Secret Blue−卒業−

「二,三冊返って来てないような気がするんだよな」

 三浦はぶっきらぼうにそう言うと、十冊ほどの本を……主にハヤカワポケミスを……長机の上に

きっちりと積み重ねた。

 私も五冊のノベルスを鞄に突っ込みながら、

「うん、私も、何か戻ってきてないような気がするんだけど、何が足りないのか思い出せない」

 一年三百六十五日雑然としたままの文芸部室のどこかに埋まっているのかもしれないが、今日中に

発見できる見込みは薄い。

 桜の蕾はまだまだ堅かったけれど、雪国にも遅い春がゆっくりとやってきていた。街中ではすでに

北側の日陰にしか残雪は見られず、白一色だった山々も麓の方から黒ずみ始めていた。

「やれやれ、仕方ない、片づけながら探してみっか」

と、三浦は溜息混じりに、いつものように本と原稿類と私物が無秩序に折り重なっている文芸部室を

見回した。

「そうだね、はじめようか。どこからやる?」

 短い打合せの末、三浦は主に会誌原稿が保存してあるファイル棚を、私は部室の隅に長年……多分

私たちの入学前から……積みっぱなしの謎の段ボール箱に手をつけることにした。どちらも文芸部室の

ブラックホールと化している。

 卒業式も、国公立大学の後期日程試験も終わり、三月も半ばを過ぎていた。

“三月二十日までに三年生に借りた本を部室に返しておくように”と卒業式の日に三浦が文芸部室に

貼り紙を出し、今日がその期日。在校生はまだ授業中の時間帯なので、ふたりでのんびりと私物の

発掘と、ついでに部室の大掃除をしている。

「私はまた来れるだろうからさ、三浦の本、もし見つかったら確保しておくよ。どうせポケミスでしょ?」

 そう言うと、三浦は棚からほこりまみれのファイルボックスを下ろしつつ、振り向きもせず、

「どうせってのは余計だけど、頼む」

 と言った。

 4月から、ふたりとも大学生になる。

 三浦は東京の第一志望の大学の文学部へ進学が決まった。アパートも見つかり、三月中に

引っ越すという。

 私は地元のN大の教育学部へ進む。

 今、文芸部室には三浦と私のふたりしかいないわけだが、文芸部員の三年生は、実はもうひとり

いる―――早乙女くんも、今日この場にいるはずだった。

 しかし、彼はある意味予想通り、単願だったN大の農学部を落ちてしまった。しかも今日は間の

悪いことに予備校の説明会に当たってしまい、この場に来ることができなかった。

 しかしまあ、彼は一応部員だが、入部したのが三年の夏なので、結局一度も会報に原稿を載せず

じまいだし、本を後輩に貸したりすることもなかったし、私物を文芸部室に置いているということも

ないだろうから、今日わざわざ大掃除のためだけに登校することもないのだが。

 でも私は、個人的に、今日をひとつの区切りにしようと思っていたから、彼もこの場にいて欲しかった。

 掛け持ちしていた……というか、こちらが私としてはメインだったのだが……吹奏楽部の方は、

コンクール終了と共に引退というひとつの大きな区切りがあるから、自分の中でじっくり整理できて

いる。しかし、文芸部の方は、コンクールや大会という引退のハッキリとした区切りになる行事が

あるわけでもなく、それに今年度は会誌に寄稿できなかったせいもあってか、なんとなくふっきれてない

感があって。

 卒業式にしても、入試たけなわの時期だから、出席しないクラスメートもたくさんいたし、私自身、

N大の合格発表と、滑り止めの教育大の後期日程の二次試験を控えていたから気もそぞろで、

しんみりと高校生活に別れを告げようなんて、全然そんな気分になれず、涙のひとつも出なかった。

 だから今日、三人で私物を回収がてら部室の整理をして、それで区切りにしようと―――本当の卒業に

しようと思っていたのだけれど。

 まあ、いいか。

 椅子に乗り、棚の上の段に手を伸ばしている、三浦の後ろ姿を盗み見て。

 三年間、文芸部員であり続けたのは三浦と私だけなんだから、卒業もふたりきりでいいのかも

しれない……

 華奢と言っていいほどの細い背中は、今日は制服ではなく深いモスグリーンのニットのパーカーに

包まれている。

 私は何も考えず、習慣で制服を着て登校してしまったけれど、もう卒業しているのだから、私服でも

良かったんだ。ジャージを着てくれば良かった。謎のガラクタが詰まった―――一昨年卒業した先輩の、

物理のノートなんか出てきたりして、捨てていいものかどうか悩む―――段ボール箱を漁っているうちに、

ほこりまみれになってしまった。

 そういえば、三浦の私服姿は、三年間文芸部で同じ釜の飯を食ってきた(合宿があるわけでもないので、

この表現はいささか大げさだが)にも関わらず、初めて見たということに気づく。つまり、三浦とは随分

長い時間を一緒に過ごしたような気がするけれど、学校でしか会ってこなかったということだ。随分濃い

……深いつきあいだったから、学校でしか会ってないというのが、何だかとても不思議だ。

 結構おしゃれなんだな、とその後ろ姿を見ながら思う。杢グレーのタートルネックシャツに、ざっくりと

したモスグリーンのニットパーカーの組み合わせがさりげなく大人っぽいし、ぴったりとサイズが合ってる

ストレートジーンズも良い具合に色あせて、大事に穿きこんでる感じ。そう言えば制服の着こなしもいつも

スマートで清潔で、マメにクリーニングに出しているんだろな、ズボンなんてきっと3着くらい持って

るんだろな、という感じではあった。

 きっと三浦なら、東京の大学に行っても、すぐに馴染んでしまうだろう。過疎地域の山村育ちのくせに、

何となく都会の匂いがするのが不思議だ。

「何だよ?」

 視線を感じたのか、三浦が椅子に立ったまま急に振り返った。

「あ、いや、お尻小さいなって」

 いきなり振り向かれて気まずくて、言うに事欠いて、そんなことを口走ってしまった。

「いやーん、スケベ」

 三浦は微妙に身をくねらせそう言うと、にやりと笑って。

「触ってみるか?」

「け、結構です」

 私は慌てて三浦に背中を向け、再び風化寸前の段ボール箱をかき回した。

「遠慮すんな」

 ケケケ、と笑って三浦もファイル棚に向き直ったらしかった。

 しばし無言で作業を続けた。三浦との無言の時間は苦痛にならない。ふたりきりで、何時間も

無言のまま作業や読書をし続けたことが何度もあるので、慣れてしまった。お互い集中力はある方だと

思う。特に読書中は。

 ゴミ袋がいっぱいになった頃、三浦が、

「休憩すっか」

と、突然言った。

「ゴミ捨てがてら、飲み物買ってくる。美誉も何か飲むか?」

「あ、うん……じゃあ、烏龍茶」

 掃除のために開け放った窓から入ってくる風は、まだ冬の冷たさを持っていて、決して暑くはないのだ

けれど、ほこりが立ちまくりのせいか喉がいがらっぽい。

 椅子から降り立った三浦に、100円玉を渡した。

 紙ゴミでぱんぱんのゴミ袋を持って三浦が部室を出て行ってしまうと、窓から体育の授業らしい歓声と

ホイッスルの音が微かに聞こえてきた。

 卒業か……

 窓に寄りかかり、見慣れた灰色の校舎を見回し、それから下方に目を転じ、中庭を見下ろす。

 ありきたりな日本庭園風の中庭の、校舎の日陰になって先日のなごり雪が溶け残っているあたり、池の

そばの大きな岩。その岩の上に一瞬、ぐったりと横たわる天使の幻を見る。

 その幻想をぎゅっと目を閉じて振り払い、上を向いてから瞼を開けると、晴れた空は、春めいて

幾分霞んでいた。

 三年間。

 三年前、ちょうどこの季節に、この高校の合格発表を見に来て、ドキドキしながら受験番号を探したのが、

ついこの間のようなのに。

 ものすごく早く過ぎてしまったような気がする。

 それでも、色んなことがあった。

 ありすぎるくらい。

 よく乗り切ったと自分でも思う。

 今。

 私の心の大部分は彼に……早乙女くんに占められているけど、三浦も私の中では大きな存在だ。三浦が

いなければ、高校三年間を乗り切れなかったかもしれないというくらい。

―――思い出す。

 無理してるように見えるから、言ってんだろ!

 お前のことが好きだからに決まってるだろ、この鈍感女!

 俺はお前が好きだから、きちんとつきあって欲しいと思ってる。

 春休みに何かあったんだろ、違うか?

―――たくさんの、ストレートで、ぶっきらぼうで、でもとても優しい、いたわりに満ちた言葉を。

 これほど私のことを本気で心配してくれた人は、他にいなかった。

 でも、その言葉の全てに、私は応えることができなかった。

 三浦のことが嫌いなわけじゃない。むしろ好きなのだと思う。深く感謝もしている。あの頃の私に、

きちんと見守ってくれている人がいるという事実は、本当に救いだったから。

 けれど、言えないから……私が、実はどんな女であるか、三浦には明かせないから。

 だから、三浦の気持ちには応えられない。

 早乙女くんには悩んだ末とはいえ明かせた事実を、なぜ三浦には言えないのか、その理由は自分でも

良くわからないのだけれど……多分、三浦は健全でまっとうで、そして繊細だから。私の真の姿を

知ることで、三浦も深く傷つき、きっと今まで通りに接することすらできなくなってしまうと思うのだ。

 早乙女くんのように、私の中の真っ黒な塊を、ふわりと自らに同化させるように、鮮やかに

抱きとめてしまうことは、おそらく三浦にはできないだろう。少なくとも現時点では。

 現時点……

 もっとお互い大人になったら、話せるようになるんだろうか。

 私は実は、こんなにとんでもない女子高生だったんだよって、笑って。

 いや、そんな年齢になる頃には、きっと三浦には都会的で綺麗な彼女がいて、私のことなんか忘れて

しまっているだろう……

 静かにドアが開けられる音に振り返る。

 「お待ち」

 片手に2本の紙パックを持って、三浦が戻ってきた。

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