後編

 その時はとりあえず骨董店を離れ、スケジュール通りの観光コースに戻ったのだが―――まだ考えてたのか!?
 私はすっかり忘れていた。
「大体さ、骨董家具屋さんのあんなに大きなショウ・ウィンドウに、あんな小さな入り口しかないってのが、オカシイよね」
 妻は夜更けのベイカー・ストリートを歩きつつ、空いている方の手で、宙に60p×80pくらいの四角を描いた。掃除のオバサンが入ってきたにじり口の大きさを描いたつもりらしい。
「だからさ、表から見えないところに搬入口があるんだってば」
 ツッコミに溜息が混じってしまった。
「だからどこよ?」
「地下室は有望だと思うんだけどなあ。ほら、第二次大戦の時、ロンドンでは防空壕としていっぱい地下室が作られただろ?」
「防空壕を利用して、地下搬入口を作ったっていうの?」
「地下倉庫があるんだよ。そこから奈落みたいな仕掛けのエレベーターで上げるってのは、どう?」
 話しているうちに、コレはありそうな気がしてきた。商品の日焼け防止に地下倉庫ってのは有りなんじゃないだろうか。それに秘密のエレベーター付き地下室って、ミステリの館トリックっぽくていいではないか。
 しかし、妻は、あんた本当に推理作家? みたいな目で私を見上げ、
「あのさ、あんな大きなクローゼットを、地下倉庫にしまっとくって、ものすごく大変だと思わない? そんな二度手間するかな?」
……確かに。
 出す案出す案全て一言の下に否定されて、段々悔しくなってきて、
「じゃあ、君はどう推理するわけ?」
妻に振ると、
「森島くん、推理作家なんだから、ぱっとひらめいてよ」
「推理作家は探偵じゃないんだから!」
 そもそも、こだわっているのは妻であって、私ではない。断じて。
 と。
「日本の方ですか?」
 突然、頭上から流ちょうな日本語が降ってきた。
 いや、流ちょうと言ってもかなり英語なまりではあったのだが。「ニーホーンノ、カタデースカ?」みたいな。
 声の方を振り向くと、180センチ弱ある私より10センチは背が高そうな、長身痩躯の中年紳士が立ち止まって我々を見ていた。彫刻のようなかぎ鼻と、人なつこそうで、それでいてキラキラと良く光る黒い目が印象的。黒のスーツに黒の山高帽を被っている。スーツは、夏でも日本から来た我々には肌寒く感じられるほどだから有りとしても、山高帽ってのは……そういう職業の人なのだろうか。ウエイターとかホテルマンとか運転手とか執事(!)とか、いわゆるサービス業の?
紳士は、我々が後にしてきたベイカー・ストリート駅の方を向いているので、すれ違い様に声をかけたのだろう。
 夜でも人通りの多い観光スポットだからといっても所詮ロンドン、やはりふたりだけでふらふらと歩くのはヤバかっただろうか、と後悔しつつ、妻を背中に隠しながら警戒気味に答えた。
「……そうですが」
 すると、紳士は山高帽を脱ぎながら、
「突然話しかけてスミマセンでした。怪しいものではアリマセン。ワタシはベイカー・ストリートに自宅と事務所がありまして、帰宅するところなのです。懐かしい日本語を聞いて、しかも、面白そうなお話をしていらっしゃるので、思わず声をかけてしまったのデース」
 真顔でそんなことを言うが、怪しい者ではないと言うヤツに限って怪しいと相場が決まっている。
 しかし妻は俺の背中からひょこっと顔を出し、
「日本に滞在されたことがあるんですか?」
 興味津々といった感じで訊いた。
 紳士は微かに微笑むと、嬉しそうに頷いて、
「ハイ。若い頃にバリツの修行のために日本にいたことがあります」
 バリツ。
 私と妻は思わず顔を見合わせた。
 バリツというのは、シャーロック・ホームズが会得していた謎の東洋の武術で、柔術が間違った発音で伝わっていたものを、ドイルがそのまま採用してしまったのではないかなど、諸説ふんぷんで……というのは、ちょっとマニアックなミステリファンなら誰しも知っていることで。
 妻と私の疑問を置いてけぼりにして、紳士は楽しげにしゃべり続ける。
「ワタシ、日本では、様々美しいものを見ました。おシーロ、ジシャブッカク、仏像、日本画、書、カレサンスイ……しかし、ワタシは何より美しいものは、日本の四季だと思います。日本は四季それぞれが美しい!特に京都の秋と冬の美しさは、目に焼き付いてイマース」
「はあ……ありがとうございます」
 日本の代表というわけでは全くないが、思わず間抜けに礼を言ってしまった。
「By the way」
 うっとりと四季の美しさを語っていた紳士の黒い瞳が、突然キラリ、と鋭く光った。
「お話しされていた、ショウ・ウィンドウについて詳しく教えてくれませんか?」
 私と妻はすっかり紳士のペースに巻き込まれ、石畳の歩道に突っ立ちながら、ショウ・ウィンドウの様子について代わる代わる話した。ショウ・ウィンドウの構造はもちろん、飾られていた家具の大きさ、壁や天井、ガラス窓の様子、小さな出入り口について……
 すると、紳士は大きく頷いて。
「解りました。そこには確かに、見えていて見えない搬入口があるのです」
と、言った。
「ご存じのお店ですか?」
 妻が息せき切って訊いたが、それには紳士は頸を振り、
「No、あいにくワタシが知らないantique shopですが、しかし、ワタシが導き出した結論でおそらく間違いないでしょう」
「……どこから入れたのでしょう? やはり地下室?」
 少なからずドキドキして訊くと、
「いいえ、窓でしょう」
 紳士はキッパリと言った。
「えっ、窓ってあの大きなウィンドウですか? あれが動くのですか!?」
 きっちりと窓枠にパテで固定されていたのを確認しているし、紳士にもそれは話している。枠ごと動くとでもいうのか?
「ど、どんな仕掛けになってるんですか?」
 妻も紳士に詰め寄らんばかりに訊いた。
「イイエ、仕掛けはありません。ガラスを外せばいいのです」
しかし、返ってきたのは、こけそうなほどあっさりとした答えだった。実際妻などは、膝が砕けそうになったらしく、俺の腕に慌てて掴まりなおしたほどだ。
「ガラスって……枠から外すんですか? パテを剥がして?」
「ええ、そうです」
 紳士はゆっくりと自信ありげに頷いた。
 確かに、ガラスを外せばどんなに大きな家具でも(ショウ・ウィンドウに入る大きさってことだが)たやすく出し入れできる。店の前にトラックを停めれば、直で入れられて効率もいい。レイアウトもしやすいだろう。
 だが……
「季節毎に中身を入れ替えるのに、いちいちガラスを外すのですか?」
 妻が先に言った。
 そうなのだ。ショウ・ウィンドウの模様替えのたびにガラスを外していたら、大変な手間とコストがかかるのではないだろうか?
 すると紳士はニッコリと笑って。
「日本の方らしい疑問です。そう、日本は四季がとてもハッキリしています。ですから、季節毎にショウ・ウィンドウもコロモガエするのでしょう。一方、我が英国も四季はありますが、日本ほどはハッキリしていません。それに、我が英国は日本ほど変化を好みません」
「あ……」
「あっ」
 私と妻は同時に声を上げた。
 そうか!
「変えないのですね!」
「そうです」
 紳士はもう一度ゆっくりと頷いた。
「tailor's shopならば季節毎に変えるでしょうが、この場合、antique shopですから尚更、何年も変えないと思います。そう、飾られている商品が売れなければ、数年は変えないのではないでしょうカ?」
―――そうだ。
ここはイギリスなのだ。日本とは時の流れるスピードが違うのだ。
 ファッションやショウ・ビジネスなど最先端を全速力で邁進する部分を持ちながらも、ロンドンという街には、あくまでゆったりとした時間が、通奏低音のように流れている。
 時間の流れ方そのものが、アンティークのようにじっくりと味わい深く……それは、歴史とか伝統、そしてそれを誇りにする市民たちがかもしだしているもの。
 きっと、2,3年後ロンドンを訪れ、件の骨董店を訪れても、同じクローゼットとソファを見ることが出来るのだろう。
「そっかあ……なるほど、聞いてみれば納得ですぅ。ああ、スッキリしたあ」
 妻が溜息混じりに言い、
「ありがとうございます。これでスッキリと日本に帰れます」
ぴょこん、と紳士に頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ楽しい謎をありがとうございマース。いつまでロンドンにstayされるのですか?」
 紳士がきびきびと訊きかえした。
「明後日までです」
 私が答えると、
「そうですか、それでは明後日までどうぞロンドンを存分に楽しんで下さい。そしてぜひまたいらしてください」
紳士は、ナチュラルに妻の手を取ると腰を引いて古風な挨拶をし、私とは握手をして、霧の中をベイカー・ストリート駅の方へと足早に歩み去った。大きな、指の長い、骨張った、乾いた、けれど温かい手だった。
 妻と私も再びハイド・パークの方へ、ぶらぶらと歩き出した。
「ふー、いかにもイギリス紳士!って感じの人だったあ」
 感無量というように、妻が呟いた。
「うん。古風なファッションと物腰だったしね。歩くアンティークって感じ」
 妻は紳士に取られた右手を、いささかうっとりと眺め、
「ホントにそうだねえ。鮮やかな謎解きといい、容姿とか服装とか雰囲気とか、まるでシャーロック・ホームズみたいだなって思っちゃったよ」
……なんだと?
 思わず立ち止まった。
 そして紳士の去っていった方を振り向いてしまった。
 もはや、そこには深い霧しか見えなかったけれど……

……まさかね。

−◇−◇−

「どぉ?」
 早乙女は原稿から顔を上げた俺を覗き込んで訊いた。
「どぉ、ってお前、俺に新婚旅行話を読ませるたあ、嫌味か? ノロケか?」
「何で嫌味でノロケなんだよ」
 あはっ、と早乙女は笑って、
「ちょうど三浦が来てくれたからさ、副編集長に見せる前に読んでもらおうと思っただけじゃん」
 まあ確かに、恋愛においては絶対的勝者である早乙女が、俺に今更嫌味だのノロケだのをかますとは考えにくい。ってか、かます必要が無いわけで。それは俺も早乙女も分かって言ってるわけで。この手の掛け合いは、いわゆるひとつのレクリエーションみたいなもんだ。それから、俺がいるんだぞ、ということを再認識させることによって、たまには結婚生活に気合いを入れてやろうかい、みたいな意図も少々。
 ところで現在、当文星社ノベルス部では、副編集長の仕切りでパスティーシュのアンソロジーを編集している。10人の推理作家に短編を依頼中で、森島有人もそのひとりというわけだ。
パスティーシュ(Pastiche)とは、特定の作家の文体を模倣する文学技法、および特定作品に属するキャラクターや世界観、設定を他の作品に使用した作品を指すフランス語だ。要するにパロディの技法であって、ミステリではかなり昔、それこそ19世紀から使われている。当然ホームズなんかは後の作家に数限りなく使用されて、パスティーシュ作品が古典的名作になっちゃってたりもする。例えば「アルセーヌ・ルパン」の作者モーリス・ルブランは『ルパン対ホームズ』に代表される、ホームズのパロディキャラ「エルロック・ショルメ」をルパンのライバルに据えたパスティーシュ作品を幾つも書いているほどだ。もちろん、本格ミステリが盛んな日本でも、多くのパスティーシュの傑作がものされている。
「面白そうだってんで引き受けたはいいけど、俺、パスティーシュなんて書いたことないしさ、不安だから先に三浦に見てもらおうと思って」
 俺と早乙女が今いるのは、早乙女家の蔵座敷のリビングだ。俺が連休初日の土曜日にも関わらずN岡に来ているのは、執筆中の長編の陣中見舞い兼、既稿分の直しをするため(&彼岸なので帰省)なのだが、目的の仕事の前にそのパスティーシュ・アンソロジー用の原稿を見せられたというわけだ。
「こんなもんでもパスティーシュって言えるかな?」
 早乙女晃=森島有人は幾分不安げに訊いたので、俺は半分編集者、半分友人として率直に答えた。
「まあいいんじゃねえの。これはこれで肩の力が抜けた旅エッセイ且つバカミス風で面白いから有りだろ。でもな、もっと突っ込んだ描写があった方が、面白くなるんじゃないか。そうだなあ、骨董屋の店内を詳しく描いてみたらどうだろう。不思議な道具がいっぱい置いてあったりとか、壁を観察してたら慇懃無礼に追い出されたとか、怪しい骨董屋って雰囲気を強調したら、緊迫感も高まるし、それに伴ってラストの肩すかし度がアップして笑えていいんじゃねえ? なんたって小ネタだからな、描写は濃くしないとだろうよ」
「え、あ、うん、そっか、そうだよな、確かにこれ以上ないほどの小ネタだからな……なるほど」
 実際店内に入ってないんだけどな、書けるかな、枚数もキビシイしな、などとぶつぶつ言いつつも、早乙女は俺から原稿を受け取った。
 原稿を読んでいる間に作家先生自ら淹れてくれた紅茶で、口を湿らせ、
「それにしても、随分美誉のキャラ違うじゃん」
 美誉はしまり屋だから、旅行先で衝動買いをしたりしないんじゃなかろうか。それに、公衆の面前でこんなにべったべたに甘えたりするだろうか……ってあたりは何しろ新婚旅行中だから、断言はできないが。
「だって、コレの中の妻は」早乙女は30枚ほどの原稿を指先で叩きながら「美誉さんじゃねーもん。あくまで森島の妻だもん。森島だって、リアル俺の性格とは全然違うだろ?」
「森島は大体同じじゃねーの?」
「えー、そんなことないだろ。俺、こんなに尻に敷かれてない」
 と、思ってるのは本人だけだろな。
「それはともかく、早乙女、この短編のネタって」
 大きなテーブルの端っこには大きな銅の水差し。ドライフラワーのほおずきが数本無造作に投げ入れられている。水差しはところどころ錆が浮いているが、良い具合に古色のかかった鈍赤色の光を放ち、ほおずきの橙色とマッチしてなんとなし秋の風情。
「どこまでが、ロンドンで本当にあったことなんだ?」
「さあね。去年のことだし、もう忘れたよ」
 ミステリ作家・森島有人はそう答えて、片頬だけでニヤリと笑った。

FIN.

※ 30万ヒット感謝企画第一弾でした。いつも当サイトへのたくさんのご訪問、誠にありがとうございますm(__)m
今作は、皆様のアンケートを参考に書かせていただいたものです。恋愛小説というよりは、バカミス……の他何ものでもなくなってしまいましたが、お楽しみ頂けましたら幸いです(汗)
今後も各方面、細々と精進して参りますので、どうぞよろしくお引き立て賜りますよう、お願い申し上げますm(__)m

前編