lavender6-7

 

―――とはいえ、スポ根マンガのようなことは現実にはそうそう起きるはずもなく、結局そのまま
6−10×で負けてしまったのだけれど。

 でも、試合としての満足度は高い。いいもの見せてもらっちゃった、という気がしている。これは
ひとえに9回の渡瀬のクリーンヒットのおかげだろう。
 そう思えたのは私だけじゃないらしく、閉会式後、選手たちの出待ちで球場の通用門に残った
数十人のN高応援団は、負けたのに何だか皆清々しいいい顔をしていた。
 田沢氏は通用門まで連れてきてくれはしたのだが、私を置いて、とっととマネージャーのお仕事に
行ってしまった。ひとりになってしまったので、知った顔がいないかとキョロキョロしていると、
ミミとチカちゃん、その後ろからは陸上部の面々もやってきたので合流した。どうやら広田先生は
まだ寝ているらしい。
「ヒミー! 渡瀬すごかったねえ!!」
 チカちゃんが駆け寄ってくると、嬉しそうに肩を組んできた。嶽野くんもスタスタと近づいてきて、
「良かったね、早乙女さん、宇都宮から強引に帰ってきた甲斐があったね」
と、真顔で言われてしまった。だから嶽野くんみたいな堅気な人に、真面目にそーゆーこと言われると、
ことのほか照れるんだってば。
「ホントだねー、良かった良かった」嶽野くんと共にやってきたハムたんも頷き「ねえねえ、
渡瀬くんはさ、ヒミちゃんが間に合ったこと、知ってたの?」
「え……うん、多分ね。バックネット裏のかぶりつきにいたからね」
 バックネット越しに見つめ合っちゃった……とは言わないでおこう。
「じゃあきっとそれで気合い入ったんだ!」
「えー、そのくらいのことでー」
 私の存在くらいで、こんな大試合で普段以上の力が出せちゃったなんて、そんな都合のいいことは
無いだろう。県大会の決勝戦だもん、そんな甘っちょろいもんじゃない。私や周囲が認識していた
以上に、渡瀬に実力がついていたってことに他ならないと思う。
「ねえねえ」
 ミミが、チカちゃんがとりついているのとは反対側の私の肘に巨乳を押しつけて。
「渡瀬が出てきたらさ、キスとは言わないけど、ハグのひとつでもしてやんなよ。
最高のヒットだったわあ! とか言ってさー」
「えええっ!?」
 何それ!?
「じょ、冗談っ、そんなコトこんなトコで、できるわけないしっ」
 公衆の面前、しかも先生方や保護者もいるんだぞ?
「渡瀬、喜ぶと思うけどなあー?」
「喜ばない!」
 そーゆーのは、ふたりっきりの時&処でこっそりやるもんだろ! 

 やらないけど。

「ちぇ、相変わらず堅いカップルだのう……ってかさ」
 ミミはニヤニヤしながら少し背伸びをすると、私の耳に唇を寄せて、小声で。
「夏休みになったし、その後、進展した?」
 うっ。
「あ、あんまり……」
 少しは進展した、と言えないこともないかとは思うけど……しかし明らかな進展ではないよなあ。
「そっかあ、まだシテないんだあ、へーえ」
 ミミは感心したように頷いて、
「はー、渡瀬ってつくづく我慢強いなあ、ここまで来ると尊敬に値するわ」
 まあねえ、確かにあきれるほど我慢強いんだよなあ。
「何なに、何の話? 渡瀬が我慢強いって」
 反対側からチカちゃんが首を突っ込んできた。
「いやこのヒトたち、相変わらず進展してないっつーからさ。せっかくの夏休みなのに」
「あ……ふうん、そーゆー話……」
 オクテ仲間(多分)のチカちゃんはちょっと恥ずかしそうに苦笑して、
「夏休みになってもやたら忙しいってのもあるんじゃないの、このヒトたちの場合」
 それはその通りなんだよなあ。結局夏休みに入ってから、っつーか、試験休み以来、ふたりで
ゆっくり会えたことって無いんだよなー。
 でも、進展しない理由の根幹はそれじゃないんだよね、やっぱ……
「い、いいじゃん、ひとのことはさっ。ほっといてよっ」
 ミミの腕を振り払う。
「えー、でもやっぱ我が校きっての大型カップルだからなあ、ほっとけないよう」
「そーだよね、どーしたって注目はしちゃうよねー」
「注目すなっ!」
と、暑い中じゃれあってると。

「あのう……早乙女日弥子さん?」

 突然背後から声をかけられた。
 聞き覚えのない、大人の女性の声だ。
「は……はい?」
 絡みつくミミとチカちゃんを振りほどきながら振り向くと。
 見知らぬ……けれど、どこかで見覚えのあるような気もする中年女性が、汗を拭き拭き笑顔で
立っていた。年の頃はウチの親とかと同じくらいだろうか。小柄で少々ぽっちゃりしていて、
ころんとした感じの可愛らしいオバサンだ。応援席で大量に見かけた紺のキャップを被っているから、
野球部の保護者だろうか……って。

 あああっ! もしかしてっ!?

 キャップと笑顔で直感した。
 見覚えがあるはずだ。だってこの、目が無くなりそうに細くなる、柔らかな笑顔は……

「ああ、当たりね! 早乙女さん、お会いできてよかったあー」
 その女性は嬉しそうに軽く飛び跳ねた。
「えっ、えっと……あのっ、もしかして……」
「あっ、ごめんなさい、いきなりで驚かせちゃったわね、はじめまして、渡瀬英の母です!」
 
 やっぱりー!

 午後の日差しのせいだけじゃなく、目眩がした。
 近日中にお会いすることになるだろうとは覚悟していたが、今日、いきなりこんなとこで会うなんて
思ってもいなかったので、心の準備があぁぁー!

「お、お、お世話になってますっ、早乙女日弥子ですっ」
 やっとの思いで頭を下げた。
「いえそんな、こちらこそだわー、先日は息子が、すっかりご馳走になってしまって、ありがとう
ございました。もーすっごい大ご馳走だったそうでー」
「え、いえ、そんな全然ですっ」
 ご馳走っていうか、庭でバーベキューですから……それにゲストを散々
こきつかっちゃいましたし……
 渡瀬の母上は日焼け予防手袋をはめた手で口元を抑え、
「あら、ごめんなさい、お友達とお話中だったのに、良かったのかしら?」
「あ、はい、構いません、全然っ」
 どーせ大した話をしてたわけじゃない……っていうか! げげー、今の際どいガールズトーク、
聞こえてないよね!?
 それでなくても汗ばんだ背中にどっと汗が噴き出したが、母上は、そう? それならよかったわー、
ごめんなさいねー、ちょっと早乙女さんお借りするわねー、とミミとチカちゃんとハムたんに軽やかに
謝った。3人は、いいえぇどうぞどうぞぉ〜、と、どう聞いても裏のある愛想の良さで、一歩下がった。
 とりあえず、ガールズトークは聞こえていなかったらしい。ホッ。
「それにしても、お会いできてホント良かったわあ」
 うふふ、と母上は楽しそうに含み笑いをした。
「今朝ね、英が、早乙女さんも応援にきてるかもしれないから、見かけたら挨拶しといて、って、
突然言い出してね。今までは、連れてこいって何度言っても、忙しいんだっつーの、とか言って
かわされまくってたんだけど、とうとう覚悟決めたみたいでー」
 覚悟かあ。まあねえ、もし今日勝って甲子園に行ったとしたって、さすがに夏休み中には渡瀬家に
伺わないわけにはいかなかっただろうからなあ。
 ところで……
「あの……中学の時とか、どこかでお会いしてましたでしょうか?」
 中学では渡瀬と1回も同じクラスになってないのに、母上はよく私のこと判ったよなあ? 
陸上部のでも女バスのでも、ジャージの上着を着てればネームが入ってるから探し当てられるかも
しれないけど、この暑さだから部のロゴだけが入った陸上部Tシャツしか着ていない。
「いえいえ、残念ながら、巡り会ってなかったわよう。だから今朝、英に、挨拶しといてって言うけど、
顔知らないのにどーしろっつーのよ、そういうんなら、写メでも見せてよ、って言ったらね」
と、母上はまた楽しそうにうふふふと笑った。
 げ、まさか、渡瀬、私の写メを母上に見せたりしたんだろうか? ってか、私の写メなんて
持ってるっけ?
「さすがに写真は見せてくれなかったんだけどー、あの子ったら、絶対わかるから大丈夫、陸上部か、
もしくはインターハイのジャージとかシャツを着てるはずだし、ガッと人目を引く長身美女だからさ、
なんて言っちゃってー」
 げげっ、何それっ!
「いくらラブラブだからって、その表現ってどーなのよう、って笑っちゃったんだけど、でも、ホント、
英の言うとおりだったわあ」
うわ……渡瀬ってば、よりにもよってなんという表現を……
「いやでも、ほんっとにお綺麗ねえ〜、ウチのとじゃ、正に美女と野獣だわねえ、いいのかしらー」
 いいのかしらって……
「なんか……どうもスミマセン」
 何て答えていいかわからなくて、つい謝ってしまったら、背後で聞き耳を立てている3人が
噴き出した。おぼえてろぉぉ〜。
 母上は、ずいと一足前に出て、私の顔を覗き込むように見上げた。
「ねえ、ホントに近いうちに、いらしてくださいね?」
 覗き込まれて、渡瀬の顔立ちは、お母さん似なんだな、と思った。
「はい、ありがとうございます。伺います」
 ここまでは驚きと緊張でろくすっぽしゃべれてなかったが(母上の勢いに押されたってのもある)
それだけはハッキリ答えた。
「良かった!」
 母上ははしゃいで手を叩いた。日焼け防止手袋をしているので、あまり音はしなかったけれど。
「もう少ししたらお姉ちゃんも帰省してきますから、いる間にぜひいらしてね!」
「はいっ、ぜひっ」
 うん、噂の理子お姉さんには、私もぜひお会いしたいと思っている。

―――と。
「さーおとめー!」
 また背後から呼ばれた。
 今度の声は振り返る前から、誰の声かすぐわかった。噂の張本人だ。
 振り向くと、
「オメー、俺のヒットちゃんと見てたかあ?」
 大量の荷物を肩にも背中にもぶら下げたままで、渡瀬が駆け寄ってくるところだった。
 首には準優勝の銀メダルを下げ、そして満面の笑顔だ。

 でも、試合終了時には、3塁上で泣き崩れていたのを、私は見ていた。
 泣いてたのは渡瀬だけじゃなかったけれど。試合終了から閉会式まで、N高の選手たちはほとんど
皆泣きじゃくっていたし、私も泣いてしまった。田沢氏さえ、じっと涙を堪えている気配がしていた。
 でも、今はもう笑っている。
 次々と通用門から出てくる、渡瀬以外の選手達も、皆笑っている。
 本当はまだ泣いていたいんだろうに。

「見てたよう。バックネットかぶりつきにいて、見てなかったわけないでしょ?」

「じゃ、惚れ直したろ?」

 ぶっ。

 いや、この手の彼の発言はギャグであると私はもちろんすぐ理解できるし、そこで笑いを堪えている
3人組はじめ、身近な人は皆解るだろう。敗戦後の湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすために敢えて
言ってるんだろーなー、ってあたりも推察できる。
 でも、今日はヤバいんじゃないのか!?
 だって、よりにもよってこの方がいるのに、いいのか? と、背後の気配を伺う。
 あ、もしかして渡瀬って家でも学校にいる通りのノリなのかな? それなら構わないだろうけど
……でもそうじゃなかったとしたら?
 いつも通り女王様風に(例:「んー、ホームランじゃなかったからイマイチ」)切り返していいのか
どうか迷って口ごもっていると、ひょこっと渡瀬の母上が私の脇から顔を出した。
「英ぅ、あたしは惚れ直したわよお〜」
「げえっ! いたのかよっ」渡瀬は母上の姿を見るなり、後ずさった。「な、何隠れてんだよ!?」
 そっか、母上は小柄だから、私の陰に隠れて、渡瀬には見えてなかったんだなー。
「隠れてなんかないわよお〜、早乙女さんに、ウチに来てくださるよう、お願いしてたとこよお〜」
「あ……あっそ……」
 渡瀬は小さく頷いたが、怖いものを見てしまったというように、
「さ、早乙女、あとでまたなっ」
と、言い残すと踵を返し、全速力で逃げて行ってしまい、母上は面白そうにケラケラと笑った。




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