PDで会いましょう 2


 事務所に乱暴に踏み込んできたのは、園子が三日前の晩、百瀬の歌を聴く前に会っていた男だった。

 男はまっしぐらに応接コーナーへと、つまり園子めがけてやってきた。テーブルに梱包材を広げて作業を

している百瀬を見て、少し驚いた様子ではあったが、宅配便業者など目に入らなかったと言わんばかりに

無視し、立ちすくむ園子の両肩を強く掴んだ。

「どういうつもりだ? 実家の方に仲人から、正式に婚約破棄したいという電話が来たそうだが」

 男の、常ならばきっちりとセットしている七三分けの髪も、ブランド物のネクタイも、いささか

乱れていた。

「本気じゃないだろうな?」

 メガネの奥の目は、血走っている。

「ほ、本気ですっ。もうあなたとは会わないって、三日前に申し上げたじゃないですかっ」

 園子は震える声で、しかしきっぱりと言った。

「ふざけるな、婚約したって親戚にも上司にも言ってしまったんだぞ、今更破棄なんて恥ずかしいこと

できるか!」

 男は声を荒げた。

「無理です!あなたとは結婚できません!!」

 園子は怯えつつも叫ぶように言った。

「バカ野郎、俺に恥をかかせる気か!?」

 男は拳を振り上げた。

 園子は反射的に目を閉じ、歯を食いしばった。

 また殴られる……!

 しかし、拳は数秒たっても落ちては来ず、園子はおそるおそる目を開けた。

 男は拳を振り上げたままの姿勢で固まっていた。

 その拳を百瀬が片手で押さえつけていた。

「女性に暴力を振るうのは、いついかなる時でも良くない」

 冷静な声。

「なんだお前は……」

「その手も離しなさい」

 百瀬は園子の肩を押さえつけるように掴んでいた、男のもう一方の手をも振り払った。

「運送屋風情が……」

 男は今度は百瀬に殴りかかろうとし、

「やめてえっ」

 園子は悲鳴を上げたが、百瀬は男の両手をがっちりと押さえつけていた。

 中背痩身の百瀬は男よりも小柄だが、半袖のつなぎから見える腕には筋肉がくっきりと盛り上がっていた。

 男の顔は怒りに紅潮していたが、百瀬の頬は白いままで、

「この場には3人いるわけです。あなたがどちらを殴ろうとも、客観的な目撃者がいるということになる。

傷害事件が成立しますね。しかもここは法律事務所です。暴力沙汰を起こすには拙い場所だと思いませんか」

 あくまで冷静にそう言った。

 男はしばらく百瀬の顔を憎々しげに睨みつけていたが、突き飛ばすように百瀬から離れ、

「園子っ、外で話そう」

 そう言った。

 園子は男から少しでも遠ざかろうとするようにじりじりと応接コーナーの奥へと下がり、

「ま、まだ仕事中ですっ。それに、もうあなたとは話すことはありません」

「俺はまだ話すことがあるんだよ!」

 園子に詰め寄ろうとした男を、百瀬の腕が遮った。

 男はまた険悪な眼差しでにらみ付けたが、百瀬は相変わらず表情の読めない顔で、それでも一歩も

下がろうとはしない。男は、ちっ、とこれ見よがしに舌打ちをすると、

「今週は忙しいが、来週になったら時間が取れるから、改めて会おう。それまでに冷静になって

考えなおしておけ。いいな」

そう言い捨て、来たときよりも乱暴な足取りで事務所から出ていった。

 男から顔を背けていた園子は、その足音が消えるのを確認してから、ふうっと息を吐き、百瀬に

向き直ると、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

「いえ、男なら誰でもこのくらいします」

 百瀬は静かに言ったが、園子は頭を上げなかった。

 上げられなかった。

 恥ずかしくて。

 あんな男と婚約していた……いや、まだ破棄が了承されていないらしいから、婚約していることを、

百瀬に知られてしまったのがとてつもなく恥ずかしかった。

「座って、落ち着かれたらどうですか。肩は痛まないですか?」

 百瀬の言葉に園子は頷き、実際男に掴まれた肩はズキズキと痛んでいたのだが、うつむいたまま

応接コーナーのソファに座った。

 百瀬は無言で、中断された作業を続けた。

 仏像をきっちりと梱包し、掛け売り用の伝票を切り、おあずかりします、と言った百瀬は、

うつむいたままの園子に。

「今夜はまだお仕事されるんですか?」

 なにげなく訊いた。

「いえ……もう、帰ります」

 園子は首を振った。もう今夜はとても仕事などできそうにない。

「ご家族にお迎えを頼まれたらどうですか? おひとりで帰るのは怖いんじゃないですか。

またバスなんでしょう?」

「うちは自営ですので、この時間ではまだ頼めません」

 園子の家は動物病院である。

 しかし、確かにひとりで帰るのは怖い。あの男が待ち伏せでもしていたら、と思うとぞくりと

背中が寒くなった。タクシーを呼ぼうか、と園子が考え始めた時、

「それなら、僕ももう上がりですので、よろしければ送ります。お宅はどちらですか?」

 百瀬が言った。

 園子は顔を上げた。

 百瀬は変わらず、静かな表情をしていた。

「……い、泉ですが。I高校の近くです」

「ああ、それなら営業所がちょうど通り道になる。お預かりしたお荷物を営業所に届けなければ

ならないので、ちょっと回って頂くことになりますが、それでよろしければ送りましょう。

おひとりで帰らない方がよさそうですよ。随分動揺してらっしゃる」

「え、ええ。でも……」

 申し訳ない、と言おうとした園子の言葉を、百瀬は遮り、

「ウミネコ運輸の百瀬であると面が割れてるわけですから、送り狼になったりすることは

ありません。それに」

 そこでやっと百瀬は少し笑い、

「宅配便の車に乗ってみたいと思いませんか?」


   

 
 ワゴン車の中には、先ほど梱包した仏像しか入っていなかった。イレギュラーな依頼だったので、

早上がりのはずだった百瀬が急遽出向くことになったのかもしれない、と園子は余計に

申し訳なく思った。

 園子も百瀬も、ワゴン車の中では、言葉少なだった。百瀬は元々口数の多い方ではなさそうだし、

園子はまだショックから立ち直っていなかった。

 お客様を乗せるのは業務違反なのですが、今夜は非常事態ですから許されるでしょう。

 百瀬は夜道をじれったいほど安全運転しながらそう言った。

 ウミネコ運輸の営業所の近所にあるハンバーガー・ショップで車は一旦停まり、園子は降りて

待っているようにと言われた。

 15分くらいで戻れると思います。すみませんが、少し待っていて下さい。

 そう言って百瀬は営業所へとワゴン車で向かい、園子は眩しいほど明るいハンバーガー・ショップの

店内に入った。

 久しぶりかも……

 園子は店内のポップな装飾を懐かしいもののように眺めた。

 園子もご多分に漏れず学生の頃まではしょっちゅうファスト・フードを食べていたけれど、20代も

後半に入ってからは、味覚も洗練されてしまったし、美容と健康も考えるようになってしまったし、

懐具合も豊かになったので、とんと遠ざかっていた。

 食欲は無かったし、家には夕食が待っているので、園子はホットコーヒーだけを頼み、道路が見える、

駐車場に面した窓際の席に座った。

 あ、割と美味しい。

 園子は熱いコーヒーを一口啜って思った。

 昔より美味しくなってるのかしら。ちゃんと香りもあるし。たまたま淹れ立てに当たったのかな。

それとも……今夜だからなのかな。

 ほうっ、と園子はやっと力の抜けた溜息を漏らした。

 しかし、さきほどの婚約者の剣幕を思い出すと、胃の辺りが一遍に重たくなった。

 おいそれと婚約破棄してはくれないだろう―――

 ズキンと、治まっていた肩の痛みがぶりかえした。

 コーヒーを飲み終わった頃、ハンバーガー・ショップの駐車場に、黒っぽいバイクが走り込んできた。

乗り手も、黒のジーンズに黒のウィンドブレーカー、ヘルメットも黒だった。その黒ずくめの乗り手は、

バイクを園子のいる窓際の席のすぐ外にある駐輪場に停めると、ヘルメットを脱ぎながら店の

入り口へと足早に向かった。

 何となくその乗り手を見ていた園子は、その顔を見て驚いた。百瀬だった。送ると言った口ぶりから、

車で迎えにくるものだとばかり思っていたので、バイクで現れたのが意外だった。

 店内に入った百瀬は、振り向いた園子をすぐに見つけ、歩み寄ってきた。

「お待たせしました」

「いえ……」

 バイクだったんですね、と言おうとしたが、バイクを嫌がっているように思われたくなくて、

園子は口ごもった。

 百瀬はウィンドブレーカーを脱いで、園子の向かいの席に置くと、

「お待たせついでに、ちょっと食べていってもいいでしょうか?」

「え、ええ、もちろん」

「あなたは飲み物だけでよろしいんですか?」

「はい、私は家に食事があると思いますので……親と住んでますので」

 百瀬は園子の返事に頷き、

「では、すみませんが」

 カウンターに向かった。

 百瀬は、ハンバーガーの廉価セットを乗せたトレイを持って席に戻ってくると、すぐに食べ始めた。

細い体にみるみるハンバーガーやポテトが詰め込まれていく。勢いのある食べっぷりではあるが、

がさつではない。

 気持ちのいい食べっぷりだな……

 園子はあまりまじまじと見つめるのは失礼だろうと思いつつも、百瀬から目が離せないでいた。

 宅配便屋さんって肉体労働だし、この時間じゃお腹ぺこぺこだろう。それに若いし……

 と、百瀬がちらりと視線を上げた。

 視線が合ってしまって、園子はちょっとドキリとしてしまう。

「何か言いたそうですね?」

 百瀬は少し笑って、口を紙ナフキンで拭きながら言った。

「いえ……」

 思わず目を逸らす。

「それが夕飯なの? もっとちゃんとしたもの食べなきゃダメじゃない、みたいな、母親チックなこと

言おうとしませんでした?」

「いえ……そんなこと」

 そんなおせっかいなこと……少しだけ思った。

「自炊も時々してますよ」

 百瀬はそう言うと、食事を再開した。

「一人暮らしなんですか?」

「ええ。実家は気仙沼なので」

「そうですか……」

 でも、ご飯を作ってくれるような女の子がいるんじゃないですか?

 園子は、そうつっこもうとして、止めた。

 無難な質問に置き換えた。

「百瀬さんて、おいくつなんですか?」

「25です」

「え! 若い……」

 年下だろうとは思っていたが、3つも下とは。

「老けて見られるんですよね」

 慣れているらしく、百瀬は表情を変えずにそう言った。

「あ、いえ、そうじゃなくて、落ち着いてらっしゃるから」

 園子は、百瀬の答えに少なからず動揺している自分に更に動揺した。

 どうしてこの人が3つも年下ってだけで、こんなに動揺しなきゃならないの?

「お待たせしました」

 ものの5分で食事を終えた百瀬は、トレイの上にくしゃっとゴミをまとめながら、

「門限って、あるんですか?」

「え、門限ですか? ありませんよぉ、こんなイイトシして」

 園子は唐突な問いに、右手を顔の前で振りながら答えた。

「それなら、よろしければ、天気がいいので」

 百瀬はまた少しだけ笑って言った。

 今までで、一番くつろいだ笑みだと、園子は思った。

「ちょっと遠回りして、夜景を見ていきませんか?」


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