腹に一物って表現はなんとかならんもんか。
「嘘じゃないって。俺って見かけ倒しの小心者なんだから」
「えー。そんなことないでしょ?」
 見かけより繊細ではあるが、小心ではないだろう?
「いやホントに。公式戦で監督に『代打用意しとけ!』とか言われると、実際出番なくても、
腹にグルッときたりして」
「ええ、マジで!?」
 実際出なくても? そんなに神経質だったのか!?
「マジで。だからあ〜おねがい〜。却ってストレスになって、ずっと腹がグルグルになっちゃうかも
しんねえだろ〜。ゆって〜〜」
 彼が手を伸ばして、私のジャージの袖を引っ張った。眉が情けない角度で下がっている。
「んむ〜……」
マジで気にしちゃったみたいだ。言いかけたのがまずかったかな。逆の立場だったら……と、
考えてみると、まあねえ、私だったらお腹までは壊さないだろうけど、それでも折々思い出しちゃって、
気にはなっちゃうだろうなあ。
「じゃあ、一応言うけどさ」
 おあずけは、むしろつらいかもな。
「ホントに北信越大会終わってからでいいことなんだからね?」
「ああ、うんうん、わかった」
 彼はホッとしたように手を離してベンチに座り直した。
 
―――言っちゃうか。
 遅かれ早かれ、頼まないわけにはいかないことだ。

「ひとつお願いがありまして」
「お、お願い?」
 妙に改まった言い方をしてしまったからか、彼はびくりと身を乗り出した。
「どうしても嫌だったら断ってもいいよ」
「え、何それ、俺が早乙女のお願いを断るわけないじゃん?」
と、彼は調子よく言ったが―――

「あのね……」

 少し怖い。
 だって、このお願いばかりは、断られる可能性があるから。
 
「ウチの両親が渡瀬に会いたがってるんだけど……」

 ウチに来てくれ、ってだけの単純なお願いではあるけれど、これに対する答えは、
これからの私たちの関係をどうしていくのかに直結しているから……

―――彼は一体、どういう答えをくれるだろう?

「……一回ウチに来てもらえないかな?」

 おそるおそる口にした言葉の先から、彼の顔がみるみる強張っていく。



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