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 自転車だしいらないと彼は言ったのだが、ちょっとでもふたりきりになりたくて、国道の角までだけ
送っていくことにした。
 バーベキュー中は、煙と騒がしさで気づかなかったけれど、薄く夜空を覆った雲の隙間から、細い月が
見える。月の光に微妙にロマンチックな気分になったが、彼は自転車を引いているので、手はつなげない。
それでもできるだけゆっくりと、数十メートルの距離を歩く。
 彼が夜空に向かって大きなあくびをした。
「疲れたでしょ」
「んー、まぁな、でもこの疲れは試合の、っつーかその後の練習疲れだから。メシはマジ旨かったし、
みんな大会頑張れって励ましてくれたし、むしろ元気もらった」
 そうは言っても、国道をまばらに通り過ぎる車のヘッドライトに照らされた彼の顔は、
かなりしんどそうに見える。
「でも、気疲れはしたでしょ?」
「ぜーんぜんっ、って言ったら嘘だけど、でもな、疲労を上回る達成感があるから。これからは堂々と
家まで送れるもんな」
 そうか、これからは裏口方面ではなく、玄関まで堂々と送ってきてもらえるわけだ。
 あ、でも表通り側じゃ、こっそりキスしたりハグしたりは出来ないじゃないか。ちぇ。
「なんだよ?」
 つい表情に出てしまったか、彼は私の顔を覗き込み、
「もしかして今夜、なんか俺やらかした? 悪印象を与えるようなこと?」
「う、ううん、全然そんなことないよ。感心するくらい躾のいいお坊ちゃんぶりだったよー」
 なんだそりゃ、と彼は笑ったが、マジで感心したんだから仕方ない。マメで礼儀正しいのは、
嫌ってほど承知していたが、バーベキューの焼き番から後かたづけまで、しっかりこなしていたのには
改めて驚いた。男子高校生としては破格のお役立ちっぷりだったんじゃなかろうか。少なくとも、
私よりはよっぽど使えたろう。このマメ男っぷりは、料理研究家の息子としての門前の小僧+野球による
長年の集団生活の賜なんだろうなあ。また彼の新たな一面を知ってしまった……って。

 そうなんだよな。
 彼にはまだまだ訊きたいことがある。
 今日、ウチに来てくれたことで、彼が私との関係を真面目に考えてくれていることは、
よっくわかった。
 しかしそれに安堵はしていても、まだ少なくとも2つ、大きな疑問がひっかかっている。

1)関係が進展しないのは、私が怖いから? それとも色気不足だから? それとも深い理由や
  ポリシーがあるのか?
2)彼がリトルリーグからシニアに進まなかったのは何故なのか? そしてリトル時代の話を一切
  しないのは、何か深刻な出来事があったから?

 どっちも、とても気になる。
 訊いてみたい。
 でも、どっちも訊きにくいことだし、解らないままでもいいかな……と今は思ってしまう。

 だって、とりあえず今は、とても満ち足りた気分だから―――

 ゆっくり歩いても、ほんの数十メートル、ここまで、と決めていた国道の角に着いてしまった。信号は
赤で、ふたりとも立ち止まった。渡瀬の家は角を左折した方角なので、信号を渡る必要は無いのに。
 必要ないのに立ち止まってくれたのが、嬉しい。

「なあ」
 少しだけ真剣みを帯びた彼の声。
「俺さ、お前のお父さんにも気に入ってもらえたかな?」
「ああ……アレはねえ」
 あのオヤジ、外面だけはサイコーだから、つっけんどんにしたりする様子は無かったけれど、
バーベキューの間中、何となく一歩引いて観察している雰囲気ではあった。それを、空気読み過ぎとまで
言われる鋭敏な彼が感じないわけはない。
「泥沼みたいな親バカなもんだから、感情的に納得してないだけで、渡瀬の人間性は認めたと
思うよ。大丈夫」
「そお?」
 彼はまだ心配そうだが、私はもっとヒドイ対応をするんじゃないかと恐れていたので、
今夜のこの穏やかさにホッとしているくらいなのだ。
 ヒドイ対応―――酔っぱらって「娘はやれん!」とかバカなこと言い出すとか泣き出すとか。
あのオヤジに限っては、あり得ないことではないからな……
「うん、これからはいばってウチに来ていいんだからね」
 いばって、ってのはまだ難しいなあ、と彼はまた笑ったが、すっ、とまた真顔に戻り、

「ウチにも、来てくれる?」

 情けないことに、少々心臓が跳ねた。
 もちろん覚悟はしていた。だって、渡瀬をこっちで紹介しちゃったからには、私も挨拶に行かない
わけにはいかないだろうから。今夜、彼は乙女酒造の早乙女家でご飯を食べてくるとご両親に告げて
きたのだろうし、それこそ今後親同士が仕事とか街中とかで会っちゃったらどーするんだ、みたいな
せっぱ詰まった状況にもなってしまったし、桜さんだって仕事で渡瀬のお母さんに会ったら、絶対
今夜のこと話題にするだろうし。だって大人同士が行き会ってしまったら絶対、こないだは大食いの
息子が大変お世話になりましてー、いえいえこちらこそー、みたいな挨拶の応酬になるに決まってる。
 でも、今夜いきなりこのタイミングで言われるとは思ってなかったから……

「インターハイの後でいいからさ、考えといてよ」
「え、インターハイ行けなかったら?」
 まだ甲信越大会前だというのに、インターハイの後と言われても。
「そりゃ早いほうがいいけど、絶対行くだろうから、終わってからでいいって」
「行けるかわかんないよ」
「行けるって。お前のことだから」
 彼が手を伸ばした。私も背中で組んでいた手を離し、彼の手に触れる。

 温かい。

「来てくれる?」
 彼がもう一度訊いた。
「……私なんかで良ければ」
 そう言うと、彼は苦笑して、
「そういう言い方すると、俺の女の子を見る目のセンスが悪いってことになるんだろ?」
「うん、良くないじゃん」
 だって、渡瀬並にマメマメしく気を利かせ、空気を読みまくることなど、私にできるはずもない。
「ええー? 俺、自分のセンス最高って信じてるんだけど? だから全然気にしないで、いつも通りの
ままで来てくれればいいよ」
 彼は笑い、私は一応頷いたが、渡瀬のご両親をがっかりさせたくはないな―――と、どうしても
考えてしまう。今更なんだけど、至らない自分が心苦しい。
 彼も、私に「家に来てくれ」と言われた時、こういう気持ちだったんだろうか。

 信号が青に変わった。

「じゃ、な。明日はメールか電話する」
「うん。今夜は、ホントにありがとね」
「こちらこそ。ごちそうさまでしたって、皆さんによろしく伝えてな」
「渡瀬も、お母さんにケーキごちそうさまって、伝えてね」
 そんな会話を交わしながら、彼は自転車に跨った。
 まだ、手はつないだままで。

 おやすみ、と言い合って、手を離すには結構な努力が要った。



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5章 作品目次