最終兵器2
 
「んで、どーなのよ、野沢さんとはその後?」
 チャーハンを肴に缶ビールを2本ずつ空けたところで、三浦は遠慮会釈なく本題に切り込んできた。
 ビールで僅かに火照ってきていた高橋の頬は、その名前を聴いた途端に一気に熱くなる。
「ど、どうって……」
「何恥ずかしがってんだよ、イイトシこいて」
 細いガラステーブルの向こうの三浦は、鼠をいたぶる猫のようにサディスティックに、ニタリと笑う。
「彼女の話なんだろ? いいよいいよ、何でも聞くぜ?」
 あ、その前に、と三浦は軽やかに立つと、高橋が土産に下げてきた山田誉の四合瓶とグラスをキッチン
から取ってきた。カツン、カツン、と大ぶりのガラスの冷酒グラスがテーブルの上に置かれる。立った
ついでに、と、壁際に置かれたつや消しブラックのシステムコンポのスイッチが入れられ、和製ディーヴァの
パワフルなソウルが、小さな音で流れ始める。
「ほい、お待たせしました。んで、何? いよいよ本格的に口説きたいって、そういう相談か?」
 効率よく作業を終えた三浦は再び定位置に座り、改めて訊いた。なんだかコイツやたら楽しそうで
ちょっとムカツク、と高橋は思いつつ、
「えっと、いや、なんつーか、ちょっとは進展したってか、一応、お友達以上の関係でつきあって
もらえるようにはなって」
「へえ!」
 トクトク、と気持ちよく注がれていた日本酒の流れが一瞬止まる。
 おちょこに向けられていた三浦の視線が、高橋を見上げ、細い目が更に楽しげに細められ、
「そうなんだ! やったじゃん。おめでとさん」
「あ、うん、お、おかげさまでっつーかなんつーか」
 高橋はしどろもどろに、ありがと、と小さな声で付け加えた。
「それにしても」
 三浦はテーブルの上に興味津々というように身を乗り出し、
「いつの間に口説いたんだ? 忘年会の時点では、まだ道のりは長そうな感じだったのになあ」
 ああ、とそこまで言って気づいたように言葉を続け、
「そっか、忘年会ってもう4ヶ月も前だもんな。進展があってもおかしくはないかあ」
 そして更に、最近時の経つの早すぎ、と呟く。
「ま……まあな」高橋は景気づけにぐいっと冷えた純米酒を呷り、「俺的には渾身の攻めで……脳みそ
ショートしそうなほど頑張ったわけよ。脳みそ使っただけじゃなく、風邪ひいたし、車の修理代に30万も
かかっちゃったし……」
その忘年会の夜更けの雪中行軍を思い出しながら言った。
「はあ?」
 三浦は首を傾げ、
「風邪? 車? 一体どういうシチュエーションで口説いたんだよ?」
「いや、それはおいといてくれ。話すとすげえ長くなっちゃうし、今夜の本題には関係ないから」
 高橋は慌てて顔の前で両手を振った。恥ずかしくてとても話せたものではない。
「ふうん?」
 三浦は不満そうな顔をしたが、やはり本題が気になるのか、
「まあいいか。んで、めでたくつきあえることになったってのに、何を悩んでるわけ?」
高橋のグラスに酒を注ぎながら先を促した。
「うん……あのさ」
 再び満タンになったグラスに軽く手刀を切ってから、高橋はまた酒を一口含んだ。
 じわりと口の中に広がる濃厚な辛みと旨味。
「親がさ、反対みたいなんだよ。彼女とつきあうの。特に母親が」
「ほう……なるほど」
 三浦も難しい顔で酒を啜り、
「まあなあ、野沢さんの過去を考えれば、反対する気持ちも解らないでもない」
「で、でもさっ」
 今度は高橋がテーブルの上に身を乗り出し、
「彼女がJAで働きだした頃からお袋ってば常々、あんなに良い子がどうしてあんな可哀想な目に
遭っちゃったんだろうね、働き者で気だても良いし、すっごくいい娘さんなのにねえ、なぁんて言って
たんだぜ? それがさ、俺が、野沢さんとつきあうことにした、今度家に連れてきてもいいか、
つったら、雪が溶けたらね、とか、種まきが終わったら、とか、田植えが終わったら、とかなんとか
言っちゃって、伸ばし伸ばしにして全然予定立てようとしないし、そればかりかついに先週、JA主催の
お見合いパーティー申し込んでおいたからね、なんて言い出して」
「だからさ」
 まくしたてる高橋の台詞を、三浦は火を点けていない煙草を気障な仕草で振って遮り、
「客観的に見たら良い娘さんでも、大事な一人息子の彼女ったら話が違ってくるんだろうよ。嫁になるかも
しれない女性なんだからな。年上バツイチでしかも子どもを亡くしているなんていう経歴の持ち主よりは、
出来たら初婚で若い子にして欲しいってつい思っちゃうのが、親心ってなもんだろう?」
「そりゃそうだけど……」
 それは高橋も充分理解はしている。しかし納得はできない。むしろ親だからこそ理解して欲しいという
思いもある。
「それにしてもさあ」三浦は煙草に火を点けながら、「どうして高橋、わざわざ東京まで来て愚痴ってる
わけ? そんなこと早乙女家で相談すりゃいいじゃん。お袋さんのことだって野沢さんのことだって、
俺よかアイツらの方が良く知ってるだろ?」
「いや、だって」
 高橋は、腹のあたりが急に重苦しくなるのを感じた。ここのところ晃と美誉子のことを考えると、毎度
胃の中に石ころをドンと投げ込まれたような気分になってしまう。
「アイツら、今それどころじゃないじゃん……」


 
「……ああ、まあな、そうだよなあ。人のことどころじゃないわな」
 三浦は溜息と共に煙草の煙を吐き出しつつ、晃と美誉子の現状に思いを馳せる。
 そうだった。アイツらは今、それどころじゃない……
「それにさ、こういう話題はちょっと晃には相談し難いから」
 高橋はらしくない難しい顔になっている。
「なんで?」
「親との関係ってさ……ちょっとね」
「ん……ああ、うん、そっか」
 確かに、美誉子はともかく、晃としては相談されても困るし、もしかしたら悲しくなってしまう問題かも
しれない、と納得する。
「あとさあ」
 高橋は難しい顔を突然解いて、えへっ、と笑い、
「三浦の親父さんも結構頑固者なんだろ? だから三浦ならこういう問題、解ってもらえるかな
ってのもあって」
「うん、確かに頑固親父だけどな」
 もう一度煙を深く吸い込んでから。
「でもうちの親父の場合、確信的にやってる可能性もあるからな。俺を自立させようとして、ワザと
締め付けてたんじゃないかと、今になると思う」
 ハンパなことをしたらすぐにでも田舎に連れ帰って家業を継がせるぞ、という無言のプレッシャーを、
10代後半から20代の三浦は常に感じていた。
 現在は、妹が結婚し、その夫が婿ではないがマスオさんになってくれたので後継者問題は解決し、
三浦へのプレッシャーはかなり軽減されている。というか、諦めたかのように野放し状態。
「そうなんだあ。うちのお袋みたいな、やみくもな頑固さじゃないんだあ」
 高橋はがっかりしたのか、ソファによりかかると頭の後ろで手を組んだ。
「高橋のお袋さんだって、もしかしたらワザとやってるのかもしれないぞ。お前の野沢さんに対する
気持ちがどのくらい確固たるものか試してるのかもしれん」
「無い無い」高橋は苦笑して首を振った。「そんな深謀遠慮の使えるオバハンじゃないって」
「わからんぞ」三浦は肩をすくめて見せたが、「まあ、それは無いとしとくことにして、そーすっと、
要はどうお袋さんを懐柔するかっていう相談なわけ?」
「うん、まあそういうことになるかなぁ」
 高橋は憂鬱そうに頷いた。
 三浦は煙を吐き出しながら、わざと突き放すように、
「そんなら簡単だ。立派な大人同士なんだから、親の反対なんか無視してとっとと籍だけ入れちゃって
ふたりで暮らし始めればいい。もちろん高橋は一旦家を出てな。既成事実を作って決意の固さを示して
やれば、いずれお袋さんだってしぶしぶでも和解するだろうよ。式やら披露宴は和解してから改めて、
親を喜ばせるためにやってやれ」
「あのなあ、そう簡単に行くかよ」
 高橋はソファの上で身を折って前屈みになって三浦を睨みつけ、
「三浦みたいに早いうちから家を出てる者ならそれでも何とかなるだろうけど、俺は実家が職場なんだぞ?
毎日険悪な状況で親と顔合わせて仕事しろってか? それに彼女の職場ではウチの親はお得意さん
なんだぜ?」
「ああ……そういう問題があったか。うーん」
 確かにそれはキツいかもしれない、と思いつつ唸って天井を見上げると、蛍光灯カバーが薄黒く汚れて
いるのに気づいた。近々掃除しなきゃ、と思う。
「大体さ、そんなこと彼女が納得するはずないじゃん」
 高橋は溜息を吐いてソファの背もたれに背中を預け、溜息を吐き、
「親と反目するくらいなら、結婚しなくてもいいって、言いそう」
「なるほど、彼女なら言いそうかも……」
 三浦は、年末に会った時の野沢円を思い出していた。まだ傷は完全には癒えていないようだった。気丈に
明るくふるまってはいたが、まだ何となくおどおどと怯えているような、それから、自分はこんな華やかな
場に出ていいのだろうか、という引け目を感じているように見えた。それからヒミコを見る愛しげな、
けれど悲しげな視線が強く印象に残っている。
……高橋とつきあっているのなら、今はもうずいぶん精神状態は好転しているのだろうが、それでも自分と
高橋の関係のために周囲の人を傷つけるようなことは、決して望まないだろう、とは三浦も思う。
「それにさ、俺だって、やっぱちゃんと幸せにしてやりたいもん」
 高橋は意気込んだように再び身を起こし、
「ああいう気の毒な女性だからこそ、平和で堅実な、みんなから祝福された幸せな家庭を与えてあげたい
って思うわけ。それが彼女にとって本当の幸福だろうし」
 その頬は、アルコールだけではない赤味を帯び、瞳も心なしかきらきらしている。だが、三浦は、
わざと氷水をかけるような口調で、
「高橋」
「ん?」
「それは勘違いだ。幸せにしてやりたい、なんて傲慢に他ならない」


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