lavender5-4

 

 学内の喫茶はさすがに空いていたが、他の客に声が聞こえないように、窓際のカウンター席の
隅っこに並んで座った。
 私はいつものごとくコーヒーのみだったが、渡瀬は自腹でホットドックをつけた。父は、私が間食は
しないことが頭にあるからコーヒー券だけをくれたのだと思うが、渡瀬が空腹感を感じてない瞬間って
のは食後くらいしか無いのだから、色つけてくれりゃ良かったのに。気の利かないオヤジだこと。
 喫茶といえども所詮は国立大学内、大して美味しいコーヒーでもなかったのだが、それでも熱いそれを
一口飲むと、多少気分が落ち着いた。脳に糖分を補給した方がいいかもと、ひとさじだけ入れた
砂糖の効果もあるかもしれない。
 しかし落ち着くのに比例して、ぐぐっと恥ずかしさも増してきた。

 私ってば、とてつもなく大胆かつ失礼なことを口走ってしまったのではないだろうか?

「あ、あのっ、渡瀬っ、さっきのっ……」
 さっきのは聞かなかったことにして、とお願いしようとしたが、3口でホットドッグをたいらげた
彼は、それを遮るように、
「そもそもどうしてそんな風に思っちゃったわけ?」
と、少々強い口調で尋いた。
 わ、怒っちゃった……かな。そりゃそうか……家に招んで大家族に挨拶させといて、深入りしたく
ないのか、なんて今更言われたくないよな……
「ごめん……」
「いや、謝らないでいいから。俺は単に、その誤解の元を知りたいんだよ、今後のためにさ」
 今後のため、かあ。そうだよなあ、忘れてくれっつっても、ここまで口にした言葉を忘れて
くれるわけもなし。
 しかし、誤解の元となると、最初はやっぱりアレってことになるんだろうなあ。
「あの……4月にお山の、石垣降りたとこで……」
 やっぱりあの時の、彼の唐突な引きっぷりが、トラウマになってしまっているようで。
「あの時渡瀬、突然引いたじゃない? それって、怖くなったのかな、とか、萎えちゃったのかな、
とか」
 それとも、これ以上深入りしてはいけない、と、我に帰ったのか、とか。
「修学旅行の奈良の夜……ふたりで奈良公園に逃げてった時もさ、私が帰りたくないねって言ったら、
丸々冗談にされちゃったじゃない? 渡瀬にはそんな気は全然無かったんだな、単なる社交辞令
だったのかなー、なんて色々考えちゃって……」
「げげ……」
 渡瀬は呻くと、口元を掌で抑えた。
「そんな風に受け取ってたんだ……」
「違う……の?」
「違う違う。むしろ逆」
 彼は首を振った。
「逆?」
「だからさ……えっとさ、春のお山でのことは、あのまま続けてたら止まんなくなりそうだったから、
必死で自制した。生理現象的にも危険だったし」
 止まんなく……って。
「奈良公園でも、よりによってお前がさ、あんな色っぽいこと言ってくれると思ってなかったからさ、
一瞬、門限とか大会のこととか頭から全部ぶっとんで、あのまま若草山の奥まで引っさらって行きたく
なっちまって、びっくりして自分で自分に急ブレーキかけたようなもんで」
 引っさらってって……
「あのさっ」
 彼は私の目をぐっと見つめた。
 結構強い視線で見つめられ、一体何を言われるのか、と私はちょっと緊張した。

 しかし。
「俺さ、経験は皆無だけど、あーゆー部にいるせいで、結構な耳年増になっちまってんだよ」
「……はい?」

……話、逸れた?

 話のあまりの跳びっぷりに頭が一瞬白くなってしまったが、構わず彼は更に飛躍した話を続ける。
「ウチ、女子マネいないのは、男子しか募集してないからなんだけど、なんでだか知ってる?」
 ん? ああ、そういえばそうだなあ、硬式野球部のマネージャーは、各学年男子が1人ずつ
(2年はモチロン田沢氏)だけだよな。
「ええと……遠征とか合宿が多くて、女子がいると部屋割りとかお風呂とか何かとやっかいだから?」
 それに、男子マネージャーが日頃やってるような、ノックやトス出しなんかはそんじょそこらの
女子には難しいだろうしなあ。田沢氏に至っては、バッティングピッチャーまでやるんだし。
あ、あとは部内恋愛予防とかいうことも考えられるか。
 しかし何の話なんだ? どんどんズレてってるような。
 彼は頷き、
「うん、表向きは女子では物理的に大変だからってことになってる。でも、実は7年前までは
少ないながらも、女子マネもいたのよ」
「え、そうなんだ? どうして募集しなくなっちゃったの?」
 可能ならば、細かい雑用なんかは女子がいた方が捗ることも多々あるだろうに?
 彼はもう一度頷き、
「実は、その頃にすんげえディープでダークな出来事があったからなんだな。かなり強烈だから、
心して聞くように」
と、前置きしてから昔話を始めた。
 

 8年前、ひとりの女子が硬式野球部にマネージャーとして入部し、すぐに当時3年生の選手と
つきあうようになった。当時から女子マネは少数派で、特にその時は彼女ひとりだったこともあり
―――おまけに、結構きれいな子だったらしい―――好意を抱く部員は多かったようだが、彼氏は
中心選手のひとりでもあったから、周囲もふたりの関係に納得するしかなかったのだろう、部内に
波風の立つようなことはなかった。
 ふたりは、男子が3年生ということもあったのだろうが、急速に関係を深め、1年の間にいわゆる
“深い仲”になっていった。
 しかし3年生の彼は、卒業時に女子マネをあっさりと捨てた。男の方からすると、卒業までの
ほんのつまみ食い的な意識だったのかもしれない。
 女子マネはひどく傷つき、部員たちは彼女まで退部してしまうのではないかと心配したが、
それは無かった。
 しかし2年生になった彼女は、捨てられた反動からか、片っ端から野球部員を「喰って」いった。
まるで野球部全体への復讐のように。それも、自分を捨てた男との関係を知らない、入部したての
1年生ばかりを。


 彼は憂鬱そうに眉をひそめ、
「1年ばっかってことは、まぁ殆どが童貞だろ? だから、1回ヤラしてもらっただけなのに勘違いする
ような部員続出で、そのせいで部全体の雰囲気がもんのすごく悪くなっちゃったらしいんだ」
「ああ〜、それって解るような……」
 そりゃねえ、キレイで優しい女子マネの先輩に誘惑されたら断る男子はいないだろうし、勘違いも
してしまうだろう。初めてならば尚更。
「結局それが明るみに出て、女子マネは退部させられたんだけど。それでも、ここ数年の低迷の
理由は、その出来事が理由のひとつだったんじゃないかっていう説もあるくらい、結構長期間に渡って、
人間関係がヤバかったらしい。そういうわけで、部内恋愛は危険だってことになって、女子マネ禁止に
なっちゃって今に至ってんのよ。しかもそのすぐ次の年に監督が交代してんだけど、それもその事件が
原因だったって噂もあるしな。表向きはトシのせいで引退したってことになってるけど」
「へええ……」
 女子マネ禁止の理由には、そんな深刻な出来事があったのか……って、それはすごく納得できたけど、
でも、それと私たちふたりの関係にどういう関連が? と、問い返すまでもなく、美味しくない
コーヒーで口を湿した彼が、また語り始めた。
「その話、春合宿でOBの先輩に聞いたんだけどさ」
 名門であるN高硬式野球部には保護者会はもちろんだが、とてもしっかりしたOB会があり、遠征や
合宿の際にはきっちりローテーションを組んで先輩方が手伝いに来てくれるそうだ。もちろん大変
ありがたいことだが、反面「ちょっとウゼエ……」と思ってしまうこともあるらしい……ってのは
何となくわかる。
「その話してくれた先輩自身が、件の女子マネに童貞喰われたひとりでさ」
「え!」
 うっわあ、良く話してくれたなあー。
 彼はますます憂鬱そうな顔になり、
「その先輩はさ、遊ばれてるだけなんて全然思わなくて、女子マネのこと結構真剣に好きに
なっちゃったんだってさ。だからコトが明るみに出て、他の部員も手当たり次第だったって判った
時にはめちゃくちゃショックで、その後しばらく女性不信っぽかったんだって」
「そおかあ……」
 そうなっちゃうよなあ、高校入り立ての16歳だ。同じ部のマネージャーの先輩に欺かれてるなんて、
考えもしないだろう。
「ま、それは極端に悲惨な例だけどなっ」
 彼の口調が突然軽くなった。そして、ここまでの話はオフレコで頼むな、と付け加えた。言われる
までもない。こんな深刻な事件、やたら話せるわけないー。
 ところで「例」って何の例? 大体何の話してたんだっけ?
「でもな、そこまでじゃなくても、先輩たちとかのエロ話聞いてると、初めてン時って結構みんな
ヒデエのよ。彼女ン家で真っ最中に親が帰ってきて最後までやれなかったとか、ゴム忘れて
イザ挿入って時に拒否られたとか、学校のトイレで10分で済ませたとか」
 確かにヒデエな!
「野球部ってそんなんばっかりなの?」
 そんなんばっかりじゃ無いけどさ、と彼は笑い、
「だからさ、俺は」
 また彼は口調を変えて―――改まったように私の目を見つめて。

「俺はちゃんとしたい」
 きっぱりと。
「勢いだけでやっちまうのは嫌だ」



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