Touch 2
   

 大ジョッキ一杯烏龍茶を飲んだら尿意を覚えたので、そっと席を立って店の入り口脇にある

トイレに入った。

 朝顔に向かって思いっきり放出。

 結構我慢してたので、開放感に溜息が出た。

 しかし、物理的には開放されたが、気分はなんとなく開放されない。

 違う種類の溜息も出てしまった。

 小嶋の挑発に乗らず、家で夕飯を食べてた方が、精神衛生的には良かったかもしれない。

 来なきゃ良かったかも……

 腰ごと振って水滴を切り、しまう物をしまい、洗面台で手を洗おうとしたところでトイレのドアが開き、

ミヨ先生の彼氏が入ってきた。彼氏は一瞬、にこっ、とまた非の打ち所のない笑顔を見せると、

朝顔に体を向けた。

 うわ、脚、長っ。

 背が高いのもあるけど、朝顔に対する腰の位置が全然俺と違う。膝曲げてもあんな高いのかよ。

 つい手を洗いながら見入ってしまった。

 と、俺の視線を感じたのか、彼氏が放出しながらこちらに楽しげな顔を向けた。頬が多少赤く

なってるっぽい。色白だから目立つのだろう。

「熊谷くん、だっけ? ねえ、訊いてもいい?」

「な、なんスか?」

 俺は半分逃げ腰になりつつ聞きかえした。

「ミヨさんてさ、学校ではどんな先生なの? 怖い?」

 彼氏も、ミヨさんて、先生のこと呼んでるんだ……

「怖い……っつーか。そりゃ怒ると怖いですけど」

「だろうねえ」

 だろうねえ、って。おいおい。

 ちょっと考えて、言葉を選ぶ。

「でも、優しいです。授業も面白いし」

「そお!」

 彼氏は、今度は心から嬉しそうに笑った。

 俺はぺこり、と小さく頭を下げると、逃げるようにトイレから出た。

 そうか。

 ミヨさんて呼んでるんだ……

 呼び捨てよりも、ちゃん付けよりも、その”ミヨさん”という呼び方に、親密さや、つきあいの長さを

感じた。

 ちょっと痛い。

 席に戻ると、女性軍は元クラスメートたちのうわさ話に花を咲かせていた。掘り炬燵式の座敷席の

隅っこに着こうと膝立ちになった時、俺から見て一番遠いところに座っているダリリンの手元に、

本が置いてあるのが目に入った。サイズは新書版で、カラーの絵表紙。ノベルス本らしい。多分、

推理小説の類だろう。

 なかなか綺麗な本だ。表紙は、海中を表しているらしいキラキラと光の模様が入った藍色の地に、

画用紙に鉛筆デッサンテイストの、セーラー服の少女の横顔が斜めに配されている。海に、

スケッチブックから破り取ったページを流した瞬間って感じのデザイン。表紙と同じ模様の青い帯には、

白抜きで「文星ミステリー新人賞入賞作!」と太い文字。

 俺はそれほど本を読む方じゃないが、ミステリ系のライトノベルは好きだ。なので、好きなラノベの

作家が、大人向けに書いたノベルス本なんかもたまに読むわけだが、そのダリリンの本の作者には

見覚えが無かった。

 森島有人。

 本のタイトルは「聖女の座る窓辺に」。”聖女”には、”マドンナ”とルビがふってある。

 まあ、俺は、ラノベ以外の小説家は全然わかんないから、知らなくて当たり前だ。その本がトイレ

帰りの俺の目に飛び込んできた理由は、タイトルや作者より、表紙に目が引きつけられたからだった。

 表紙絵の、少女の横顔のデッサン。

 その絵を知っているような気がしたのだ。

 もちろん見たことのある絵ってわけじゃないし、描かれている女性も知らない人物だ。

 だけど、その絵のタッチを知っているような気がした。

 シャープ目ではあるけれど、基本的にナチュラルで写生的なタッチ。しかし、良く見ると顎が

あり得ないくらい尖ってるし、鼻も細長いし、睫毛もやたら長い。微妙にデフォルメしてあるわけだ。

そのデフォルメが一見してのシャープな印象を醸し出しているのかもしれない。でも、モデルが

綺麗な娘だってのは分かる。俺らと同じくらいの年頃だろうか。セーラー服に、耳丸出しの

ベリーショート、そして、視線はきりっと前方を見つめ、すっくと背筋を伸ばしている。性格はちょっと

キツイかもしれないけど、凛とした綺麗な娘なんだろうな、って思い浮かべることができる。

 そして、その画風が、どこかで見たことがあるって気がしてならなくて。

 俺が見たことがあるってんだから、教科書とか、テレビや新聞とかに載るような、よっぽど有名な

画家の作品だってことか?それともラノベの挿絵で……いや、そういう画風じゃないよなあ。

アニメっぽさとかは全然無いもんな。

 あ、もしかして、これがデジャ・ヴってヤツだったり?

 良く見ると、本の脇には「献本 佐々木加寿子先生」と書かれた、本を包装していたらしき

15センチ幅くらいの紙の帯が置いてある。

 献本って、何だ?

「ごめん、ちょっと後ろ通して」

 トイレから戻ってきた彼氏が背後を通ろうとして、膝立ちのままだった俺に声をかけた。

「あ、すいません」

 慌ててテーブルの下に脚を入れて座る。

「熊谷、何ボケっとしてんだよー」

 小嶋に突っ込まれた。

「いや……」

 どうしよう、本、見せてもらおうかな。近くで見てみたい。それに献本って何ですかって、

訊いてもいいだろうか。

 迷っていると、ダリリンは俺の視線に気付いたらしく、さりげなくその本を献本テープでくるみ

直すと、テーブルの陰に隠すように下ろしてしまった。

―――なぜ隠す?

 隠さなきゃいけないような本なのか?

 エロ本とか?

 よけいに頭の中の ? マークを増やしてしまい、混乱していると、

「ねえねえ熊谷、小佐野と菊池って、まだつきあってるよね?」

 と、突然、佐藤に話題を振られた。

「あ? ああ、うん、まだつきあってるみたいだけどな、危ないな」

 混乱からいきなり現実に引き戻された。

 小佐野と菊池ってのは、俺たちの中学の同級生で、中二のときからつきあってるふたりなのだが、

高校が別々になってしまったのだった。

「えー、危ないんだ。残念ねえ」

 とミヨ先生。

「そうかあ、やっぱ、学校別になると駄目かあ」

「家が近いだけじゃ駄目なのかなあ」

 そういう小嶋と佐藤は、納得したように頷きあっている。

「次々と目移りするお年頃ではあるわよね」

 ダリリンがイカ刺に丁寧に山葵を載せながら、冷静な口調で言った。

 と、小嶋がポン、とテーブルを叩いて、

「そーだっ、コレきいとかなきゃ! ミヨ先生と晃さんは、いつからどのくらい

つきあってるんですか?」

 ミヨ先生と彼氏は顔を見合わせた。

 そして、ミヨ先生が困ったように眉毛を下げながら答えた。

「高校三年生の時の同級生なのよ」

「ええっ!」

 不本意ながら、小嶋と佐藤と三人で声が揃ってしまった。

「高校生の時からずっとつきあってるんですか!?」

「うそー、長っ。何年になるのかな」

「えっと……ちょうど10年くらいっスか?」

「あ、熊谷くん、先生の年数えたでしょ」

 隣に座っているミヨ先生から軽く頭を小突かれた。

   

「うーん、ラブラブだったなあ、うらやましーっ」

「……だな」

「ミヨ先生、なんだか可愛かったねえ。やっぱ彼氏といる時って、違うなあ」

「……だな」

 佐藤の言うとおりだ。

 ミヨ先生、可愛かった。

 べたべたしてるわけじゃない。いつも通りの、学校にいるときとそんなに変わらない、凛として

優しいミヨ先生だった。

 でも。

 俺の知らなかった笑顔や、ツンデレぶりや、女っぽい仕草を、今夜はいっぱい見てしまった。

「熊谷、そんなヘコむなよぅ」

 佐藤にぐにぐにと頭をかき回された。

「ヘコんでなんかねーよっ」

 ハンドルから片手を離し、佐藤の手を払う。

……いや、ヘコんでるかも、俺。

 最後の話はさすがにちょっとショックだった。

 先生方の席にお邪魔虫してしゃべりまくっていた俺らだったが(主にしゃべっていたのは小嶋と

佐藤だが)小一時間ほど経った頃、とうとう佐藤の携帯に家から電話が来た。佐藤も夕飯をほっぽって

出かけてきていたらしい。

 小嶋も、かーちゃんに、いい加減手伝いに戻りなさい、と叱られてしまったし(先生方の邪魔

してるんじゃない、という含みもあったっぽい)引き上げ時だった。

 帰りがけ、佐藤が、

「今夜、晃さんは、もちろんミヨ先生ん家にお泊まりですよね?」

と、どさくさまぎれにかなりやばいツッコミを入れた。

 彼氏はツッコミには全く動じず、また絶妙にニッコリし、

「ええ。もちろ」

答えかけたのを、ミヨ先生が顔を真っ赤にして遮った。

「こ、婚約してるんだから、いいでしょ!」

「おおっ」

 その答えに、女共は色めき立ってどよめいたが、俺は凍った。

「うわー、そうなんだあ!」

「ひゃー、おめでとうございますうっ」

「同窓会の連絡網で回さなきゃ!」

「それはやめてー!」

 騒ぎを尻目にマイペースで冷酒を啜っていたダリリンが苦笑して、

「騒ぐほどのことでもないじゃない。配偶者か婚約者でもなきゃ、生徒にこんなに堂々と紹介

できっこないでしょ?」

「え、そんなもんですか? ただのカレカノじゃ駄目?」

 小嶋がきょとんとしてダリリンを見た。

 ダリリンの冷静さのお陰で場は沈静化したが、ミヨ先生はまだ赤い顔で、おしぼりで額の汗を

拭いていた。

 女共はまだまだツッコミを入れたいことがあったようだが、邪魔してるのは確かなので、そこで

今度こそ切り上げることにした。

 佐藤ん家は六兵衛から徒歩五分くらいなので、歩いて、というより走って来ていた。自転車を納屋から

引っ張りだしてる間に、坂を駆け下りた方が早いと思ったんだそうだ。確かにそうかも。

 しかし、いくら近所といえども、帰り道はすっかり暗くなっていたので、さすがに女の子の

ひとり歩きは危ないかもだから、一応送ってるつもりで、俺も自転車を引いて坂を上っている。

「ここでいいよ」

 家がある横道の入り口で、佐藤が言った。

「家の前まで送るぜ?」

「いやあ、いいよ、こっからなら走れば10秒だもん」

「そっか。んじゃな」

「じゃね、ヘコむなよ、熊谷。部活ガンバレよ、バーイ」

「ヘコんでねーっての!」

 佐藤はきゃはは、と、賑やかな笑い声を残して暗い道の奥に消えた。

 自転車にまたがり、立ち乗りで坂にこぎ出す。

―――俺のミヨ先生への思いってのは、憧れってヤツ、それだけのはずで。

 ギイ、ギイ、と、古いママチャリは坂を上るたびに喘ぐ。

 このヘコみは、よーするに、萌え真っ最中のアイドルが結婚するって知った時の衝撃と同種なはずで。

 だから、すぐにショックは和らぐ。

 一晩寝れば、きっと忘れる。

 だって、分かっていたことだ。

 ミヨ先生に手が届く未来なんて、想像してみたことすらない。

 婚約うんぬんが無くたって、ミヨ先生は産休の代用だから、今年度いっぱいで佐渡から去る。

 だから、憧れたってどうしようもないってことくらい、俺だって、いくら子供だって、
ちゃんと分かってた。

 坂が最もキツい角度のあたりに差し掛かって、いつもなら根性で乗ったまま上っちゃうんだけど、

今夜はその気になれなくて、自転車からよろけるように降りた。

 その途端、ひらめいた。

 さっきの、ダリリンの本……

 表紙の少女の絵。

 分かった。

 誰の絵か分かった。

 あれは、ダリリンの絵じゃないか。

 俺たちが六兵衛に行った時に描いていた、彼氏のデッサンに、タッチがそっくりじゃないか!

 それだけじゃない、美術の時間に何度も目にしていた、ダリリンの絵。展覧会に出すような絵は重厚な

油絵の風景画だけど、美術の時間に教材として描くデッサンやスケッチは、正にあのタッチだった。

 見たことがあるはずだ、だって、ダリリン本人の絵なんだから。

 でも。

 なら、どうして。

 どうして、隠した?

 本の表紙に採用されたなんてメデタイことには違いないんだから、生徒である俺たちに、喜んで

見せてくれたってよさそうなもんなのに。ミヨ先生と彼氏には、俺たちが来る前に見せたのだろうし。

―――いや。

 そうじゃないのか?

 テーブルの上に出してあったってことは、もしかして、ミヨ先生か彼氏がダリリンに渡したって

こともあり得る。

 思わず立ち止まり、坂の下を振り返る。

 坂はカーブしているので、六兵衛の赤提灯は見えない。

 どういうことだ?

 一体何なんだ?

 あの本は。

                                       FIN.

                             



※ちょいと成長した熊谷少年一味をお楽しみ頂けましたら嬉しいですウフ♪(* ̄ω ̄)

※解決されずに残った謎については、次長編『オンブラ・マイ・フ』にて明らかになりますので、しばしお待ち下さいませ。

※『オンブラ・マイ・フ』は8月初旬から連載開始予定です。ってか目標です。スミマセンスミマセンm(__;)m


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