鳴らないオルゴール2
  

 結局、下北に来て最初のゴールデン・ウィークは……と言っても、

一応ライフライン関係の仕事なので、暦通りに休めたわけではない。

5月5日が過ぎ、世の中が再活動し始めた頃に、土日を含めて

4日間休みが取れただけだ。

 とにかく、俺なりに貴重なゴールデン・ウィークは、前半の2日間、

ひとりで自転車で下北半島を回るのを許可してもらうことができた。

1泊目はマグロの一本釣りで有名な大間に、2泊目はメインの恐山に

泊まるというプラン。

 その間、ちーちゃんは実家に帰省する。

 そして3泊目は、下北半島の秘湯、薬研温泉でちーちゃんと落ち合うことにして、温泉で引っ越し疲れを

癒すというリクエストにも、何とか応えられるようにした。

 俺的ゴールデン・ウィーク1日目は、薄曇りだった。天気は下り坂との予報が出ていたが、日程を変更する

余裕は全くないので、出掛けるしかない。

 本当はまだ文句が言いたいのかもしれないけれど、表情が読めないちーちゃんに、早朝、陸奥横浜駅まで

車で送ってもらった。黒い自転車を担いで大湊線に乗り込み、終点の下北駅まで。

 そこから本日の目的地、下北半島北端の大間までは40q余り。自転車をざっと点検してから、

こぎ出した。

 自転車に乗りながら、あっちゃんのことを考えようと思っていたのだけれど、久しぶりの単独サイクリングが

楽しくて……いや、ちーちゃんとのドライブも、もちろん楽しいんだけど、やはりたまにはひとりってのはいい。

 ゴールデン・ウィーク明けでガラガラの道は超快調で、津軽海峡の景色は雄大で、天気もなんとか夕方まで

もってくれて、俺は、大間までの道のりを心から楽しんでしまった。

 しかも「大間海峡保養センター」の温泉で汗を流した後に、飛び込みで入った民宿には、大漁で超上機嫌の

釣り人のおじさんグループがいて。

 夕飯には、名物のマグロばかりでなく、おじさんたちに、釣果のソイやアイナメなどを呼ばれてしまって、

ビールなどもごちそうになり、そうすると、俺もお返しに一升瓶など買いに酒屋に走ったりして、そのうち、

民宿の親父さんとおかみさんも加わったりして……

 大宴会なだれ込み。

 そういうわけで、あっちゃんと向き合うはずの旅1泊目は、大酒を食らった上、夢も見ずにぐっすりと、

大変気持ちよく熟睡してしまった。

  

 2日目。

 携帯の目覚ましに叩き起こされ、重い瞼を無理矢理こじ開けると、頭全体をぼんやりとした鈍痛が

覆っていた。二日酔いらしい。

 しかも、外は雨。天気予報通りだから、文句は言えないんだけど、頭痛も相まって、つい舌打ちして

しまう。

 朝飯に食堂へ降りていくと、釣りのおじさんたちは、親父さんの船でもう海に出たと、おかみさんが

教えてくれた。何て元気な人たちなんだ。

 親父さんと釣りグループのおじさんたちによろしくと言付け、おかみさんに見送られて大間を発った。

 大間から恐山までは、昨日より距離としては短いけれど、後半は山道だし、何しろ雨だし、はかどらない

こと夥しい。上り坂では自転車を引いて歩かなければならないこともしばしばだった。

 汗で蒸れた合羽が体に貼りつくのが、とても不快。

 不快だけれど、思い出した。あっちゃんとのツーリングでも雨に苦労した旅があったことを……

  

 2回生から3回生に上がる春休みのことだった。

 3月末、大学のある山形にはまだ雪が残っていたが、あっちゃんと俺は春を求めて南東北の太平洋岸を

南下していた。東北のハワイ、いわきで温泉に入って温まろうというプランだった。

 しかし。

 初春の雨は冷たい。

 こんなはずじゃなかった、春を見つける旅のはずなのにと、冬に逆戻りしてしまったような、どんよりと

暗い曇り空と太平洋を、無意味に睨みつけたりした。

 そんな天気だったので、早く温泉に入って温まりたい一心で、俺は道を焦り、急カーブの下り坂で転んで

しまった。合羽を着ていたので、ケガはなかったが、この旅のために新調した度入りゴーグルを

割ってしまった。

「ちくしょう、まったくもってアンラッキーだぜ」

 パーキングスペースのあずまやで雨をしのぎ、コンタクトレンズを入れながら毒づく俺に、

あっちゃんは、いつものような涼しげな眼差しで、

「焦るからだよ」

 すぱっと正論をかました。

「はいはい、その通りですよ。でもまあ、これほどのアンラッキーの後には、きっとラッキーが

やってくんべさ」

 半ばヤケでそう言った俺に、あっちゃんは、

「かっちゃんて、そういう考え方なんだ」

「そういうって?」

「不運と幸運は、順繰りにやってくるっていう」

「順繰りって限らないだろうけど、悪いことがあったら、その分いいこともあるって思ってないと、

やってらんねえだろ?禍福はあざなえる縄のごとしとか言うべ」

「なんかそれ、使い方微妙に間違ってるような気もするけど」

 あっちゃんは笑って。

「でも、いいな、そういうポジティブな考え方ができるって」

「あっちゃんはそう思わないのか?」

 俺は、そう考えるのが普通だと思っていた。

「僕は、幸運の量は人によって差があると思う。生まれつき」

「寂しいこと言うなあ」

「僕はペシミストなんだよ」

 あっちゃんの口調は軽く、表情も笑顔だったけれど、目だけが真剣だったような気がした。その日の

空模様のような、冬を思わせる真剣さ。

 しかし、あっちゃんは突然両手をぱちんと合わせて、楽しげに、

「そうだ、ねえ、かっちゃん、そういうかっちゃんみたいな考え方すれば今日のアンラッキーの分、

近々ラッキーも訪れるってことだよね?」

「そう願いたいところだな」

「そんならさ、そのラッキー使って、ちーちゃんに告っちゃいなよ!」

 俺は、指先に乗せていたコンタクトレンズを落としそうになった。

「なっ、なっ、何を、突然っ」

「だって、かっちゃん、3回生なったら米沢に入り浸りになるだろ。オケにもあんまり出られなくなる

だろうし、今のうち告っといた方がいいって」

 ちなみに俺は工学部生で、うちの大学の工学部は、本校から遠く離れた米沢市にある。

「だ、だからって……」

「かっちゃん、ちーちゃんのこと好きなんだろう?」

 あっちゃんはそう言って、俺の顔を覗き込んだ。

 俺の顔は多分、俺の口より雄弁に、あっちゃんの問いを肯定していただろう。

 その通り……俺は、その1年も前からちーちゃんが好きだった。

 でも。

 あっちゃんは、どうなんだ?

 あっちゃんは、ちーちゃんのことをどう思ってるんだ?

 俺とちーちゃんがつきあうことになっても、あっちゃんは構わないのか?

 そのことがどうしてもひっかかって、1年も悶々としていたのだ。

 ちーちゃん自身の気持ちや、振られるかもしれないってことよりも、あっちゃんのことが気になって。

 それでも結局、その春休みのツーリングから帰ってすぐ、新年度になる前に、あっちゃんに促されるままに

告ってしまって、今に至るわけだが……

  

「―――仕事で悩んでいるとか、そういう様子もなかったんですか?」

 あっちゃんの葬儀の夜、お姉さんを慰めながら、ちーちゃんがそんなことを訊いた。お姉さんに、自分を

責めるのを止めてもらいたいがための質問のようだった。

 お姉さんはハンカチを両手で揉みながら。

「上司の方の話では、仕事も、職場の人間関係も、特に問題はなかったそうです。私からみても、毎日

一生懸命やっているように見えました。」

 あっちゃんは町役場の福祉課で働いていた。

「そうですか……あ、じゃ、恋の悩みとか、そういうのはなかったのかしら?」

「さあ……どうでしょう。そういう話は兄弟でもなかなかしませんでしょう……あ、でも」

 お姉さんはハンカチを絞る手を止めて。

「これも職場の上司の方から聞いたんですが……父が亡くなった後、助役さんから敦也にお見合いの話が

あったそうなんですね。私は知らなかったんですけど」

「へえ、お見合い!」

 ちーちゃんが目を丸くした。

「でも、敦也は写真や釣書を見ることもなく、自分には好きな人がいますので、と即座にお断りしたんだ

そうです。それで、助役さんと上司の課長さんが、それならば仕方ないけれど、そういう人がいるのなら、

早く身を固めてお母さんを安心させてあげたらどうだと言うと、敦也は、いいえ、叶う恋ではないのです

けれど、なんて言って笑っていたそうで……」

「叶う恋ではないって……人妻にでも恋してたのかしら?」

 首を傾げるちーちゃんに、お前だって人妻だし、と心の中でツッコミを入れる。

 お姉さんとちーちゃんの会話を、俺は黙って聞いていたが、その、あっちゃんの叶わない恋の相手って

……もしかして、ちーちゃんではなかったのだろうか、と思ってしまわずにはいられない。

 上品で楽器も上手く、人当たりのやわらかいあっちゃんは、先輩・後輩問わず女子に人気があった。しかし、

大学4年間、俺の知っている限り……ってことは、ほぼ確実に、女の子とつきあったということはなかった。

それはつまりもしかして、ちーちゃんの存在があったからではないかと。

 ちーちゃんとつきあい始めた時から思っていたことだ。

 あっちゃんも、ちーちゃんが好きだったのではないか……俺のために、3人の友情のために、

身を引いてくれたのではないか?

 もし、俺より先にあっちゃんが想いを告げていたら、ちーちゃんはどうしただろう……今現在、俺の

配偶者になっていただろうか?

  

 午後になると、次第に雨が激しくなってきた。

 息が上がって口を開けると、雨が口の中まで降り込んでくる。

 合羽の外も中も、荷物も、ずくずくのびしょびしょだ。

 滑る山道を、じわじわと上っていく。

 くねる山道の両脇は、うっそうとしたブナの森。そこかしこに残雪が見えるけれど、ブナたちが全身で、

春の雨をどん欲に吸収しようとしている気配を感じる。自然から最も遠い生き物である人間の俺でも、

ちょっと油断すれば、野蛮なほど豊潤な下北の森に絡め取られてしまいそう。

 ペダルをひとこぎするたびに、脚の筋肉が悲鳴を上げ、胸がぜいぜいと鳴るが、森に絡め取られて

しまうわけにはいかない。

 どうしても俺は恐山に行かなければならない。

 あっちゃんと向き合うために。

 ひとこぎごとに、あっちゃんのことを考える。

 最後の電話で、あっちゃんは俺に何を言おうとしたのか。

 最後に声を聞きたかったのは、俺ではなくて、本当はちーちゃんだったのではないか。

 あの時、電話を切らずに、あっちゃんの話を聞いていれば、自殺を阻止できたのではないか。

 もっとしょっちゅう、電話やメールを交わしていれば、あっちゃんの変化に気づけたのでは

なかっただろうか。

 俺は、あっちゃんの親友のつもりだったのに―――何も気づけなかった。

 それよりなにより。

 俺が、あっちゃんから、ちーちゃんを奪ってしまったのではないか。

 それによって、あっちゃんの生き続けるエネルギーまでを奪ってしまったのではないだろうかと―――


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