手をつないで夜道を 2
 

 同じ大学に行けない。
 わかりきっていることなのに、それを思うたびに胸がしくりと痛む。
 彼女が俺に合わせて志望校のランクを下げてくれたりすれば、ありとあらゆる学部があるような
マンモス大学に一緒に入る、というのは可能性としてはあり得るかもしれない。
 でも、俺はそれはして欲しくない。
 絶対にさせてはいけないことだと思っている。
 それに大きな大学だと、学部が違っちゃえば校舎の場所も違ったりするわけで。たとえばこのS大
だって全国各地4つに別れている。
 だからどの道、大学では、今までのように彼女の近くにいることはできない。
 そのことについて話し合ったことはないけれど、でも彼女だって分かっていないはずはなくて。
 もしかしたら、俺のせいなのかもしれない。彼女が具体的な進路をなかなか決めようとしないのは
―――俺の存在が、彼女の進路選択の障害物になっているのかもしれない。
 そうはなりたくないのに。
 それでも彼女はここのところ何かを言いたげな様子をしていることがある。特に、大学見学に
一緒に行くことを決めてからは、しばしば……

「ほおらっ!」
 校舎に挟まれた暗い通路から、急に開けた場所に出た。
 眩しくて、思わず手をかざす。
「これがS大グラウンドだっ!」
 柾誉さんが手を広げた先には、広大なグラウンド。手前にはサッカー場、その奥にラグビー場と
……その奥の高いネットが見えるところが野球グラウンドか。そのどれにも三角の高い銀色のライトが
設置されている。
「……ナイター設備だ」
「そそ、一番向こうが野球グラウンドね」
 試験前だし、午前中の中途半端な時間帯だからか、グラウンドに出ている学生は少なく、数人が
走り込みや整備をしているだけだが、それでも胸が高鳴った。

 俺にとって、一番大事なのは―――
 隣で、ほう、さすが立派だねえ、広お―い、と背伸びをしてグラウンドを見回しているヒミコを、
横目で見やる。
 言うまでもなく、俺にとって一番大事なのは、コイツの存在。
 けれど、こういう立派な設備を持つ大学で、全国から集まる同じ志を持つ仲間と、思う存分野球を
やりたい、その気持ちも抑えがたいのだ……



◆1日目:日弥子1◆

 S大にお昼までいたので、京王線沿線の私学2校に寄りつつ、東京西部にあるC大最寄りの駅に
着いた時には、冬の短い日はすでに暮れていた。駅に降り立つと、改札前に英のお姉さん、理子さんが
待っていてくれた。
「きゃーーーん、ヒミコさぁん? 会いたかったよう、うわー、噂通りの美人さんだあっ、なんで
あなたみたいなキレイな子が、こんな野球バカの熊なんかとつきあってんの? ねえ、ヒミコちゃんって
呼んでいい?」
 理子さんは会うなり、挨拶をする暇も与えずまくしたてた。理子さんこそ、噂通りの面白い人な
ようだし、英と笑顔がそっくりでホッとした。
 英はなんだか憮然として無口になってしまったけれど、理子さんと私はすぐにうちとけて―――主に
理子さんのフレンドリーな人柄のおかげ―――楽しく語らいながらC大への急な坂道を上っていった。
「へえ、ヒミコちゃん理系なんだ」
「はい、一応そんな感じで」
「ウチの大学にも理工学部はあるけどねえ、でもそっち方面ではないんでしょ? 乙女酒造の
お嬢だもんね、農学とか化学だよねえ」
「まだ具体的に学部までは決めてないんですけど……」
「そーなんだ。でもボチボチ決めなきゃでしょう。3年時の授業選択って、1月中くらいに
1次希望出さなきゃじゃなかったっけ?」
「ええ、だからそれもあって、今回英くんの大学巡りに便乗させてもらって」

 実を言えば―――私の中では、志望学部も第一志望の大学も、ほぼ固まりつつあるのだ。
 ただ、それは両親にも、英にも、まだ話せていない。香誉ちゃんにちらっと話したのと、秋の
ケガ以降お世話になっている、スポーツドクターの天野先生にこっそり相談に乗ってもらっただけ。
提出期限の迫っている進路調査票も選択教科希望票も出せていない。
 進路希望……将来の目標……なりたい自分……が見えてきつつあるのは確かなのに、決めきれない。
 決めきれないのは、やっぱり―――

「んじゃさ、ヒミコちゃんも志望学部によってはさ、英と同じ大学に行ける可能性もちょっとは
あるんだ?」
「ねェよ」
 理子さんの台詞をすかさず遮ったのは、黙々と坂を上っていた英だった。
「ヒミコは定期試験で常に上位十傑に入ってんだぜ? そんなヤツが俺と同じ大学なんか行くわけ
ないだろ」
「そうなんだあ、すごいねえ」
 理子さんは目を丸くして私を見上げた。
「いえ、科目によってムラがありますからさほどのことは」
「いやいやN高でトップ10っつったらなかなかのもんだよ」
 そしてはぁと溜息を吐き。
「そんなら仕方ないよねえ、英アホだもんねえ。N高受かった時も奇跡と思ったくらいだもん、ここまで
補習無しで来てるだけでも、良く頑張ってるなって」
 悪かったな、と英は吐き捨てた。

 アホ、と理子さんと英本人も言うけれど、試験のたびに一緒に勉強している私としては、彼の頭の
出来自体は決して悪いとは思わない。成績がいまひとつ振るわないのは、N高の授業のレベルと
スピードに、理解と記憶の速度がついていけてないのと、部活が忙しくて毎日の予習復習時間が充分
とれてないせいなのだろうと思う。その証拠に、授業中に解らなかったところも、試験前に私が
具体的な設問を解きながら説明しなおすと、たいてい理解できるのだ。
 それに、時間がかかる分理解度は深いようだし、読解力はあるので、応用問題への対応は並より
優れていると思われる。
 そもそもキャッチャーをやれてるんだから、頭の基本的なデキが悪いわけはないんだって。

 英は足下に視線を落としたまま、言葉を続ける。
「それにだな、無理して同じ大学入ったとしたって、理系と文系じゃ校舎違うとこ多いだろ? 
C大だって理工学部は都心にあんじゃねーか」
「まあ確かにねぇ……」
「だろ? 無理に同じ大学行ったって、意味ねえ」
 英はそうキッパリと言い、私の胸はツキンと針でつつかれたように痛む。
 そう。英の言う通り。無理して同じ大学に入ったからといって、同じ時間を過ごせるとは限らない。
下手すると、別々の大学に行ったのと同じような状況になってしまうことだってあるだろう。

 でも。

 でも、なんとか……と、考えてしまうのだ、どうしても。
 なんとか大学に進んでも、今と同じようにとまでは言わない。けれどせめて、会おうと思えばいつでも
会えるような距離と環境に居続けることはできないものかと―――

 坂を登り切ったところに、C大の校門が見えてきた。
「構内も階段だらけだから覚悟して」
 理子さんが言い、英がふんと鼻を鳴らす。
「俺らにそういう心配はいらねえよ」
 ああそっかバリバリの現役アスリートだもんねえ、と理子さんは笑い、私も少し無理して笑った。

 まず事務棟に寄って大学案内をもらうと、次に連れていかれたのはやはりグラウンド。歩きながら
理子さんは誰かにメールを送っていて、学舎のある丘を少し降りたところに切り開かれた
野球部グラウンドに近づいていくと、部員らしき練習着姿の人が、フェンスの向こうから
タイミングよく出てきた。
「山下くん! ごめんね、練習中に」
 理子さんはその人に向かって手を振った。先程のメールはこの人宛だったようだ。
「いやいや、高校生の見学は大歓迎だから」
 その野球部員―――山下さんは白い歯を見せて笑い、快活に自己紹介した。
「理子ちゃんと同じ学部の山下です。一応投手なんだ」
 理子さんも、弟と私を紹介し、そのまま英は練習を見学させてもらうことになった。
 練習はあと1時間半ほどで終わるそうなので、その頃に学食で落ち合うことにして、別行動を
取ることになった。
 私も一緒に見学してもいいと言われたのだが、遠慮した。立派なグラウンドと、逞しい大学の
野球部員たちに目を輝かせる英の姿は、今日はもう充分見た。充分すぎるほどに。

「じゃあヒミコちゃん、行こうか、どこ見たい? 体育館も見る?」
「体育館も見たいですが、えっと、図書館、いいですか?」
「おお、いいよ、いこいこ」
 理子さんと並んでまた坂を学舎へと上りながら振り向くと、ナイター照明が眩しいグラウンドに
吸い込まれていく、英の大きな背中が見えた。




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