手をつないで、夜道を6


◆渡瀬:2日目2◆

 グラウンドと体育館を見て回った後、体芸の学食に入った。ビュッフェ形式で一品一品カロリー計算が
してあり、栄養素と共に書き出されている。体育学類の学生のためだろう。
「わあ、すごい助かる」
 ヒミコは小さく感嘆の声を上げ、ぶつぶつ呟いて暗算しながら料理を選ぶ。
 確かにこの食堂ならば、実家を離れても、競技のための食事管理が楽にできるだろう。そういう
フィジカルのメンテナンス面を考えても、この大学は彼女にとっては―――理想だ。
 彼女は鮭のホイル焼きをメインに、味噌汁と野菜の小鉢2品を取った。ライスは当然小。岡島さん
と俺は、お得な日替わりランチ。メインは肉野菜炒めだ。
 日曜だからか、遅めの時間だからか、学食は空いていた。窓際の席からは、体育館とグラウンドが
見えた。
 俺とヒミコが並んで座り、その向かいに座った岡島さんは、いただきますっ、と手を合わせ、
野菜炒めを飯に載っけて勢いよくかきこんで、幸せそうに飲み込んでから。
「デザートは奢ってやるからな」
 ヒミコが小鉢から顔を上げて。
「え、いいですよ、苦学生に、そんな」
「貧乏は否定できねーけど、デザートくらい大丈夫だっつーの。それに俺程度じゃ苦学生とは言えない」
「そうなんですか? じゃお言葉に甘えて、コーヒーを」
「おい、たまのことなんだから、学食のデザートくらい遠慮すんなっつーの!」
「遠慮じゃなくて、カロリーの問題ですって。昨日、今日とトレーニングしてないんですから……
そういえば先輩、バイト、何してるんです?」
 半ば強引に彼女が話題を変えた。
 岡島さんは箸を止めずに、
「週2で中学生の家庭教師と、週3くらいで居酒屋の皿洗い」
「かけもちですか……忙しそう」
 ヒミコが居心地悪そうに呟く。
「いや、かけもちっつっても毎日じゃねーし、そんな忙しくねーよ。本物の苦学生はこんなもんじゃ
済まねえって。俺は、学費が奨学金で賄えるし、寮生だし、ちっとは仕送りも貰ってるんだから、マシな方。それに、家庭教師も居酒屋も飯食わせてもらえるし」
 あとは日頃節制して、休み中に集中的に稼いでおけばなんとかなる、と岡島さんは何の屈託もなく笑う。
 ヒミコは、岡島さんに尊敬の念と共に、引け目も抱いているという。母子家庭という、世間的に
言うところの逆境に在るのに、常に明朗で前向きな岡島さんと、平均以上に恵まれた環境にある自分を
つい引き比べてしまうのだと――その気持ちは俺にもわからないでもない。さっきから、胸の奥の方が
ズキズキしてる。
「それでも、バスケする暇は無いですよね」
「いや、やってんぜ。理工学群のサークルで、週2ぽっちだけど」
「あ、もしかして、それがバイト休みの日ですか?」
「当たり」
「そっか、良かった」
 ヒミコはホッとしたように笑って――そんな笑顔、俺以外に見せるな、なんていう、女々しい想いが
噴き上がってきそうになり、慌てて抑えつける。
「そういえば、ザキ先輩も夏に合宿免許で取ったって、冬休みに来てくれた時に言ってました」
「ああ、ザキは体育会のバスケ部入ったから忙しいんだろ。合宿でしか無理だろな」
 俺の知らないバスケ部内の話題になったので、耳に蓋をして食べる方に集中しようとする……が、
味がしない。旨いか不味いかすらわからない。ただ機械的に箸を運び、咀嚼しているだけ。
 神経が耳にだけ行ってしまう。ふたりの会話をひとことも聞き逃すまいと、聴覚だけが
研ぎ澄まされて。
「みたいです、そんな強くない国立大でも体育会だと練習大変なんですね」
「そりゃそうだろうよ……って、お前こそ」
 岡島さんがヒミコを箸で指して。
「医学群に受かったとしたら、どーすんだよ、バスケと棒高跳は」
 ヒミコはちくりと痛そうな顔をして。
「両立はまず無理でしょうから、医学群の陸上部で棒高跳だけでも続けられないかと思ってます。
2年生までは何とかやれるという話なので」
「うーん、そっかあ、個人種目に絞った方が、続けられる可能性は高いもんなあ。バスケも、
もったいないけどなあ」
「バスケも、できればサークルとかで細々とでもやれればいいなーとは思ってるんですけど」
「ああ、そんなら」
 岡島さんはテーブルの上に身を乗り出して。
「ウチのサークル入ればいい。週2しか活動してねーし、ゆるゆるだし」
「え?」
 ヒミコも軽く身を乗り出した。
「理工の学生でなくてもいいんですか? あ、そもそも女子でもいいんですか?」
「もちろん。バスケ好きだけど部活でやるほどじゃない程度のヤツが集まって、半分遊びで
やってるだけだからな。理工中心だから少ないけど、女子も何人かいるぜ」
「へえ、そういうもんなんだ。じゃあ、入れてもらっちゃおうかな」
「早乙女の場合、男子チームに入ったってイケるだろし」
「げぇ、さすがに無理ですよ、大学生じゃ……あ、もちろん受かったらの話ですけども」
「あったりまえだ。まずは勉強しろ、勉強」
 岡島さんの笑い声が空いている食堂に響く。
 ぎしっ、と手の中で軋んだ音がして我に返った。樹脂製のエコ箸を、折れそうなほど強く
握りしめていた。驚いて手の力を抜くと、カラン、と箸が音を立ててトレイの上に落ちた。
 その音にふたりが俺の方を見た。
「あ、悪ィな渡瀬、バスケの話ばっかりしちまって。つい懐かしくて」
 岡島さんが申し訳なさそうに眉を下げる。
「いえ、全然です」
 俺は笑って首を振る――到底、上手く笑えはしなかったけれど。




◆ヒミコ:2日目3◆

 岡島先輩はコーヒーをおごってくれた後、大学中をくまなく案内してくれ、しかも帰りには
津久葉駅まで送ってくれた。ばったり会った時にはすごく驚いたけど、おかげで効率よく、しかも
詳しく見学出来て大ラッキーだ。先輩に大感謝。
 車返して急いでバイト行かなきゃ、と大学に慌てて引き返す軽自動車の後ろ姿に、駅の入り口から
手を振った。
 それにしても、苦学生なんだからガソリン代くらい受け取ってくれればいいのに、相変わらず
プライド高いんだからな、もう。
 車が駅のロータリーから出て見えなくなってから、
「さて、帰ろうか。電車、タイミング良くあるかな?」
と、隣に立つ英を見上げると、いきなり手を握られた。痛いほど強い力で。
「帰る前に、寄りたいところがある」
 私の方を見ないまま、低く、堅い声がそう言った。
 寄りたいところ……どこだろう?
 聞き返したいところだったが、なんだか声も表情もいつになく硬かったので、問うことはせず、うん、いいよ、と頷いた。
 機嫌が悪そうだ。そういえば、岡島先輩に気を遣っていたにしても、やけに口数が少なかったし……。

――そりゃ、無理も無いか。

 手をつないで、というよりは、引っ張られるようにして今大学から来た道を歩いて引き返した。
やたら早足で。英は私を見ない。街をきょろきょろと見回している。どこか観光でもしたいのだろうか?
「どこいくの?」
「このあたりの左手に、さっき車の中から見えたんだけど……」
 駅の手前の立体交差の下で、裏道に入り込む。何を探しているのだろう?
「……あった」
 英はそう口の中で呟くと、足を速めた。目的地が近いらしい。
それにしても、一体どこに寄りたいというのだろう? 

……えっ?




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