lavneder5-3

 

 連れて行かれたのは、農学部ではなくて、N大の本校だった。教育学部の先生と待ち合わせが
あるんだそうだ。父は、
「小一時間くらいで終わると思うから、その辺でぶらぶらしててね。喫茶にでも行っとく?」
と、コーヒー券をくれた。
 父は教育学部の方へ足早に去り、残された私たちはというと、渡瀬はN大が初めてなので、喫茶に
向かうついでに、構内を一回りすることにした。
「早乙女はN大には何回も来てんだろ?」
 渡瀬はゆったりと歩きながら物珍しそうに、灰色の……良く言えばシンプルで質実剛健な、
ぶっちゃければ個性の無い、いかにもお役所仕事的な四角い校舎群を眺め回した。

 日曜の夕方ではあるが、構内ではそこかしこに学生の姿が散見された。私たちはそんなキャンパスの中、
それほど浮いてはいないように思われた。私は学ジャーでなく部活のジャージだし、渡瀬も私服なので、
一見大学生に見えないこともないだろう。わざわざ振り向いて私の顔を見つめる失礼なヤツが時たま
いるけれど、そういう現象には慣れてしまっているので、容易くスルーできる。
 でも、農学部の学生とだけはすれ違ってないことを願う。だって「あれ、どっかで見た顔!? 
誰かに似てるよ?」って、気づく人が多いだろうからなあ〜。

「そんな何回もってほどじゃないよ。本校は学祭に5,6回来てるくらいかなあ。農学部の方は
もうちょっと多いけど」
 父はあまり家族を大学に連れてきたがらない。あの親バカっぷりからすると、いかにもしょっちゅう
職場見学とかさせたがりそうなのだが、実はそうでもないのだ。多分、照が母のお腹にいる間に起きた
事故……というか事件がトラウマになっているせいだろう。
「ふうん……でも」
 渡瀬は、マリナースのキャップの庇を少し持ち上げ、ぐるりと周囲の校舎を見上げて。
「早乙女が、この大学に入る可能性は高いよなあ」
「え……」
 N大に入る可能性!?
「いや、そんなことないよ?」
 そう答えると、渡瀬はちょっとびっくりしたように私を見て、
「そうなの? N大の農学部行って、お父さんの研究室入るわけじゃないんだ?」
「えー、農学やるとしてもN大には行きたくないよー」
 親の七光りみたいなのはまっぴらゴメンだ。しかもあの親バカの研究室だなんて……うー、
想像するだに恐ろしい。ぶるぶる。
「農学部行くって決めたわけじゃないし」
 農学部に行く=蔵を継ぐ……と、ウチの場合はどうしたって期待されてしまうだろうから、
勇気がいる。いや農学自体は面白そうな気がするし、蔵を継ぐのがどーしても嫌というわけじゃないし、
酒造という仕事にも興味が無いわけじゃないが、それが一番やりたいことか? と問われると、
ちょっと考えてしまうわけで。
「じゃ体育系なのか? 理系の科目ばっか取ってるから、てっきり農学部に絞ったのかと
思ってたんだけど」
「体育大も考えないこともないけどねえ……」
 体育系の学部は適性から考えたら一番楽な選択肢だろうとは思うが、バスケか棒高跳で体育系に
行ったとしても、競技を続けたはいいが、卒業後どうするんだってのが問題だ。香誉ちゃんみたいに
体育の先生でも目指せるのならばいいのだろうが、どう考えても私は教員には不向きだろう。
「そう言う渡瀬は? 大学や学部まで絞ってるの?」
 渡瀬がN大ってのはまず無いんだろうなあ。野球部強くないから。
「文学部系統だろうなあ、俺は早乙女みたいに色々選ぶ余地ないし」
 そして彼は、微妙に寂しそうに。
「大学は、野球の強いトコだったら、どこでもいいんだけどさ。俺みたいな馬鹿でも拾ってくれる
大学なら、どこでも」
 少なくとも大学までは野球を最優先するつもりなのだろうとは、察していた。しかし、
そういう基準で大学を選ぶとなると、おそらく首都圏か関西圏に出ることになるんだろうな……

―――つまり。

 ふいに胸の中に冷たい風が吹いた。
 最後の跳躍の前に感じたのと同じ、冷たく湿った感触。

 彼と私が同じ大学に行く可能性はとても少ないということだ。
 彼がもし理系学部も多種あるようなマンモス総合大学に行ってくれたりすれば、私が合わせることは
出来るかもしれないが、学部は全く違ってしまうだろうし、そうしたら校舎だって離れている場合が
多い。特に農学部は地方にあったりするから(東北とか北海道とか……)同じ大学に行く意味が無い。
 唯一、真っ当に同じ大学同じキャンパスに行けるとしたら体育系の大学だろうが、彼も私も、
その進路を選択する可能性はあまり高くないだろう。

 それに、彼は、私が彼に無理に合わせることを、決して望まないだろう。
 私だって、彼に「同じ大学に行けるように、もっと勉強しろ」なんて絶対言わない。彼は充分頑張って
いるんだから、これ以上勉強しろってのは、野球をやめろということになってしまう。

 だから、こうして彼と同じ学校に通い、近所に住んでいられるのは、高校卒業までの間、
あと1年半あまりだけかもしれないということで―――

 そうか。
 競技中に感じたヒヤリの正体はこれだ。
 1年半後には、彼と離ればなれになってるかもしれないという、かなり確率の高い予感。
 そして不安。

 なんて高校生活って短いのだろう。
 1年半後、私は何をしているのだろう。
 彼は何をしているのだろう。
 彼と私はどこにいて、どんな関係にあるのだろう?

 競技生活があと1年余りしか無いということにも、楽しい高校生活がもう半分近く過ぎてしまった
ことにも、1年半後に大学受験に挑むためには、現時点では全く五里霧中の進路を決断しなければ
ならないということにも、もちろん焦りと不安を感じる。
 でもやっぱり最も私の足下をぐらつかせ、無性に駆け出したくさせるのは、彼と離れなければ
ならないだろうということで……
 多分私は、1年半後も、彼を失うことには耐えられないだろうに―――なのに。

 なのに、私たちはこうして、いつまでも同じ場所にとどまっている。
 このままじゃいけない。もう半分しか残っていない高校生活の間に、もっと深く、どんなに離れても
切れないくらい深く、絆を深めなきゃいけない。

 どんな手段を使ってでも。

 溜まりに溜まっていた想いが胸の中でふくれあがり、喉元までせり上がってきた。
 言っちゃいけないことなのかもしれない。
 彼は引いてしまうかもしれない。

 でも……私は、もう耐えられない。

「……渡瀬、私ってさ」
「ん?」
 半歩くらい先を歩いていた彼が、首だけ振り返る。
「やっぱ全然色気とか、女の子っぽさとか、感じない……よね?」
「……はぁ? 何ソレ、唐突に」
 彼の目が点になる。
「いや……あの」
 非常に唐突だとは自分でも分かってはいるが、私としてはずっと悩んでいたことだったから、
焦りの気持ちに突き上げられて、言わずにはおれない。

 ふたりの間の垣根を取り払いたい。
 もっと彼に近づきたい。
 もっと深くつながりたい。
 あと1年半のうちに、切れない絆を作りたい。
 居場所は離れていても、心はいつもつながっていると、そう信じていられるような、
そんな関係になりたい。

 だから……

「渡瀬がさ、なかなか、い、一線を越えてくれないのは、私に欲情し……むっ」
 いきなり彼の手が伸びてきて、私の口をバシンとひっぱたくように塞いだ。
「ばっ……お前、よりによってこんな場所で何をっ」
 そしてキョロキョロと慌てて辺りを見回した。
「……っ、痛いでしょっ」
 分厚い掌を押し剥がす。声が聞こえる範囲に人がいないことくらい、咄嗟に確認したっつーのっ。
 私たちが今いるのは、講義室がある棟と、学食や大学生協がある福利厚生棟の間にある広場のような
空間。切石で造られた池と小さな野外ステージがあり、それに面してベンチが並んでいるのだが、
なにせ日曜の夕方、今はそこに人影はない。平日の昼休みとかには、ランチやおしゃべりに興じる
学生で賑わう場所なのだろうけれど。
「わ、悪ィ、でもだってお前、突然すげェこと言い出すからっ」
 彼の顔がいつの間にか真っ赤だ。
 彼は小声で、しかも口元を掌で隠しながら、早口で。
「ったく、欲情してないなんて、んなワケねぇだろーが。なんなんだよ、いきなり?」
 そうじゃないのか? いや、お世辞か? それとも他の理由なのか……ならば。
「そんなら、怖いの?」
「……は?」
 彼の目がまた点になった。
「ホラ……私1回、渡瀬を引き倒しちゃったことあるから、怖くて手ェ出せないのかな、とか……」
 怖がってるんなら、謝らなきゃ……
「あ?……ああ〜! んなこともあったなあー」
 彼はコクコクと頷き、
「そんな前のこと、忘れてた。忘れてたくらいだから、別に怖かあねえよ。ってか、早乙女になら
何度倒されてもいいですケド?」
 何度倒されてもいい、ってのは彼流のギャグだとしても……そうか、この理由でもないのか。

 なら、これか。
 一番あって欲しくないと思ってた理由。

「そんなら……これ以上、私に深入りしたくない……?」

 やっぱり、そういうことなのか?


―――しかし。

「ええっ、何でそうなるわけ!?」
 彼は呆れたようにそう言うと、天を仰ぎ、
「うっわー、なんかどっかですごい誤解があるみてーだな!」
「……違うの?」
「違うに決まってんだろーがっ」
 違うのか……?

 でも、なら……どうして?
   
 そう口に出しはしなかったのだけど、見上げた視線に疑問符を見てとったのか、彼は
「なあ、喫茶ってどこ? 座って落ちついて話そ」
と、私の肩に腕を回しながら、長い溜息を吐いた。




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