手をつないで、夜道を5

◆2日目:ヒミコ1◆

 要領が悪いせいもあるだろうが、理子さん家から津久葉大まで、津久葉エクスプレスを使ったのに
3時間近くもかかってしまった。
 もし私が津久葉に首尾良く受かり、英が多摩地区の大学に行くことになったら、会うためには
片道2時間半くらい見なければならない。都心の大学だったら、2時間くらいで済むだろうか。
でももし、神奈川や埼玉の大学だったら、もっと……
 いや……やめておこう。不確定な未来を計算するのは。

 津久葉大は聞きしにまさる広さだった。循環バスが大学と駅をつないでぐるぐる回っているのだが、
1周30分もかかるのだ。とりあえず医学群のある西エリアでバスを降りた。日曜だから学生は少ないし、
病院も事務の窓口も開いていなかったが、その規模の大きさには圧倒された。なにせ医学群だけで
20棟以上も建物がある。

 そんなに遠くて広くて、おまけに寒いのに、英はひとつも文句を言わずにつきあってくれている。
「あとは、どこ見たいんだ?」
「えっと、グラウンドと、中央図書館かな」
 医学群の図書館は見せてもらったのだけれど、専門書ばっかりでなにがなんだか。
「グラウンド……と、中央図書館ね」
 英はスマホを出して、キャンパスマップを開く。マップが無いと絶対迷う。
「先に中地区まで戻って中央図書館見るか。大学案内ももらえるかもしれないし。で、その後に
グラウンド。昼メシはちょっと遅くなっちゃうけど、グラウンド見がてら南地区の方がいいだろ。
体芸の食堂って、いかにもうまそーじゃね?」
「そうだね」
 バス停に戻り、ふたたび大学循環バスに乗り込む。
 つり革につかまりながら、英が訊いた。少し遠慮がちに。
「いつから、考えてたんだ?」
「え?」
「スポーツドクターになりたいって」
「ああ……」
 私ってば、それすら言えてなかった。
「国体のとき、天野先生がわざわざ熊本まで来てくれたでしょ」
 福岡でのカリヨンの試合に帯同するついでに、熊本にいた私のケガの様子をわざわざ
見に来てくれたのだ。
「それが、すごく嬉しくて」
 支えられている、と実感できた瞬間。それまでも、多くの人に支えられて競技をしている自覚は
持っているつもりだったのだけれど。
「すごく力が沸いてきて」
 実際、ケガしているにも関わらず、本番では実力を出し切ることができた。
 その時、私も誰かの力になりたいと思ったのだ。苦しむアスリートを、支える存在になりたいと。
 そう思った瞬間、胸の中に光が宿った。
 
 なのに……

 今の私は、多分上手く笑えていない。
「私も、天野先生みたいになりたいって、思ったんだ」
「……そうか」
 英も寂しそうに微笑んだ。

 彼のポケットに手をつっこんで、その中で手を握る。
 温かい。
 ずっと、この手を握っていたい。心底そう思う。

 思うのに。

 胸に宿った光は、輝きを増していくばかり。

 中央図書館前という分かりやすい名前のバス停で降りる。日曜だが、ここはさすがに学生が多い。
ここではスマホのマップを開くまでもない。人の流れと、そして重厚で巨大な建築物は、
間違いようが無い。
「でっけえなあ」
 近づきながら、英が図書館を仰ぎ見る。
「奈良の大仏殿みてえ」
「は?」
「大きすぎて、距離が縮まっていっても、なかなか近くならない感じがする」
「あ、なるほど。それわかる」
 それでも巨大な建物は少しつ近づいてきて、入口に続く階段を上り始めた時。

「―――早乙女!?」

 突然呼ばれた。
 こんなところで名前を呼ばれるはずもないのに、確かに聞き覚えのある声が、私を呼び止めた。



◆2日目:渡瀬1◆ 

「―――早乙女!?……と、渡瀬!?」
 聞き覚えのある声が彼女と俺を呼び……俺は一瞬でその声の持ち主を悟り……背中の産毛がぞわっと
一斉に逆立った。
「……岡島先輩!?」
 彼女は振り返り、階段の中途にいる声の主を見つけた。

 見つけてしまった。

 津久葉大は広いんだから。
 学部も違うんだから。
 日曜日なんだし。
 会うわけない。

 そう言い聞かせて、昨夜から自分を宥めてきた。
 なのに―――会ってしまった。

―――必然、なのか、この再会は?

「なんでお前、こんなとこに?」
 岡島先輩はびっくり顔のままで駆け寄ってくる。
「だ、大学見学です」
「へー!」
 先輩は急に笑顔になった。
「そうか、お前らウチ受けるのかー」
 俺は慌てて。
「あっ、俺は違う……ってか、無理ですけど」
「寂しいこと言うなよ、ふたりで来てるってことは、まだつきあってんだろ?」
「それはそうですが……」
 思わず下を向いてしまった俺を察してくれたのか、先輩はヒミコに話の矛先を変えてくれた。
「早乙女は受けるつもりか?」
「ええ、まあ……受けられれば」
「学群は? 生命環境?」
「いえ、えと……医学、なんですが……」
「へー! あ、そっか、お前結構成績いいんだもんな」
「先輩ほどじゃないです」
 あはははっ、言うようになったじゃねーか、と高校時代と変わらぬ快活さで岡島さんは笑い。
「んで、大学見学、済んだのか?」
「医学群は見てきました。あとは図書館とグラウンド見に行こうかと」
「そっかそっか、よし、つきあってやるよ。生協とか、体育館やジムも見てえだろ? つっても
夕方からバイトだから……えっと、3時間くらいだけど」
「え、先輩用事があって図書館に来たんじゃ?」
「バイトまで時間が中途半端に余ったから、昼飯とレポート書こうと思って来ただけだ。遠慮すんな、
せっかく来た後輩を案内しないでどーする! さ、まずは図書館だな、行くぞ!」
 岡島さんは俺たちの前に立つと、スタスタと残りの階段を上りだした。
 ヒミコが、いいのかな? という顔で俺を見上げた。俺は、良いんじゃね? という顔を必死で
作って頷き、岡島さんの背中を追いかけた。

 本当は―――全然良くないんだけど。



◆ヒミコ:2日目2◆

 中央図書館を一通り案内してくれた後―――ホールの高層書架があまりに広くて高くて、見上げてる
うちに首が痛くなった―――バスで回るなんて、効率悪くてダメだ、と言いだした先輩は、今出てきた
ばかりの図書館に駆け戻ると、友達から車のキーを借りてきた。図書館裏の駐車場から小さな軽自動車に
乗り込み、体育と芸術学群のある南地区に向かう。
 借りた車は2ドアの小さな軽だったので、当然私が後部座席だろうと思ったのだが、英がさっさと
潜り込んでしまった。なので私が先輩と並んで助手席に座った。
 車はいささか重そうに、けれど滑らかに学内の道路に走り出た。
「先輩、免許取ったんですね」
「夏に合宿でソッコー取った」
「ああ合宿で」
 期間が短くて安上がりであると、冬休みに女バスに来てくれたOGの先輩方も言っていた。
「夏休みの前半にバイトしまくって教習費と試験代稼いで、後半は島籠もり」
「島籠もり?」
「佐渡の教習所だったから」
 と、先輩は笑って。
「最短で教習終わらせて、試験は仮免も本免も一発で通ったんだけど、肝心の車を買う金はないと
きてるがな」
「じゃ、ペーパードライバー? その割には運転慣れてますよね」
「なるべく友達の車とかさ、帰省したら家の車とかさ、運転するようにしてんだ」
「原付くらい買わないんですか? この大学広くて、アシないと大変でしょう」
 後ろから英が久しぶりに口を出した。
「うん、それも考えたんだけどなァ、やっぱ車欲しいから金貯まるまでチャリで我慢よ」
 買うならN岡まで帰れる車じゃないと困るから、あんまりポンコツでも困るしさ、と岡島先輩は
また面白そうに笑ったけれど、でもやはり苦学の香りがする。ウチや英の家なんかだったら、
小さな中古車くらいだったら出世払いでポンと買ってくれちゃうかも、と思うと、微
妙に後ろめたくなる。
 そんな話をしているうちに、南地区に到着した。車だとあっという間だ。
 まずはグラウンドを見て回る。想像以上に広大だ。球技用のグラウンドが幾つもあり……もちろん
野球グラウンドも。その上、陸上競技の公式戦ができるタータントラックまであるのだ。
 そこでは体育会の陸上部員であろう学生たちが練習をしていた。フィールドには棒高跳のスタンドも
見える。
 そのスタンドが目に入った途端―――心臓がドキンと高鳴った。
 どうしようもなく。




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