鳴らないオルゴール3
  

 大学を卒業してから、1度だけあっちゃんと短いツーリングに

出掛けたことがあった。

 就職した年の5月、俺は仙台で長く厳しい新入社員研修を受けていた。

やはりゴールデン・ウィーク明けに3日ほどの連休があり、実家の会津に

自転車で帰省するついでに、山形のあっちゃんのところに寄ったのだった。

 幸いあっちゃんも暇だったので、そのまま連れだって会津に向かった。

 県境の何本も続くトンネルを抜け、福島県に入ってから、俺は、研修が

終わったら、ちーちゃんと正式に婚約して、来年にでも結婚すると、

あっちゃんに話した。

 実家にも、その報告をしに帰省するところだったわけだが、両親より先に、

あっちゃんに話しておきたかった。

「おめでとう。披露宴には呼んでくれるよね?」

 あっちゃんは変わらない邪気のない笑顔でそう言ってくれ、俺は正直ほっとした。

 しかし、あっちゃんは、

「それじゃあ、かっちゃんとふたりでツーリング行くのは、これで最後になるのかな」

 そう言った。

「んなことねえべ?」

 俺は驚いて言った。

「だって、かっちゃん、仕事が本格的に始まったら、どこに配属されるか解らないだろ?それに子供でも

できたら、僕と遊んでる暇なんてなくなっちゃうよ」

「結婚するったって、ちーちゃんとだぜ?あっちゃんに会いたいって言ったら、たまには出してくれっべさ。

あ、そうだ、あっちゃんが自転車でうちに遊びにきてくれればいい。どこ配属されるかわかんないったって、

東北から出るわけでないさ。あっちゃんが遊びに来てくれれば、ちーちゃんも大喜びするだろ」

「……ありがと」

 あっちゃんは言葉少なにそう答え、嬉しそうに、でも少し寂しそうに笑った。

  

 恐山に着いたのは、宿坊の夕飯ギリギリの時間だった。とにかく全身どろどろのぐちゃぐちゃだったので、

まずは温泉に駆け込み、頭から足の先まで一遍に洗い、本当ならゆっくり温まりたいところだったが、

カラス並みで済ませ、俺以外の宿泊者が、食前の五観の偈を唱えている最中の食堂に駆け込んだ。

 宿坊といえど、並みの温泉旅館よりも豪華なくらいで(宿泊料金もそれなりだが)、食事も精進料理では

あるけれど、ボリュームがあって、とても美味しかった。

 夕食の後は部屋の洗面台で、どろどろの荷物やウェアを洗い、それからこれまた豪華な宿坊の内風呂に

ゆっくり入り直し、冷えと疲労でカチカチの筋肉をほぐした。

 そして部屋に戻り、まだ22時の消灯前だったのだけれど、我慢できず清潔な布団にもぐりこんで、

ちーちゃんに恐山に無事着いた旨の短いメールを打ち―――あっちゃんが夢に出てきて、何か答えて

くれないかな、と思ったりもしたんだけれど―――やはり恐山の夜も、夢も見ずに爆睡してしまった。

  

 早い時間から熟睡したせいか、日の出と共に目覚めてしまった。

 雨は上がり、靄は出ていたけれど、爽やかな朝だった。

 昨夜入れなかったので、外湯に入りに出掛けた。硫黄の臭いがたちこめる湯小屋は早朝のためか貸し切り

状態で、すこぶる気分が良かった。

 朝の勤行まで、まだ少し時間があったので、温泉から上がったその足で、山を散策した。積み石や、

お地蔵さんや、お堂がそこかしこにあって、やはり霊山なんだなと実感したけれど、白茶けた岩場は昨夜の

雨に濡れていても、清潔感があり、不気味さは感じない。むしろ清浄ですがすがしい。

 歩いていくと、エメラルドグリーンの大きな湖のほとりに出た。

 宇曾利山湖だ。

 足下は、綺麗な白砂。

 薄くたなびく靄と相まって、静かで、光が満ちていて、ひんやりとした微風が吹いて、正に浄土ヶ浜の

名にふさわしい。

 あっちゃんも、こんな綺麗なところにいてくれればいいな、と思ったとき、靄の向こうから、浜辺を小柄な

人影が歩いてくるのが見えた。サクサクと白砂を踏み、確かな足取りで歩いてくるので、最初は判らなかった

のだが、近づいてくるにつれて、その人は灰色の着物を来た白髪のお婆さんで、白杖を付いているのが

見えてきた。

 イタコさんだ。

 そう思って、そのお婆さんとすれ違うタイミングで脇に避け、軽く一礼した。

 お婆さんも俺の気配を感じたのか、立ち止まり、一礼してから宿坊の方に去りかけた。その時。

「オルゴールは、聞いてくれたかい?」

 お婆さんが、いきなりそう言った。

 声は、お年寄りの女性のものだった。

 しかし、その口調は。

……あっちゃん?

 思わず振り向いたが、お婆さんの後ろ姿は何事も無かったかのように、スタスタと同じペースで歩み去って

いく。俺が硬直しているうちに、その小さな後ろ姿は、靄の中に消えてしまった。

……オルゴール?

 そうか、オルゴール!

 俺は宿坊に向けて駆け出した。

 そう、たぶん鳴らないオルゴールは、あっちゃんから俺へのメッセージなのだ。俺なら自力で直そうと

するだろうと、あっちゃんはそう思って、おそらくわざと壊して遺したのだ。

 オルゴールを鳴らせば、きっと判る。

 あっちゃんが俺に伝えたかったことが―――

 全力で走ったので、同じ方向に歩いていったイタコのお婆さんを抜かすだろうと思ったのだが、

姿を見ないまま、宿坊に着いてしまった。

 不思議だと思ったけれど、それに朝の勤行が始まる時間だったけれど、俺は部屋に駆け込み、枕元に

放りだしてあった携帯をひっつかんだ。そして息を整えることもしないまま、迷わずリダイヤル。

 コール10回ほど待って、

"……ふぁい。何だぁ、かっちゃん、こんな朝早く"

 寝ていたらしいちーちゃんが……まだ6時だ……不機嫌そうに電話に出た。

「ち、ちーちゃん、お、オルゴール、オルゴール」

"何?"

「オルゴール持ってきてけれっ、あ、あと工具もっ」

"オルゴールって、あっちゃんのオルゴール?"

「決まってんべっ」

"わざわざ社宅に寄って、オルゴール取ってから薬研に向かえってぇの?"

 目が覚めるにつれ、段々声が怒ってきている。

 そうか、ちーちゃんは実家にいるんだった……

「も、申し訳ないですが、なんとかお願いします。理由は会ってから詳しくお話しますので」

 できるだけ下手にお願いしてみる。

"ぬぅ……"

 ちーちゃんは電話の向こうで納得いかなそうに唸った。

  

 恐山から薬研温泉は近いので、3日目は余裕を持って移動することができた。薬研に着いてもまだ

チェックインには早い時間だったので、渓流を散策したあと、名物のかっぱの湯などに入ってみるが、早く

ちーちゃんが来てくれないものかと……オルゴールが早く到着しないかと、気もそぞろ。

 ちーちゃんは彼女らしく、チェックインちょうどの3時ぴったりに旅館に到着した。

「ほらよ」

 部屋から案内の仲居さんが退出するなり、ちーちゃんはオルゴールと工具を、窓際の明るいテーブルの

上に広げた。

 怒っているそぶりではあるが、ちーちゃんも、あっちゃんのオルゴールを鳴らしてみたいとは、絶対

思っているはずだ。

「サンキュー、悪かったな、手間かけて」

「この埋め合わせは、今夜の夕飯で純米吟醸だな」

「はいはい、なんでもお召し上がり下さい、奥様」

「それより何より、どうしていきなりオルゴールなのか、ちゃんと説明してよ。あっちゃんが夢枕に立ったと

でもいうの?」

「それに近いモノがある」

「えっ」

 今朝の恐山での出来事を話しながら、工具箱を開けて、精密機械用の細いドライバーを取り出す。

 オルゴールの蓋を開け、小物入れ部分に貼られているフェルトを慎重にドライバーの先でつついてみると、

端からつるつるっと簡単にはがれた。おそらく、あっちゃんが一度はがしているからだろう。フェルトが

すっかりはがれると、本体と小物入れ部分を止めている小さなネジが4本現れた。それを緩め、

ストッパーに注意しながら箱型の小物入れを外すと、オルゴールの機械が現れた。

 思っていた通り、3角柱の箱いっぱいいっぱいの立派な機械が入っていた。子供だましではない、

本格的な太いドラムの。

 どこが壊れているのだろう、ゼンマイも外して機械を出さなければ駄目かもしれないと、奥の方を

覗き込むと、あっさり故障の原因が分かった。

 歯車のひとつに、折りたたまれた小さな小さな白い紙片が挟まれていた。

 俺の話に、へー、とか、ふーん、とか、うっそーとか相づちを打ちつつ、手元を興味津々で覗き込んでいた

ちーちゃんに、ストッパーを押さえてもらっておいて、ピンセットで慎重に紙片を取り出す。

 小さくて薄い紙片をドライバーの先で開くと、2×5pくらいになり、そこには小さな文字が並んでいた。

見まごうことなき、あっちゃんの神経質な字で。


 君が好きでした


 呆然とする俺の手元から、ちーちゃんは紙片をかっさらって、そして読んだ。

 ちーちゃんも呆然として、俺の顔を見る。気のせいか、頬から血の気が引いている。

 君が好きでした……というのは、やはり。

 やはり、あっちゃんは、ちーちゃんのことが……?

 と、その時オルゴールが鳴りだした。

 ちーちゃんが思わずストッパーから指を離したからだ。

 機械が立派なものだからか、音も綺麗で和音も厚みがあるし、音程もかなり正確。

 フレーズの途中から始まったので、最初は何の曲なのかわからなかった。

 何の曲だろう……オルゴールにしてはゆったりした……

……あ。

「……チャイコ……弦セレ……」

 ちーちゃんが呟いた。

 チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』の第1テーマだった。この曲は大学の管弦楽団でやったことがある。

もちろん弦楽の曲なので、俺は吹いていないが。

「あっちゃん、この曲好きだったね……特注したのかな」

 ちーちゃんが回るドラムを見つめながら、小さな声で言った。

 確かに、オルゴールでこの手の曲というのは珍しいのでは……

「……あっ」

 その時突然、あっちゃんが、このオルゴールに託したメッセージが見えた。

 見えてしまった―――

「どしたの?」

 変な声を上げて凍り付いた俺を、ちーちゃんが怪訝そうに覗き込む。

「わ……かった……」

 おそらく、オルゴールの形、三角柱は、俺たちの三角関係を表している。あっちゃんと、ちーちゃんと、

俺の。

 そしてチャイコフスキー……

 チャイコフスキーはコレラで病死したというのが定説になってはいるが、実は、真の死因は服毒自殺だった

とも言われている。彼は、当時のロシアでは許されるはずもない同性愛者で、それを貴族階級のための

秘密法廷で暴かれ、自殺したというのだ。

 つまり。

 あっちゃんも……

 あっちゃんが好きだったのは……

「……俺なのか……?」

 俺の考えすぎであってほしいと、頭が熱くなるほど脳をフル回転させた。しかし、考えれば考えるほど、

いろいろな疑問が、ストンと腑に落ちてしまう。説明がついてしまうのだ……

……ぽたり、と散らかったテーブルの上に水滴が落ちた。

 水滴は、俺の涙だった。

「……かっちゃん?」

 じっとオルゴールを聴いていたちーちゃんが、俺の肩を抱いた。

「ちーちゃん……あっちゃんは、俺が好きだったみたいだ」

「え?」

 涙をこらえながら、オルゴールに込められたメッセージを説明すると、ちーちゃんも思い当たるところが

あるのか、膝立ちにしていた腰をどすんと落として、両手で口元を押さえ、

「……あっちゃん……そうだったのか……」

 そう言って、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

 俺は心の中で、あっちゃんに謝り続けた。

 気付いてあげられなくてごめん。

 理解してあげられなくてごめん。

……けれど。

「死ななくても……」

 死ななくてもいいじゃないか!

 そう言おうとして、言葉が途中で止まってしまった。

 例え俺が、あっちゃんの気持ちに気付くことがあって、そして理解してあげられたとしても。

 その気持ちを受け止めることは……やはり永遠にできなかっただろう……

 そう思うと、ずきん、と胸の奥が鋭く痛んだ。

 おそらく、一生持ち続けるであろう、痛み―――

「かっちゃんっ」

 と、ちーちゃんが俺に抱きついてきた。

「あたしっ、明後日から毎日基礎体温つけるっ」

「はぁ?」

 なにを唐突に……

「子供つくろうっ、なるべく早くっ」

「ど、どうしたんだよ、急に」

 結婚から3年、子供を作らないようにしていたわけではないが、積極的に作ろうともしてこなかった

俺たちだったのだけれど。ハードな転勤のことを考えると、踏み切れなくて。

「んでねっ、生まれた子がねっ、男の子だったら敦也とか敦史とか、女の子だったら敦子とか敦美とか

名前つけてねっ、あっちゃんって呼んで、うーんとうーんと可愛がって育てるのっ」

「……ちーちゃん」

「そんでねっ、3人で仲良く楽しく暮らすのっ。ねっ、そうしよう、かっちゃん!」

 ちーちゃんはそう言うと俺の肩に顔を押しつけて、泣きじゃくった。

 温かなちーちゃんの背中を抱きしめながら、俺は

「うん……」

 とだけ、答え、目を閉じた。              
                            FIN.


                                  







      

あとがきのようなもの

このたびも、素人小説を最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
久々のノンシリーズ作品だったのですが、いかがでございましたでしょうか?

「そういうオチかい!」という罵倒が聞こえてくるような気がする(◎◎;)ドキドキ

この作品は、ゴールデン・ウィークに、下北ではなく、津軽半島をドライブしている時に降臨したネタで
ございます。自転車に大荷物を積んで山道を必死に登っていく青年を見かけ、愚弟が大学で自転車部だった
ものですから、ああ、あの若者も貧乏ツーリング中なんだろなあ……と、そのときにびびっと(笑
下北は、10年くらい前に車で1周したことがあります。本当は、大間と恐山だけではなく、
尻屋崎の寒立馬(かわいいのです!)も登場させたかったのですが、距離的に無理でした〜(^_^;
青森は文学のふるさとでございますし(青森出身の作家って多いですよね!)、またネタが降臨したら
舞台にしたいと思います。
青森だけでなく、東北6県で中編集などできたらいいなあ……などと、遠い野望( VノェV)コッソリ…

次の小説は、「樹下シリーズ」、『まだきみ』の続編になります。久しぶりに愛のあるエロシーンが
多いので、筆が進みます( ゚∀゚):;*.':;ブッ 
しかし、エロ以外のシーンは相変わらず亀なので、今しばらくお待ち下さいませ_| ̄|○

あっと言う間の中編でございましたが、拍手や投票など、誠にありがとうございました。
読者様の応援を糧に、またがんばらせて頂きますm(__)m

心からの感謝を込めて−−−                       2006/6/14 どり拝


                                    作品目次