鳴らないオルゴール1



「んん、タラの芽の天ぷら、旨え。ちーちゃん、天ぷら上手くなったなあ」

 ちょっとわざとらしいかも、と思いつつもおだてると、妻は得意げに

にやりとし、汗をかいたビアグラスを傾けた。

 いつもながらの、晩酌をしながらの、のんびりした夕飯時。

 ぼちぼちいいかな……

 俺は極力さりげなく、話を切り出した。

「ゴールデンウィークなんだけどさ、2泊くらいでツーリングに行きたいなあ、

なんて思ってんだけど……」

「ええーっ、かっちゃんひとりでぇ?」

 俺的には精一杯気を使って話しはじめたつもりだったのだが、妻……ちーちゃんは鼻の穴とほっぺたを

不満そうにぷうっと膨らました。ある意味、予想通りの反応ではあるが。

「ゴールデン…ウィークは、引っ越し疲れを温泉で、ふたりでのんびり癒すべぃと思ってたのにぃ」

「うん……それもいいんだけどさ、もちろん」

 三角に尖ってきたちーちゃんの口元を観察しながら、俺は殊勝そうにうつむいてみせる。

「そろそろ、あっちゃんと向き合ってみたいと思って。ひとりでじっくり」

 そう言うと、ちーちゃんの頬は、ビーチボールから空気が抜けるように、みるみるしぼんでいった。

  

 俺とちーちゃんとあっちゃんは、東北某県の国立大学の管弦楽団の同期で、4年間ずうっと仲良し3人組

だった。「イイ歳して、3人揃ってちゃん付けで呼び合ってるって、ちょっとキモイ」などど、外野から

やっかみ半分のツッコミが入るほど。

 イイ歳ったって、仕方ないのだ。

 俺はの名前は勝谷慎司で、日本中の勝谷姓の人々は、8割方「かっちゃん」と呼ばれているだろうし、

ちーちゃんは旧姓佐藤千衣で、これまたちーちゃんとしか呼びようがないし、あっちゃんはフルネーム

田所敦也で、ちゃん付けが良く似合う、お坊ちゃん系の容姿だったし。

 呼び方はともかくとしても、その関係は、3人が3回生になって、俺とちーちゃんが男と女として

つきあい始めてからも変わらなかった。

 そもそも、最初に仲良くなったのは、同じビオラパートの同期である、あっちゃんとちーちゃんだった。

 ホルンの俺は、弦パートのヤツはお高くとまってると思いこんで、入団してしばらくは管のヤツと

ばっかり遊んでいたので。

 それがある朝、大学の自転車置き場であっちゃんに声をかけられた。

「勝谷くん、おはよう」

 振り向くと、俺のより2グレードばかり上っぽい、黒のスポーツサイクルにまたがったあっちゃんが

微笑んでいた。

 上品な細面に、さらりとした坊ちゃん刈り、色白できゃしゃな、いかにもビオラより重いもの持った

ことありません、って感じのあっちゃんがスポーツサイクル……

 と最初は驚いたのだったが、話してみると、高校生の時にひとり自転車で能登半島1周したとか

(あっちゃんの実家は北陸の田舎町だ)、夏休みは自転車で帰省してみるつもりだとか、

見かけによらないタフさだということが判ってきた。

 かく言う俺も、高校時代に単独南東北一周をやり遂げた。ちなみに俺の実家は福島県の会津。

 俺とあっちゃんは自転車を接点として仲良くなり、あっちゃんを通じてちーちゃんともつるむように

なり、1回生の夏休み頃には3人組が定着していた。

 そして、俺とあっちゃんのふたりは長期の休み毎に、自転車に寝袋を積んでツーリングに

でかけるようになった。最初は「ふたりだけでずるい」とむくれていたちーちゃんだったが、野宿や

駅寝の様子などを話してやると、二度と一緒に行きたいとは言わなくなった。

 あっちゃんと俺の、学生時代のツーリングのオーラスは、3回生の夏の北海道1周だった。

 もう、6年前になる。

 そして、あっちゃんの愛車……修理を繰り返しながら使い込んだ黒のスポーツサイクルは、今は俺の

手元にある。

 あっちゃんの形見として。

  

 転勤を控えた今年の3月、突然俺の職場にあっちゃんから電話がかかってきた。

 俺は、大学卒業後、親戚のコネで、某電話会社に技術者として就職した。仕事自体は忙しいけど

面白いし、安定しているし、さほど文句はない。東北全県にまたがって、3、4年毎に転勤しなければ

ならないのはキツイが。

 あっちゃんから電話のあった日も、転勤を控え、引継ぎ書類作りに追われていた。

"かっちゃん、元気?"

「あっちゃん、久しぶりぃ。どうしたんだぁ、突然?」

"いや、ふとかっちゃんの声が聴きたくなって"

「なんだそれぇ。ああ、でも、電話も半年ぶりくらいだもんな」

"忙しいところ、悪いね"

 と、ちょうどその時、上司が俺に話したそうな視線を送っているのに気付いた。

「あ、うん、今ちょっと忙しいんだ。夜にかけなおすから」

"そうなんだ、ごめんね、いいよ、別に用事じゃないからさ。またにするよ"

「そうか、悪いなぁ。この4月に転勤だから、やったら忙しいんだよ」

"そうかあ、ご栄転だね。がんばれよ。じゃあね"

「別に栄転じゃねえよ、ごめんな、またな」

 それで電話は切れたのだけれど。

 電話の向こうのあっちゃんの声は、いつもと変わらず、穏やかで、柔らかだったのだけれど。

  

 あっちゃんの訃報が飛び込んできたのは、その5日後の夜だった。 
 
  

「そんなに疲れていたんだなあって……あたしが、もっと手伝えていれば……」

 黒の紋付きを着たあっちゃんのお姉さんは、涙ぐみながら言った。

 その頃、福島のいわきにいた俺とちーちゃんは、あっちゃんの訃報を受け、夜中に車を飛ばし、

8時間かけて、能登半島の根元にある小さな町に到着した。

 始めて訪れたあっちゃんの地元は、半農半漁の、風光明媚な、しかしたいくつな田舎町だった。

 あっちゃんの自転車が、能登半島でも自殺の名所と名高い絶壁の上で発見されたのは、3日前の

朝だという。

 あっちゃんは、5日前……俺に電話をくれた日に、職場である町役場を休んでいた。その日は有休を

取っていたが、次の日もあっちゃんは出勤しなかった。不審に思った職場の同僚が、既に隣町に嫁いで

いるが、唯一の身内であるお姉さんのところに電話をした。それを受けたお姉さんは、ひとり暮らしの

あっちゃんが、病気で動けなくなっているのではと心配して、実家に急いで帰ってみると。

 そこには、お姉さんに宛てた、あっちゃんの遺書があった。

 警察の捜索の結果、自転車が見つかった次の日、あっちゃんの遺体が、絶壁と同じ湾内の岩場に

打ち上げられているのが発見された。

  

 俺は大学を4年で卒業して就職し、ちーちゃんも、どうせすぐに俺と結婚するんだからと、やはり4年で

卒業すると、北三陸の実家に戻ってアルバイトをしていたが、あっちゃんは大学に残った。人文学部で

民俗学を専攻していたあっちゃんは、大学院に進み、将来は研究者になりたいと願っていた。

 実際、あっちゃんの卒論は紀要に採用されるくらい優秀なものだったし、教授のお気に入りでも

あったし、その願いは勝算のある現実的なものだった。

 しかし、修士課程の一年目、その夢が断たれた。小学校の校長先生をしていた、あっちゃんのお父さんが

倒れたのだった。脳出血だった。幸い、一命はとりとめたのだったが、かなりの障害が残り、生活の大部分に

介護が必用になった。もちろん、仕事に復帰することは、少なくとも数年は無理。

 あっちゃんは、その事態を受け、あっさりと大学院を辞めて地元に戻り、町役場でアルバイトをしながら、

お母さんとふたりで、お父さんの介護に当たった。そして、次の年にはそのまま役場に就職した。

 お父さんは、熱心にリハビリを重ね、倒れた一年後には自力で庭に出られるくらいまで機能回復して

いたようなのだが……その頃、俺とちーちゃんがちょうど結婚したので、その披露宴に来てくれた

あっちゃんが、嬉しそうにそう話していた……その熱心さが災いしたのか、庭で歩行練習をしている時に、

再発作を起こし、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 それが、3年ほど前のことだ。

 そして昨年、今度はあっちゃんのお母さんが心臓発作で倒れた。お父さんの看病疲れが出たのかも

しれない。そして、2ヶ月後、あっさりと亡くなってしまった。

  

 お姉さんに見せてもらったあっちゃんの遺書には、女性の筆跡かと見まごうほどキレイで繊細な

あっちゃんの字で、

"僕は、僕として生き続けていくには、不器用すぎるようです"

 と、書いてあった。

 確かに、あっちゃんは人見知りは激しいし、口下手だし、頭の回転は人一倍いいくせに、動作はトロいし、

器用とは言えないかもしれない。けれど、そんなに生きていくことが大変そうには見えなかった。

 いや、生きていくことは誰しも大変なのだから、それは俺の主観的な比較対象でしかないのだけれども、

不器用さゆえに、命を絶たなければならないほど、生きにくそうには見えなかった。少なくとも俺には。

 お母さんのお葬式のとき、立て続けに看病で大変だったな、と慰めにもならないお悔やみを言った俺に、

あっちゃんは、

「いや、両親共に親孝行できたと思えば、大変さも報われるからさ」

 そう答えた。

 更に、失礼かなと思いつつ、大学に戻らないのかと訊いた。お母さんが亡くなったことによって、

あっちゃんを地元に縛り付ける理由は無くなったわけで……

 その、俺の無礼な質問にも、あっちゃんは

「もう戻らないよ。幸い、役場はそれほど忙しくないから、研究は地元で細々と続けるつもり。民俗学は、

在野でも充分研究していけるからね。むしろ地方にいた方が、面白いかもしれないよ」

 と言って、微笑みさえ見せる余裕があったのに。

  

「あたしがもっと、敦也のことを気にかけていれば……ふたりきりの兄弟なのに……」

 お姉さんも、遺書の内容に納得がいかないのだろう。さっきから自分を責めるようなことばかり言って

泣き続けていた。

 お姉さんは隣町の農家に嫁いでいて、お舅さんが同居の上、小さな子供がふたりもいると聞いている。

お姉さんは、介護疲れが、あっちゃんの自殺の引き金になったと考えているようで、実家の両親の看病を、

大部分あっちゃんに任せざるを得なかったことを、とても後悔している様子だった。

「そんな……お姉さん、あっちゃんは、ヘルパーさんとか効率よく使って、うまいこと介護してたじゃ

ないですか。それに、お姉さんが、週に1回家事に来てくれるから助かってるっても言ってましたよぅ」

 介護福祉士の資格を持つちーちゃんは、そんなことを言ってお姉さんを慰めていた。泣きながら。

 あっちゃんは、お姉さん宛の遺書で、親族だけではなく、俺たちへの遺品を指示していた。

 ちーちゃんには愛用のビオラ。大学に入ってからビオラを始めたちーちゃんと違い、あっちゃんは

小学生から弾いていたので、腕前も楽器もかなりのものだった。2回生で既に、ビオラのパートマスターを

任されるほど。ぶっちゃけ、あっちゃんのビオラは、ちーちゃんには宝の持ち腐れだろう。

 そして俺には、懐かしい自転車と、初めて目にするオルゴールが遺された。

  

「あっちゃんと向き合いたいってかあ。そう言われると、弱いなあ」

 ちーちゃんは、ぼそぼそと言った。

 おそらく、ちーちゃんも、あっちゃんの自殺については釈然としていない。彼女は、俺が仕事に

行っている間に、時々あっちゃんのビオラを弾いているようなのだ。

 ビオラを弾くことで、あっちゃんと向き合っていると思われる。

「あっちゃんの自転車で、恐山に行ってみっかと思うんだ。せっかく下北にいるんだしよ」

 今春俺が転勤してきたのは、青森の下北半島。原子力研究施設で有名な村だ。あまり知られていないが、

この村には石油備蓄基地なんかもあったりして、デンジャラスな施設が集中しているおかげで、当社も

小さな村にしては立派な営業所を置いている。

 北三陸に住むちーちゃんの両親は、下北に転勤だと報告したとき、近くなる、と一瞬喜んだが、

村の名前を言った途端、電話の向こうで沈黙したものだ。

「恐山か……」

 ちーちゃんは、イカの炒め物に伸ばしていた箸を止めて。

「うちの地元あたりではさあ、当然このへんもそうだと思うけど、亡くなった人の魂は、

お山に……恐山に行くって言うんだよ」

「へえ」

 神聖な山という意識はあったが、亡くなった人の魂が集う場所だということは知らなかった。

「すっと、あっちゃんの魂も恐山にいるかもしんないのか?」

「どうだろう。北陸の方にも霊山ったら、立山とか白山とか、色々あっからねえ。あっちゃんは、

そっちにいるかもしれないけど」

 ちーちゃんが、こういうオカルト方面に興味があるとは知らなかった。単に、そういう土地柄で育ったと

いうだけかもしれないが。

「イタコさんに、あっちゃんを降ろしてもらうつもり?」

 降ろすというのは、口寄せのことだろう。

「いや、そこまでしないけど、転勤からこの方忙しくて、あっちゃんのこと考える暇もなかったから。

静かなところで、じっくり向き合ってみっぺがって。すっと、恐山は正に適所だべ?」

 ちーちゃんは、神妙な顔で頷いて、

「そうだね、お山はいっぱいあるけど、あの世は……浄土はひとつだもんね。恐山でもあっちゃんに

会えるかもしんないね」

  

 あっちゃんのお姉さんに手渡されたオルゴールは、一辺が15pくらい、高さが20pくらいの正三角柱で、

漆塗りの立派なものだった。艶のある黒地に、金色の小さな蝶が1匹舞っているだけの、シンプルな

デザイン。オルゴールと言われなければ、宝石箱に見える。結構高価なものだろう。

 見かけよりずっしりとしたそれを受け取って、蓋を開けてみたが鳴らない。ゼンマイを巻いていないのかと

箱を裏返し、巻こうとしたが、回らない。いっぱいに巻いてある感触がする。

「鳴らないのです」

 お姉さんは困った顔で、

「壊れているみたいで……敦也もどうして壊れたオルゴールなんかを、勝谷さんに渡してくれなどと

言い遺したのか……お待ち頂けるなら、修理してからお渡ししますが」

 そう申し出てくれたのだが、一応エンジニアの端くれである俺は、自力で直しますと言って、

鳴らないままオルゴールを受け取った。

 あっちゃんが、壊れたオルゴールを直して欲しくて、あえて俺に遺したのではないかと思ったからだ。

 しかし、直しますと言ったものの、それからすぐに転勤・引っ越しだったし、転勤後もまた超多忙で、

まだ中身の機械を見ることすらしていない。

 美しいオルゴールは、今は社宅の玄関に飾られている。掃除が苦手、というより嫌いなちーちゃんだが、

あっちゃんのオルゴールだけはマメに磨いているらしく、ボロ社宅に不似合いなほど、

艶やかに輝いている。


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